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知ればもっと美味しいシングルモルト&ブレンデッドの最高峰230本

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Hey! What's up people~!?  鎌田です。それでは編集者目線で気になった本をご紹介させていただきたいと思います。

今回はこちら、日本人の味覚からとらえた、セレクトに役立つ世界のウイスキー&シングルモルトガイド。世界のウイスキー産地の紹介から、日本のウイスキー作りの歴史なども盛り込んであるウイスキー好きなら絶対に読んでおきたい一冊です。

ウイスキーカクテルから料理とのマッチング、あるいはグラス選びに至るまで、まさに至れり尽くせりの内容の「厳選ウイスキー&シングルモルト手帖 知ればもっとおいしい!食通の常識」です。

まずは日本におけるウイスキーの現状からみていきましょう。日本ウイスキーを語るうえで、まずは連続テレビ小説「マッサン」で一躍脚光を集めた竹鶴政孝がウイスキーづくりの第一歩として設立した余市蒸溜所について解説します。

日本におけるウイスキーの歴史は、スコットランドでウイスキーづくりを学んで帰国した竹鶴政孝によって切り開かれたわけです。つまり、 ジャパニーズ・ウイスキーはスコッチを手本としているということになりますよね。

ウイスキーの種類はざっくり2種類に分けられます。大麦麦芽を原料として、単式蒸溜器の2回蒸溜でつくられるモルトウイスキーと、それにトウモロコシなどの穀類を主原料に連続式蒸溜機でつくられるグレーンウイスキーをブレンドしたブレンデッド・ウイスキーです。

国内におけるウイスキーの傾向は日本ならではの湿潤な気候風土や良質な天然水と相まって、その味わいは穏やかで繊細かつ、日本人の口に合うようにスモーキーなフレーバーは抑えめになっています。

伸びやかな酒質で、水割りにしても、風味が保たれていてハイボールでも楽しめる銘柄が多いですよね。

海外でもジャパニーズ・ウイスキーの評価は高まる一方でイギリスで開催された酒類コンペティション「ISC」でサントリーの「響21年」がウイスキー部門の頂点に輝いきました。

今や、世界的にも5大ウイスキーの一つとして確かな存在感を示しています。そうなるとやはりジャパニーズ・ウイスキーの歴史を語るうえで押さえておきたい名前が竹鶴政孝の他に「鳥井信治郎」となるでしょう。

竹鶴政孝は広島の造り酒屋の生まれで大阪の摂津酒造に入社後、1918年にスコットランドへ留学、ロングモーン蒸溜所とヘーゼルバーン蒸溜所でウイスキーづくりを実習したそうです。

つまり日本酒の蔵元をルーツに持っているわけです。

帰国後は 寿屋(現サントリー)の創業者・鳥井信治郎に招かれて、山崎蒸溜所の工場長になった後、竹鶴は大日本果汁(現ニッカウヰスキー)を設立しました。

このように二人はそれぞれの道を歩み切磋琢磨しながら、お互いにジャパニーズ・ウイスキーが興隆する礎を築いたというわけです。

私はもとキリンビールで働いていたので個人的におススメしたいウイスキーも紹介させていただきます。こちらは富士山の伏流水を使用したウイスキーでシグニチャーブレンドの富士山麓です。

富士山の麓にあるキリンディスティラリー富士御殿場蒸溜所に眠る多彩な原酒の中から、熟成のピークを迎えた原酒だけを厳選し、ブレンドしたスペシャリティな味わいが魅力です。

原酒の熟成状態をブレンダーが熟成年数に捉われることなく、それぞれの原酒が個性を発揮したタイミングを見極めているとあって、そのバランスは絶妙です。

それぞれ個性が豊かな原酒が織りなすハーモニーと、複層的に奥深く円熟した味わいを、今宵ぜひお愉しみ下さい。

一方でそんなジャパニーズウイスキーの礎となったスコッチの歴史は密造の歴史ともいえます。

18世紀初頭に、スコットランドがイングランドに統合されたことを機に、ウイスキーにとんでもない税金が掛けられるようになって、人々は、長らく山奥の深い谷間に隠れるようにしてウイスキーをつくっていたそうです。

そんな スコッチ密造時代と同様に、ブレンデッド・ウイスキーの誕生は重要な意味を持っています。

それは1831年に近代的な連続式蒸溜機が発明され、とりわけローランドの業者は積極的にこの機械を導入したそうです。さらに大麦麦芽と比べて原価の安いトウモロコシなどの穀類を使うことで、グレーンウイスキーを大量生産できるようになりました。

モルトウイスキーとグレーンウイスキーをブレンドしてつくられるブレンデッド・ウイスキーの誕生は、それまでスコットラ ンドの地酒でしかなかったウイスキーを世界に広める大きな契機となったのです。

繰り返しになりますが、ブレンデッド・ウイスキーはモルトウイスキーとグレーンウイスキーを混ぜてつくったものであり、そこには十数種類、多いと約50種類の原酒が秘密の調合で用いられています。

そこで力を発揮するのがマスターブレンダーの存在です。自分自身の五感を巧みに使ってウイスキーに一貫性をもたらし、その一方で新たな味わいを創造する役目も担っています。

ブレンデッド・スコッチ史にはさまざまなブレンダーが登場してきました。

日本でもよく知られた「バランタイン」を生んだ人物、ジョージ・バランタインについても触れておくと、彼は 1860年代にエジンバラとグラスゴーの食料品店でブレンディングを始め、自らの息子が輸出業を手掛けたのを機に、国際的な成功を収めるに至りました。

ほかにもアーサー・ベル、シーバス兄弟、ジョン・デュワー、ジョン・ウォーカーなどの優れたブレンダーたちが登場しています。いくつものモルト原酒を組み合わせたブレンデッド・ウイスキーは個性の多重奏であり、マスターブレンダーはその総指揮者に例えられます。

ブレンデッ ド・ウイスキーを味わうということは、 すなわち「マスターブレンダーを識る」ことになるのかもしれないですね。

ミドルトン蒸溜所の「ジェムソン」などがアメリカ市場を席巻することで、そのブームが再燃しているアイリッシュ・ウイスキーはウイスキーの祖とされていますが、ここ何十年は衰退の一途を辿っていました。

アイリッシュの特徴は、一般的には未発芽の大麦を主体に、ライ麦、小麦などを補助材料とし、これにノンピーテッドの大麦麦芽を加え、糖化、発酵させていること。また、大型のポットスチル(単式蒸溜器)による3回蒸溜が挙げられます。

シングルポットスチルウイスキー(ピュアポットスチルウイスキー)と呼ばれるものです。スモーキーフレーバーがなく、まろやかで軽く穏やかな風味に仕上がっています。

世界5大ウイスキーのひとつのアメリカン・ウイスキーは、 アメリカで造られるウイスキーの総称でバーボン・ウイスキーやテネシー・ウイスキー、ライ・ ウイスキーやコーン・ウイスキーなど多彩な種類があります。

アメリカン・ウイスキー はスコットランドやアイルランドからやってきた移民が東海岸で造り始めたと言われて、現在に至るまで、様々な転機を経験してきました。

まずは、アメリカ独立後、政府がウイスキーに重税を課したことにより、1794年に最大の暴動、通称「ウイスキー戦争」が勃発しました。その後、農民は税金から逃れるため、ケンタッキー州やテネシー州などの西へ移動した。

そこで、トウモロコシとバーボンに適したアルカリ性の硬水ライムストーンに出合い、バーボンが誕生したと言われています。

次の転機は、1861年に勃発した南北戦争。消毒薬などの代わりにウイスキーが大量に消費されます。

戦後は、北部の工業資本が入って、ウイスキーの産業化が進んで、3つめの転機には 1920年から14年続いた禁酒法となります。

これにより、国内の蒸溜所が閉鎖になったり、外国産の粗悪品が横行するようになります。こうした転機を乗り越え、アメリカン・ ウイスキーは育まれていったんですね。

この時代って個人的に大好物で「モブスターズ青春の群像」という映画がとても好きだったことを思い出しました。

禁酒法時代のニューヨークを舞台に、実在の4人のギャングの若き日の抗争と青春を描いた青春ギャング映画。ルチアーノ、シーゲル、ランスキー、コステロは後に全米に名を馳せる大物ギャングの若き日の姿で、人生観に影響感を与えた映画であることは間違いありません。

ウイスキーはアルコール度数が高いので、一般にナッツ類やチーズ、ドライフルーツなどと食前・食後に飲むというイメージが強いです。しかし、ウイスキーはアルコールの濃度調節や、飲む温度が自由なので、様々な料理とのマリアージュを楽しむことができます。

スコットランド料理のみならず、各国の料理と相性のよい飲み方が豊富で、例えば中国料理にはブレンデッドの水割りやお湯割りです。

エスニック料理にはバーボンやアイリッシュのソーダ割りがピッタリです。淡白な日本料理にはブレンデッドのロックか水割り、天ぷらや魚の焼き物にはソーダ割りが合うのでいろいろ試してみてくださいね。

個人的なおススメはコーヒー割りです笑

それではまたお会いしましょう!

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