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読み比べてみると、翻訳の大切さと違いについて学べる名作

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Hey! What's up people~!? 鎌田です。それでは編集者目線で気になった本をご紹介させていただきたいと思います。

今回は、あの『あしながおじさん』に続編があると知ったので購入し、何度となく読み返しています。私も50歳になり、あしながおじさん目線で読んでみたりとなかなか楽しめます。

主人公は大人の女性です。やりがいのある仕事を見つけて、恋愛、結婚に悩むといった内容であるので、児童書というよりは特に20代を過ぎてからの方が共感を感じるような内容になっています。

その後の世界の確認というのは今の自分の確認作業と同じのような気がするものです。

実は『続あしながおじさん(原題 :Dear Enemy)」の存在を知ったのはわりと最近のことなのです。

会社を売却して、息子も結婚して少し落ち着いた頃にふと立ち寄った古書店で、「100円」の値札の貼られたボロボロの新潮文庫を手に取ったとたん、子どもの頃の記憶が鮮やかに蘇りました。

『あしながおじさん』は孤児院で育った女の子の哀れでいながらも、素晴らしいユーモアと文才に恵まれた少女のシンデレラ・ストーリーです。

小学生の頃の私が強く心を惹かれたのは、主人公ではなくジュディの親友のサリーでした。主人公ジュディ・アボットの親友として登場したサリーは、裕福な家で生まれ育ち、赤毛で、色白で、鼻が上を向いていて、ごく陽気な人物です。

私の実家も裕福とまでは云わないと思いますが、何不自由ない生活を送らせていただきました。私は彼女のファンでした。

最初の(何度か離婚していまして…)結婚はスペイン人とアメリカでしましたが、彼女との間にできた娘の名前に引用したくらいです。

そして『続あしながおじさん』の主人公は、なんとこのサリーだったのです。完全に童心に返った私は大興奮でこの本を買い、どっぷりはまり込んだという具合なのです。

サリーは学校を卒業した後、ジュディが育ったジョン・グリア孤児院の院長に抜擢されるわけです。気が進まないながらも負けず嫌いな彼女は「お試し」ということで、一時的にこの役目を引き受けます。

しかし、協力者であるちょっと厄介な性格の医師ロビン・マックレイとともに奮闘するうち次第に口車にのめり込んでいくのです。

友人の離婚や社会問題、あるいは子どもを育てるということ。めっちゃドラマがあるんですよ。あらゆる経験を通してサリーは、真の幸せとは何なのかを追求し、自分の道を見いだします。

前作同様の書簡形式で描かれたこの小説は、「児童文学」というジャンルにまったく当てはまりません。「女性の生き方」「社会的弱者の生き方」という今も変わらぬ問題にリアルに明るく切り込んでいるのです。

「あしながおじさん」では、みじめな孤児院での幼少時を生き抜いたジュディが憧れの世界に入ってゆく感激が描かれました。一方「続あしながおじさん」において ヒロインのサリーは未経験の仕事や社会の厳しさ、あるいは人間関係や資金の問題など、さまざまな困難と闘い続けるのです。

孤児院でのジュディとサリーの戦いは両者とも社会との戦いであって真の幸せを掴むための戦いでもありました。

そして両作とも確かにシンデレラ・ストーリーの要素を含んでいて、「そんなに世の中うまくいくかよ」と、突っ込みどころも満載です。

ダガソレガイイ! 彼女たちと同じように、社会と対決しながら様々な格差や非合理と戦いながらなんとか幸福を勝ち得ようともがく現代の私たちにとって、 この2つの物語はやはり勇気と希望のお守りとなり得るような気がします。

「あしながおじさん」と「続あしながおじさん」には、さまざまな共通点があります。

その1つが、「災い転じて福となす」という展開です。

『続あしながおじさん』では、ラスト直前に孤児院で不意に起こった火事がきっかけとなって一気に大団円へとなだれ込むのです。

私たちは一般に、事故や病気などを激しく恐れます。でも、ときにはそうした災難が「災い転じて福となす」のように結果的に良かったねということになったりすのです。

災難の前には見えなかった役割を果たして、余計なしがらみや執着を一掃して「本当に大事なもの」を知るキッカケをくれることもあるのかもしれませんね。

今回は本の内容と翻訳の大切さについてもお伝えしたいと思います。

わりと最近になって新潮社(松本恵子訳)の方を読みましたが、私は偕成社の方を先に読んだこともあって個人的にはこちらの訳の方が違和感がなかったです。

原作も読んでいますが時代背景とか物語の舞台も日本が置かれた背景とは全然違うので翻訳も難しいとは思うんですよね。

それだけに角川の村岡花子さんと町田日出子さんの共訳は、今読み返しても素晴らしいのひとことです。

生きた翻訳といいますか、生気に満ち溢れた文章で、他のは読み始めてすぐに翻訳の違和感の方が気になって、何か没入感に満足しませんでした。訳者の力量の差を痛感し、編集者として大変に勉強になりました。

それではまたお会いしましょう!

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