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【現代小説】金曜日の息子へ|第22話 二つの道、一つの心

福岡での1号店成功後、プロジェクトは急ピッチで進展し、次第に全国展開が現実味を帯びてきた。一方で、家族との距離がどうしても埋まらない。ビデオ通話で見るジュリアと娘の笑顔は変わらないが、何か微妙な違和感が漂っているのを感じた。

ジュリアは以前よりも忙しそうで、娘もだんだんと口数が減っていった。特に娘が新しい友達や学校の活動に熱中するようになり、「パパ、いつ帰ってくるの?」という質問が少なくなっていく。

ある日、ビデオ通話の最中、娘が「パパ、学校で素晴らしい先生に出会ったの」と語り出す。その言葉に何とも言えない複雑な思いがこみ上げてきた。もちろん、娘が新しい環境で成長しているのは嬉しい。しかし、その一方で、その「素晴らしい先生」が提供している教育や愛情は、果たして自分が提供すべきものではないかという疑問が浮かんだ。

ジュリアにその思いを打ち明けると、「私たちもあなたがアメリカにいない生活に慣れてきた」という言葉が返ってきた。それは単に事実を述べているだけのようで、それ以上でもそれ以下でもない。しかし、その言葉の裏には、ジュリア自身が新しい生活に適応して、自分なりの居場所を見つけたという事実が隠されているようだった。

この瞬間、私たち夫婦の間に生まれた距離を痛感した。もはや、問題は単なる「仕事と家庭」のバランスの問題ではない。ここには、深い溝ができている。それは、心の距離だ。

物理的な距離は、飛行機やビデオ通話で埋めることができるかもしれない。しかし、心の距離はそう簡単には埋まらない。それがこの離れ離れでの生活で学んだ、かけがえのない教訓だった。

この問題にどう向き合うべきか。解決策は一つではないが、一つ確かなことは、このままでは家庭が壊れてしまうかもしれないという危機感を持っている。

「だからこそ、新たな方法を見つけて心の距離を縮めよう」と心に誓いながらも、何かが変わらない日々が続く。私が躊躇している間にも、ジュリアと娘との距離は微妙に広がっていく。だからといってどうしようもない。距離があるのだ。

そんな折、偶然から、かつては許嫁だった女性、栞と再会した。数年ぶりの再会で、すっかり大人の女性になっていた。ラテン気質のジュリアとは何もかもが正反対の性格で、その違いが新鮮に感じられた。

栞は落ち着いていて、日本の伝統や文化に深く愛着を持っている。その語り口からは、何とも言えない安心感が発せられていた。そこには、一緒に過ごした子供時代の記憶や、無垢な愛情が生きているようだった。

この再会が何を意味するのか、最初は分からなかった。しかし、時間が経つにつれて、栞と過ごす時間が私にとって何か特別なものになり始めた。それはジュリアや娘とは違う、新たな「居場所」であると感じられた。

この感情に対峙すると、突然、私の中に溢れ出るものがあった。それは、今までの家庭生活や仕事に対する疑問、不安、そして孤独だ。栞がその全てを受け止めてくれるかどうかは分からないが、彼女との再会が私に新たな視点をもたらしてくれた。

この状況は、私にとって新しい道の一つかもしれない。しかし、それが妻と娘、そして栞との間でどのような影響をもたらすかはこれからの問題だ。

一つは確かで、それは私が取るべき道が単純なものではないということ。私の心の中で交錯する多くの感情と責任に対処しなければならない時が来た。それが新しい挑戦であり、新しい問題であり、そして何より、これからの人生の大きな転機になることは確かだ。

どういう結末が待っているのかは分からないが、それぞれの選択が将来を大きく左右することになるだろう。そして、その選択が何であれ、後悔しないように、そして何よりも誠実に、生きる力を持ち続けなければならない。今となってはこれが、次の人生の始まりとなることをどこかで予想していたのかもしれない。


2003年4月、父の知らせと会社の買収が重なるという、人生の大きな転機に直面した。会社が大手映画興行会社に買収されるというのは、プロフェッショナルとしてはプラス面も多いと感じたものだが、父の病気の知らせは、その喜びも一瞬で霧散させた。

父が倒れたという一報は、俺の心の中で何よりも重要な事態として響いたのだった。業績が順調だった会社が大手に買収されることは、確かに仕事のスケールが大きくなり、それが新たなチャレンジとなる可能性が高い。しかし、父の病状は俺にとって家族というもっと別次元の「大手」からの買収のようなもので、それが私の価値観や優先順位を大きく揺るがせたのだ。

こうして、会社の買収と父の健康状態が私の前に立ちはだかる二つの山となった。これはただの仕事の問題や家庭の問題以上のもので、それぞれが私の人生に与える影響は計り知れない。この複雑な状況をどう乗り越え、どのように平衡を取るのかが、これからの私に突き付けられた課題となった。

この課題に相対するために俺は栞に相談した。

この相談という行為はしばしば自分自身の考えや決断に対する確認作業となる場合がある。この「自己確認」のプロセスは、人が直面する問題や選択肢に対して、既にある程度方向性を持っていることを反映しているに過ぎないのだ。そして、相談相手の反応や意見は、その方向性をより明確にする、もしくは修正する役割を果たすことでしかないのではないか。

この考え方は、人が複雑な状況や心の葛藤に対処する際には特に有用だ。相談する前に自分の中で実は「答えがすでに決まっている」と感じている場合でも、外部の視点は新たな洞察や考慮すべき点を提供してくれる可能性があるからだ。それが結果として考えを補完し、より確固とした決断へと導く場合もあるのではないか。

このような相談のプロセスを通じて、人は自己と他者、そして状況との「調和」を築く試みとも言える。それが、人生の大きな転機を迎えた時に特に重要な行為となる場合があるのだ。

だから、君がこれから人生で立ち止まる必要がある時に彼女にも相談すると良いと思う。良い意味で俺は彼女を知らないし分かっていないのだから。きっと違った視点を生んでくれるに違いない。

だけど君は生んでくれたお母さんに対して、どこか不信感をもっているかもしれないね。しかし、その責任の半分は俺にあると思う。俺はこれまで小学生の時に彼女からの手紙を目の前で破り捨て恥をかかせたし、彼女が許嫁となってから勝手にアメリカで別の女性と結婚して子供まで授かったのだ。彼女から見て俺という人間はどう映っているのだろうか。俺は今でも彼女がどういう人なのか掴めないでいる。

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