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【農業小説】第3話 きっかけは、アスパラガスのソテーだった

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Amazonで注文したら二日後には卓上式のミルが届いた。これで収穫パーティーは準備OKだ。モーターがブーンと勢いよく音を立てながら、トウモロコシの粒を細かく砕いていく。

卓上式ミルを畑に運んだ。畑には電源はない。獣害柵に使う電柵があるのだが、規格が違うので僕の愛車TOYOTAのVOXYに装備された電源につないだ。

僕は粉になったトウモロコシにそっと敬意を表すると、水と塩と少しの油を一緒に手早く混ぜた。

「みんな見て!僕はフリントコーンの八列トウモロコシから、本当のトルティーヤを自分の手で作っているんだよ」と、誰かに宣言したい気分だったが、実はそうはできないわけもあった。

僕は一時期、学生時代から付き合っていた彼女とアメリカで結婚してトルティーヤをよく作ってもらっていたのだ。だけど当時の僕は仕事が忙しくてほとんど一緒にいることができずに、そのまま自然消滅というかたちで結婚も解消することになったのだ。

そしてトルティーヤは思い出の食べ物に変わって、当時を懐かしんで喜んで食べていると今の妻に思われるのは心外だったのだ。仕事だけを理由にして家に帰らなかったのではない。二人の間には決して明かすことのできない闇があって一緒にいることが辛かったからなのだ。

しかし、食べ物には罪はない。どうかすべてを赦してやって欲しい。トルティーヤを食べるたびに日本風に心の供養をしていると感じていたのだ。こればかりではない。根底には、この食べ物の歴史や育んできた文化に興味が在って取り組み始めたという側面もある。

だから本当は、石臼で時間をかけて丁寧に粉に挽いて、木のスプーンでかき混ぜてから、レンガ造りの炉の上で素焼きの鍋を載せて作ってみたかった

しかし現実の鍋はカーボンスチール製で、スプーンは熱に強いナイロン製で、かろうじて炉はレンガの代わりに建設資材のブロックを組み合わせて再現してみた。

しかし、こんなことはどうでもいいのだ。まもなくトルティーヤは焼き上がり、香りは食欲を刺激している。

僕が隣でワカモレソースを作っていると、お手製の粗末なかまどから、いきなりバターのように濃厚なトウモロコシの香りが漂ってきた。

これは人生最高のトルティーヤになる予感がした。こんなトルティーヤが出来上がるなんて、想像もしなかった。本当にトウモロコシの味がする。今まで食べてきたトルティーヤは既に粉になったトウモロコシだったし、小麦粉も混ぜたりしていた。

ワカモレソースを使わずに、最初の一口をがぶりと食べて、僕は静かに全てを飲み込むような深い山に向かって静かに咀嚼した。そして息を吐き出すと、まだトウモロコシのコクのある香りが残っているほどだ。味は徐々に消滅していくというより、名残惜しげに消えていく感じだ。

まさに目からウロコの経験だったが、そうなると新たな疑問がわいてきた。トルティーヤは乾燥食品の味がするだけだと長年思い込んできたが、どうしてそうなってしまったのだろう。

いまとなっては、トルティーヤはトウモロコシの味がするものだと、これが当たり前なのだと十分に理解できる。しかしあのときは、自分の目の前でその変化を確かめるまで想像すらできなかった。

ソネット(定型詩)のように見事な構成の山辺のコンパニオンプランツが、非の打ちどころのないトウモロコシの遺伝子と組み合わされた結果、よい食べ物、ひいてはよい料理についての僕の考え方に変化をもたらしたのである。

それ以後は日課と言えるほど毎日、僕は畑まで行くとかまどに火をくべて、お手製の卓上式ミルをVOXYの電源につないで食べる分だけ粉を挽いて、ワカモレソースを作る。と、お決まりのモーニングルーチンになった。

コリアンダーはどこでも作れたし、トマト栽培はお手の物だ。しかし、肝心のアボカドと玉ねぎは作ってなかったので、玉ねぎは隣の農業法人からおすそ分けしてもらっていた。そのうち彼らもこのモーニングルーチンに加わることになった。

アボカドはうちの会社がミャンマーの食品会社へ納品するために現地法人を設立して栽培して、日本向けに輸出もしてたから困ることはなかった。

そして、このトルティーヤにはジビエもはさんでいた。僕自身もハンターをしていたが師匠とも呼べるハンターが捌いたイノシシの肉を使った。師匠は罠猟で捕まえたウリ坊をどんぐりと米ぬかだけで大きくさせて、それから命をいただくのだ。

残酷だと思うかい? でも命をいただくのなら最上級の感謝と尊敬をもって食べたいと思うのだ。動物は動き回るから命があるわけじゃない。植物だって生きているのだ。農家が懸命に美味しくなるように何世代にもわたって工夫してきた結果、いまの食文化が生まれ、育まれてきたのだ。

野生の植物は食べたことがあるだろうか?クレソンくらいはあるかもしれない。これも日本の中山間地でそれなりに水がきれいな畦の隣にある自然の用水路なんかには自生している。でも、見つけても食べない方がいい。農薬がドリフトしている。このような自然の場に自生しているクレソンも、見かけによらずリスクがついてくる。たとえその水源が綺麗だとしても、周囲の農地で使われる農薬の影響は避けられない。風に乗って運ばれる農薬、水に溶けるタイプもある。それがその美味しそうなクレソンにも影響を与えているのだ。

断っておくけど農薬は危ないわけじゃぁない。クレソンに登録された農薬以外のものが付着している可能性があるんだ。あるいは散歩した犬のおしっこかもしれない。ただそれだけ。登録というのは安全性が立証された農薬のことだ。

さらに、その水質や土壌についても考慮するべきだ。近くの畑で使われているなら、農薬だけでなく化学肥料やその他の有害物質が問題となる。見た目がきれいでも、微生物や寄生虫が潜んでいる可能性もゼロではない。

要するに、クレソンの健康効果は確かに多いが、その取り扱いには注意が必要なのだ。自生しているものを食べる前には、水質や土壌、そして周囲の環境について確認するべきだ。美味しさや健康効果に目がくらんで、リスクを顧みない行動は避けるべきである。しっかりとした知識と対策を持ち、それからクレソンを楽しんでもらいたい。

日本人は安心と安全を混同している。この二つの言葉というのは本来、並列で語られるべき言葉ではない。安心は自分がそう思う気持ちだし、安全は第三者の評価だ。魚だっておかしな評価がされている。「天然物は美味しい神話」だ。しかし、寄生虫は怖くないのだろうか。

養殖なら適切な処置(ワクチン等)がされているので安全性が高い。人は情報を食べている側面もある。本当に美味しいものというのは、情報も含まれて美味しいと感じるのだ。否定はできないはずだ。セミの幼虫はとても美味しいが、一般の人は喜んで食べたりしない。

これが情報の持つパワーで本質を見失わせる側面も併せ持つ。このように、僕はあちこちの農場や農家で貴重な教訓を学んだ結果、本物の料理は複雑なレシピから成り立っていることが理解できるようになった。決められた手順で調理することだけを考えても、よい結果は得られないのだ。

トルティーヤはトウモロコシを材料とするシンプルな食べ物だけど、本物のトルティーヤは深い味わいが複雑なシステムによって引き出されている。だから心が温かさで満たされ、いつまでも記憶に残るのだ。

料理も素材となる作物もそれを栽培する農家も、すべてが見事に溶け合った風景が、この一枚のトルティーヤに凝縮されているのだ。「優れた農業」と「優れた食材」が切っても切れない関係にある場所で、料理は最高の形で表現されると言ってもよい。

この「優れた農業」と「優れた食材」に支えられた料理について、これから様々なストーリーを通して考えていきたいと思う。

この「市島ポタジェ」のテーマは「農家の食卓」だ。つまり、ファーム・トゥ・テーブル。こういうと、「ファーム・トゥ・テーブル(農場から食卓へ)」を提唱する小難しい日常が綴られていると思われるかもしれない。あながち、見当外れではないのだが…

僕たちには最初から「ファーム・トゥ・テーブル」という言葉が付いてまわった。「市島ポタジェ」をオープンさせた頃はまだトウモロコシは畑で栽培中だったので、どんな料理を出そうか思案していたのだ。

ちょうどその頃、新しいスタイルのアスパラガスの栽培に取り組んでいた。

アスパラガス栽培は通常、10~15年間、繰り返し立茎しながら株を養成していく。収穫に関しては初年度は我慢が必要で、本格的な収穫は3年目からとなる。そして栽培期間中は徹底した病害虫対策が必要で農薬もジャンジャン使われている。

つまりは代々、受け継がれてきた畑で栽培されていることが多いだろうし、競争が少なそうだから、単純に美味しそうなマーケットに思えた。

そして差別化として農薬を使わず育ててみようと思ったんだ。

農家は百姓ともいって、それこそ農家が百人居れば百通りの正義がある。僕たちはオーガニック栽培を得意とはしていたけど、あくまで外に向けてのマーケティングの一環だし、内向きには管理工程を軽減させてコストカットするためだ。

単純にオーガニック栽培に取り組む農家に欠如しているのは農薬の正しい知識だ。美味しい食べ物を食べたいのなら農薬は必要なのだ。その考え無しに宗教のようにオーガニック栽培をしたところで報われることはない。

そこで僕たちは、初年度の株養成だけで、翌春採りきるアスパラガス栽培に取り組むことにしたのだ。防除にかかるコストは削減できるし、この栽培方法なら設備投資も必要がない上に一年目から収益になるのだ。

初夏に農作業をしている時にはギリギリまで水分を摂らないのが僕の正義だ。そして仕事が終わるとアスパラガスのソテーとカリカリに焼いたベーコン。そしてキンキンに冷えたビールを喉に流し込む。

これがたまらなく幸せなのだ。

これだって情報の効果だということを告白しておきたい。僕が学生の頃によく読んでいた、わたせせいぞうの「ハートカクテル」を愛読していた

印象的なセリフがある。

「好きだ」――ボクのその言葉はボクとカノジョの間に結晶体になって浮かんだ。カノジョは大きな瞳でそれを見つめ、そしてスローモーションで微笑んだ。

このコミックのベースは男と女がテーマだ。エッセンスに恋と音楽と季節の風を配合した、『ハートカクテル』の恋物語。だから、ハッピーエンドとは限らないけれど、穏やかな雲に包まれて眠るような、そんな幸せの余韻に浸れるのが特徴だ。

夏の最中、汗だくなって仕事をする主人公。今の時代とは違う時代だ。主人公はわざと水分を摂取しない。そして、仕事が終わってアスパラガスのソテーとカリカリに焼いたベーコン。そしてキンキンに冷えたビールを喉に流し込む。このシーンに魅了されて、いつか自分もやってみたいと妄想していたのだ。それが現実となった。妄想を現実にするって事業の成功体験と同じだから、これを読んでくれている人にも是非、他愛もない妄想を実現させて欲しい。

もう一つ言っておきたいことがある。「市島ポタジェ」が2015年の春にオープンした数ヵ月後、あるテレビ局が取材でここを訪れて「ファーム・トゥ・テーブルのレストラン」と紹介してから、逆輸入するようなカタチで意識しはじめた言葉だと告白しておきたい。

アスパラガスのシーズンはあっという間に終わってしまうし、ちょうど旬の時期だったのかもしれない。そして僕たちのアスパラガスは若いのだ。軽くソテーしただけのアスパラガスを食べたタレントは衝撃から、絶句してしまった。

しばらくしてから、やっと賞賛の言葉をつぶやくことができた。

番組のために素晴らしいリアクションを取ってくれたのではないだろう。その証拠に撮影が終わると彼らは大量の収穫したてのアスパラガスを買って帰ったのだ。

結局はすべてが関わっていたのだが、きっかけは実に単純だった。その番組が放送されてから以降は予約で埋まり、自分のなかでこのレストランが成功したことと、シンガポールでの仕事がきっかけで「市島ポタジェ」を閉めることになるまでレストランは続いた。


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