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【エッセイ】正月の想い出

久しく健康な正月を迎えた。
普通にバイトをして、普通に新年を迎えた。
私の家では正月は地獄だった。
毎年のごとく両親が同じ理由で喧嘩をしていた。
おじいちゃん家で正月を過ごすか自分の家で過ごすかどうかで喧嘩をしていたように思う。
実を言えば喧嘩の内容はもう覚えてない。怒鳴り声と物がぶつかる音を聞きすぎて物事を忘れることが得意になった。
得意というか、ただの阿呆に成り下がった。元々かもしれない。
ただ記憶に残ったのは毎回車で喧嘩をしていてハンドルの握り合いで死にかけたことと家に警察がきた思い出、そして正月早々家出をした思い出だけだ。
良い記憶なんて、ほとんどない。
それが今年はとても良い正月になった。
どうやら長年の小競り合いにも終止符が打たれたらしい。
それでも年末から今日までかけてやることがたくさんあった。
正直、曲を作る暇もバンド練習する余裕もない。楽譜を書くことしかできなかった。
それについては反省点だが時折どうすりゃ良かったんだよ、とも思う。
カウンセリングも相変わらず苦手だ。
本音を話すことがどれだけ難しいか。

いつだって何かの板挟みに遭いながら生きている。
その中で何が自分に必要なのかを随時選ぶことが重要だと生きながら学んでいる。これは感覚的にだ。
大切にしていたものが捨てられる感触。一生懸命やったものをコケにされることも、嗤われることもある。
だからこそ、大切なものは守っていかなくてはならない。
捨てられていくのが当たり前の世界だからこそ、手のひらにあるものだけでも守っていかなければならない。
決断していかなきゃならない。自分を誤魔化すことばかりが上手くなっていったから、嫌われても自分を守らなければならないし、必要なら徹底的に戦わなくちゃ。でないと搾取され、煽りを受け、死んでしまう。
私が正月で学んだことはこういったことだ。


そして今年も良く生き延びたと褒めてやることだ。

毎年の如く疲れて眠っていると夢で親友がそろそろ動かないと危ないよ、と警告をくれた。

ありがとう。
もう一度君に会えると思わなかった。
もう少しだけ頑張ってみるよ。
声も顔も忘れていたのに、確実に会ったんだという記憶だけが残っている。

私の大切な想い出。
他ならぬ、私の物。

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