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「蒸気の中のエルキルス」エピローグ(完)

エピローグ

『三日前、犯人が自首した事で収束しつつある連続連れ去り事件は』

 ノア・クリストフは今、喫茶ポピーの二階の自室で出掛ける準備をしながらラジオを聴いていた。
 ヴァージニアはあれから警察に自首をし、今は郊外の丘の上にある監獄に収容されていると言う。今日は日曜なので今からノアは警察官付き添いの元、彼女に面会に行く予定だ。

「おい、準備出来たかー?」

 居間から聞こえてきたのはリチェの声だ。今日付き添ってくれる警察官は、リチェとクルトだった。

「もうすぐだっつの! 茶ぁ飲んで大人しく待ってろ!」

 上着に腕を通し、扉越しにリチェに返事をする。思えば数日ぶりに居間に自分以外の人間がいる。ヴァージニアが自首をして以来の感覚だ。

「ったく。はいはいお待たせさーん、さっさと行こうぜ」

 着替えが終わり居間に向かう。リチェもクルトも、テーブルに座って出されたインスタントコーヒーを飲んでいた。

「ところでリチェ、店長は今何してんだ?」

 クルトがコーヒーを飲んでいる横に立ち、顔をリチェに向けて尋ねる。

『現在のエリザベート・バートリーとも言えるヴァージニア・エバンス被告の自供を元に調査を進めているところです』

 返事を待つ一瞬、ラジオからヴァージニアについて好き勝手言っている声が聞こえてきた。大昔に生き血を啜った悪名高い殺人鬼とヴァージニアを一緒にしないで欲しい。と思ったが表面しか事情を知らない人には同じようなものなのだろう。

「聴取に大人しく応じてるってさ。……昨日は自供文を書いてたって報告もある。罪を振り返れる、根が真面目な人なんだろうなー。事件に加担してた半グレも協力のおかげでリーチがかかってる」

 自分の表情が僅かに曇った事に気付いたのか、リチェが声を明るくしてサラリと付け加える。

「あの人見たことあるけど、美人だよな。実は俺さ、お前にかこつけて会うの楽しみなんだわ」

 軽い笑みを浮かべて肩を揺らすリチェを何とも言えず見ていると、「……ごめん」とコーヒーを飲み終えた黒髪の少年が呟くのが耳に届いた。

「警察にあるまじき発言だと思わなくもねぇけど、その言葉直接言ってやれよ。きっと店長、喜ぶと思うから」
「おっし、じゃなくて、お前の準備も終わったし行くか。少し歩いた所に馬車待たせてるからそれ乗れよ」
「分かった」

 二人のマグカップを台所に置いてから、階段を降り外に出る。
 ラジオが主なメディアである今、昔程加害者家族は辛い目に遭わないとリチェは言う。
 その言葉の通り、店は閉じているもののノアは二階でいつも通り暮らすことが出来ていた。午前の光が眩しいエルキルスに出るとその言葉を一層痛感する。
 何本か通りを行った所にある馬車に乗り、駅前を通って郊外を目指す。郊外は街と違い、風車が回っていたり牧歌的だ。
 自分はヴァージニアから理由を聞けてすっきりしたが、ヴァージニアは犯行に深入りした自分を良く思っていないのでは無いだろうか。面会は嬉しい反面、それを考えると怖くもあった。

「なんか女の子が俺の言葉本気にしてくんない気がするんだよなー」
「嫌われてるんじゃね? 知らねーけど」

 リチェの話をそこそこに聞きながら、ノアは視界に入ってきた建物に視線を向ける。
 コーマス収容所。
 川の名前を冠したこの収容所は、川を二分する盛り上がった丘の上にある。昔のホテルを再利用したかのような雰囲気の収容所に、三人は足を踏み入れた。
 事務的な手続きをリチェ達が済ませている間、ノアはヴァージニアに会ったら何を話そうか迷っていた。当初の目的である家や店の話は勿論するつもりだが、それ以外は思いつかなかった。

「先に面会室入っててくれだってさ~。俺等も最初だけ付き添うけど、退室するから。しないとは思うが、逃走の手助けはするなよ」
「しねぇっての」

 冗談めいたリチェの言葉に笑い部屋で待っていると、暫くして面会室の扉がガチャリと音を立てて開いた。扉から出てきたのは、目深に帽子を被った女看守に連れられたヴァージニアだった。店に立っていた時とは違い、今は金髪を纏めておらず胸元まである髪を自由にさせていた。

「こんにちは。では外で待っていますが、少ししたら呼びに来ますね」

 そう言い女看守は部屋を出て行った。

「こんにちは、ヴァージニアさん。リチェ・ヴィーティです! 髪を下ろしてる姿も良いですね、っとノアを連れて来ましたよー」

 緊張した空気が漂う面会室で、一番に口を開いたのはリチェだった。制服に似合わぬノリにヴァージニアは僅かに驚いていたが、すぐに目を細めガラス越しに着席する。

「……ノア君。元気そうで良かったわ。ご飯ちゃんと食べてる? そもそもどうしてるの?」

 えーっと、と前置きして冷凍食品と弁当に頼ってる、と話した。もっと悲しく険悪になる物だと思っていた。それだけに、実家に帰ってきたかのようにほっと胸を撫で下ろしているヴァージニアが意外だった。

「冷凍食品は美味しいし良く出来てるけど、自分でも作らないと栄養が偏るからね。思い出したら挑戦してみて」
「そうそう。料理出来る男はモテるぞ」
「…………リチェは出来ないのに?」
「俺は作って貰うのが夢なんだよ! 分かってないな」
「あーっと店長、早速で悪いんだけどちょっと話があるんだ」

 隣で後輩に手料理の良さを力説し始めたリチェを置いといて、ヴァージニアと事務的な話に移る。気分が日曜日なのか、どうも今日のリチェは浮かれている。
 ヴァージニアとしてはこうなったのであの家は売るつもりらしい。買い手が付くまで好きに住んでも良いらしいが、あそこは立地が良いので自分には実家に戻るつもりで居て欲しいと言う。
 話が一段落ついたこともあり一息つくと、隣も隣で一段落ついたらしい。問題無いと判断したのか、リチェ達は先に外に出ているという。

「全然付き添ってなくて悪いなー」

 とリチェは笑い、クルトは礼をしてから部屋を出て行った。

「あの白髪の人、警察官らしくないね」
「今日は特に凄いぞ。店長が美人だから浮かれてるんだとさ」
「え」

 ヴァージニアは酷く久しぶりにそんな言葉を聞いたと目を丸め、僅かに硬直した。その後言葉の意味を噛み締め、ふふっと嬉しそうに目を細めて笑う。
 ヴァージニアが欲しかった言葉なのだと思う。その笑顔を見て、自分も嬉しかった。

「……なあ店長、僕ここ三日ずっと思ってたんだけど。店長、僕のこと今どう思ってんの。僕が居なかったら事件は明るみに出なかったかもしれないだろ、だから……本当は会いたくなかった?」

 だから聞くのに勇気がいることも、流れに乗ってすんなり聞けた気がする。

「馬鹿ね、そんな事言ってたら始まらないわよ。……私、私はね、ノア君に感謝してる」

 一段と表情を柔らかくした女性は、思っていたよりずっと仕方なさそうに、思ってもいなかった事を口にした。

「え」

 予想もしていなかった言葉に今度は自分が驚いた。目を丸め、どういう事かとヴァージニアを見る。

「私昨日ね、自分の気持ちを整理する為にペンを借りて自供文を書いてたの。そうしたら本当、思ったの。馬鹿だなって……」

 一度目を伏せたヴァージニアは、言葉を選びながらも続けてくれた。自供文とはリチェが言ってたやつだろう。何かに自分の考えを纏めた方がいいと、ユスティンに頼った自分も思う。ヴァージニアもそう思ったのだ。

「どうして今そんな風に思うんだろ、って考えたらノア君のおかげだった。ノア君が私に思い出させてくれたの。だから、有り難う」

 細められた緑色の瞳に見られながらそう言われ、ノアは何も言えなかった。

「有り難う」

 そんな自分を見てどこか楽しそうに笑ったヴァージニアは改まって礼を言った。
 暫くして良かった、と思った。
 ヴァージニアがそういう風に思ってくれて良かった。
 ちゃんと聞いて正解だった。あの時の自分の思いが届いて良かった。

「すみません、もう時間です」

 返事も出来ぬ内に面会室の扉が開き、女看守が面会時間終了の知らせを口にする。あっという間だった。まだ三日しか経っていない事を考えれば当然なのかもしれない。

「はい。じゃあまたね。今日は会いに来てくれて有り難う、嬉しかった」
「僕も嬉しかった。またな!」

 先程の返事になれば良いと、朝学校に行く時のような笑みを浮かべて返す。ヴァージニアは嬉しそうに口端を上げた後、女看守に連れられて面会室を後にした。
 一人になった面会室で、ノアは体重を背凭れに預けて一度目を閉じた。今のやり取りを思い返した後、「よし!」と立ち上がって面会室を後にする。
 白い部屋から廊下に出ると、そこには長椅子に座っているプラチナブロンドの青年と、黒髪の少年が座っていた。自分が部屋から出てきたことに気付いたリチェは、手を軽く上げ出迎えてくれた。

「お帰り、ゆっくり話せたか?」

 その言葉に頷くだけで返すと、リチェは「よっと」と立ち上がった後、指を立てて出入口の方を指差した。

「じゃあ帰るか」

 あっさりしていたが、自分の表情を見て安心したようにリチェは目を細めていた。
 刑務所を後にし緑の多い丘を下り、蒸気に包まれた市街地に戻っていく。帰りは川沿いの道を通って警察署がある道に入るらしい。このルートだと教会の前を通る。ノアは何にも起こらないことを祈った。

「お」

 窓の外を見ていると、同じく反対側の窓を見ていたリチェが何かを発見したような声を上げる。どうも何かが起きてしまったようだと、ノアは腹を括った。

「運転手さん! ちょっと止めてくれ!」

 声を張ったリチェの言葉通り、馬の鳴き声と共に馬車が停止する。白いタイルが敷き詰められた先、教会の扉の前に作業服を着た青年と薄緑色のワンピースを着たイヴェットが、何やら騒いでいたのだ。

「おーい! イヴェットちゃーん!」

 馬車から顔を出したリチェは少女に手を振った後、ふと思い出したように自分達を振り返って「様子見も仕事だ!」と言い訳を口にする。

「あっ、刑事さん! こんにちは~」
「こんにちは。どう? あれから調子はいいか?」

 イヴェットはこちらに近寄り、馬車から降りたリチェに挨拶をする。アンリもそれに倣いこちらに近寄ってくる。
 自分も馬車を降りようとクルトに視線を向けた。が、クルトはすぐに首を横に振ったので、一人で馬車から降りイヴェット達に近寄る。

「あっ、ノアさんも居たの!? やっほ~どうしたの?」
「こんにちは、ノア君、刑事さん。もしかしてノア君何か悪いことしました?」
「ええぇーっ!? ノアさん、そうなの!?」
「いやいや、冗談だからね?」

 冗談を真に受けたらしいイヴェットの反応に、アンリが肩を揺らしておかしそうに笑う。

「連れ去り事件のこと、色々聞いておきたいんじゃない。ねぇ、刑事さん?」
「ん? ん~? まーそうだな。ってかお前、いつも作業服だな?」
「優秀ですからね、こいつ。油が跳ねても泥まみれになっても気にならないし、服を考える時間も節約出来るんですよ」

 ふーんと頷くリチェを見て少し驚いた。
 クルトとアンリが知り合いだったのである意味当然なのかもしれないが、こことここが何度も会ってるかのような知り合いだとは思わなかった。目を丸めているとアンリが「何故か職質されたことがあってね」と説明してくれた。たしかにアンリは場合によっては職質されても不思議はない。

「で、何騒いでたんだ? 馬車からでも分かったぞ」
「ああ、イヴェットちゃんがね。俺の書いた礼拝案内の貼り紙にケチつけるんだよ。自分が代わりに書くぅ~とか言い出してさー」
「ちょっとアンリさんー! 何でそんな不満そうなのー!?」
「そうだそうだ、どう考えてもそっちのが良いだろーが」
「だから嫌なんだけど!」

 イヴェットと一緒になってアンリを糾弾していると、アンリが拗ね切った声を上げる。その時、教会の扉が内側から勢いよく開けられた。

「アンリさっきから騒がしいですよ! もっと静かにしてくれないと……って」

 扉の中から、黒色の牧師服を着て眉を吊り上げた金髪の青年が出てきた。ユスティンに怒られ、騒がしかった教会の前が途端に静かになった。ユスティンも、思ったより人数が居たからか目を丸めている。

「……何で貴方が居るんですかしかもイヴェットさんと一緒に。教会は日曜が一番忙しいんですから貴方と話している時間はありません分かったらさっさと帰ってください」

 反論を許すまいと一息にユスティンは言った後、虫を追い払うかのようにしっしと手を払う。この前会った時と何ら変わっていない態度は、ヴァージニアのことに気付いていないように見えた。

「うるせーな! そんなん知らねーし、言われなくても帰るとこだし消えるわ! なぁリチェ?」
「お? そうだな~、イヴェットちゃんも元気だったし。クルトも待ってるし、そろそろ戻るか?」

 喧嘩を避ける為かすんなり同意してくれたリチェに深く頷き口端を上げる。

「じゃー俺はちょっとノア君達を送りに行こうっと。ユスティン、俺にだけ怒鳴るし」

 ユスティンよりもイヴェットから逃げるようにアンリは白々しく言い、扉から離れ馬車に向かう。

「あ、アンリさん! もー……!」

 仕方なさそうに怒るイヴェットの声を後ろに、すぐそこの馬車に向かう。開いている扉からは、ぼんやりと窓の外を見ているクルトの背中が映った。

「そうそう刑事さん、良い後輩と友人に恵まれましたね。それじゃあお気を付けて」
「ん? 何の話だ?」

 いいえ? と、含みのあるアンリの見送りにリチェは首を捻った後、まぁいいかと馬車に乗る。クルトの背中がどこか緊張してるように映った。
 その時。
 帰ったと思っていたユスティンが馬車の前まで来たのだ。青い瞳が自分を映す。

「……そう言えば貴方はあれからどうしたんですか」
「うるせーな、お前に言うかよ。忙しい日ならとっとと帰れ」

 先程の相手が如く虫を追い払うようにしっしと追いやると、「その様子なら心配なさそうですね」と呟き、ユスティンは馬車の扉をさっさと閉めてしまった。どうも気にされていたようで声にならない笑いが込み上げてきた。

「店長、元気そうで良かった」

 話題を逸らすように話を振ると、隣に座るリチェが頷いた。

「ああ。みんな笑顔になって良かった、って所かねぇ」
「リチェ、やっぱり僕歩いて帰るわ。そんな気分になった! お前も早く仕事に戻りたいだろ?」

 意地悪く言うと、リチェは休みだとばかり思っていた日にシフトが入っていたことを思い出したかのようにげんなりとした表情を浮かべた。

「そうでもないから気にすんなよ! ……ま、それなら気を付けて帰れよー」
「ノア……これ。有り難う。また食べに行こう」

 自分が帰ると聞き、馬車の中に居たクルトはこちらに硬貨が乗った掌を差し出してくる。すぐに何の金か分かった。フライドチキン代だ。

「サンキュ、じゃあまたな!」

 礼を言い、ノアは馬車を降りた。送って貰っても良かったのだろうが、一人で街の空気を感じながら帰りたい気分になったのだ。
 教会の前で少女と青年がやはり言い合っていたが、声は掛けずに整備されていない道に出る。緩やかに流れる川を見ていると、少しして馬車が自分の横を通り抜けていった。同時に、教会から厳かに鳴る鐘の音が響き渡り、鼓膜を心地よく震わせた。
 良かった。
 一度息をついた後、思い出すのはここ一週間色々あったこと、先程ヴァージニアに礼を言われたことだった。
 怖かったけれど、知りたいと思って実行して本当に良かった。いつかイヴェットのハンカチを届けに行った時のように今、清々しい気分だ。あの日と同じ気楽さはないが、それでも今日見る夢は感慨深い物になるだろう。

「っ……あー!」

 ノアは一度伸びをして、蒸気の中のエルキルスを歩いていく。持ち上がっているその頬を、秋を感じる風が撫でていった。

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