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崩御の王冠 第3話

窓から朝日がさす部屋でヴィヴレは鏡の前に座り侍女に朝の支度をしてもらっていた。
「これからの予定、わかる?」
もう一人の侍女に尋ねる。
「はい。今日はいつも通り朝食後に授業があり、昼食後は自由です。ただ、昼食後すぐに一月後にある隣国との会談に関して陛下からお話があるそうです。」
尋ねられた侍女は淀みなく答える。
(隣国との会談に関するってことはあの話ね。)
侍女にお礼を言いながらヴィヴレは思う。


昼食が終わるとそのまま父の執務室に向かう。戸を叩いて部屋に入ると、椅子に座る父ケイハーブル・イディエット・ドミナシオンと側に立つ宰相のカニング・オルドマンがいるといういつもの風景だ。
「お父様、参りました。」
「おお、ヴィーか。そこに座りなさい。」
言われて父の指したソファに座る。父も椅子から立つと机を真ん中に挟んで置かれたソファにヴィヴレと向き合う形で腰掛ける。カニングは父の後ろに立つ。
「話というのはなお前の結婚についてだ。」
(やっぱりこの話か。)
予想通りの父の言葉に耳を傾ける。
「知ってると思うが一月後に隣国のイルタニア帝国と会談があるだろう。会談ではおそらく不戦条約が結ばれることになる。」
イルタニア帝国は皇帝をトップとする専制君主制の国でブランシール帝国よりもはるかに長い歴史をもつ。イルンタニア大帝国時代にはブランシール帝国を含む広大な領地を有していた。それも関係してイルタニア帝国とは長い間、微妙な関係が続いている。それが今回の会談で解消される可能性があるのだ。
「条約が結ばれればおそらく平和の証としてお互いの皇族同士で婚約が結ばれるだろう。」
ヴィヴレは自分の前に置かれた紅茶の入った陶磁器のカップを手に取り一口飲んで次の言葉を待った。
「それでお前には隣国の皇帝の元に嫁いでもらうことになる。」
「お断りします。」
「・・・ん?」
満面の笑みで答えたヴィヴレの言葉を理解できなかったらしくケイハーブルは間の抜けた返事をする。
「ですから、お断りします。」
ヴィヴレはもう一度、今度はしっかり聞こえるように大きめの声でゆっくりと言った。
ケイハーブルは目に見えて焦って娘を説得しようとする。
「いや、しかし国同士の約束になる。それを断るなどできるわけがないだろう。ヴィー、不安な気持ちはわかるが国のためを思って言うことを聞いてくれ。」
「嫌です。それに、皇族であればいいのですよね。それなら、私ではなくてもいいではありませんか。」
「それはそうだが・・・。」
皇族同士とはいえ婚約相手は皇帝になる。ならば対等な関係で結ぶ条約である以上こちらも現皇帝の直系の血族を婚約相手として出すのが普通だ。
「皇族の年頃の娘を養子として迎え入れるのはどうですか?」
「!?」
ヴィヴレの提案にケイハーブルは目を見開いた。
「それなら、皇帝の娘を婚約相手として出すのですから問題はないかとおもいますが。」
「確かに、問題はないが・・・。」
ケイハーブルは困ったように後ろに控えているカニングを見る。
(カニングの反応を見て決めようとしているわね。)
一応この国のトップは父であるケイハーブルとなっているが、政治の実権を握っているのは宰相であるカニングなのだ。
カニングが何か助言をする前にヴィヴレは身を乗り出して父の手を握った。
「お父様、無理なお願いをしているのは承知しております。ですが、私は隣国に嫁ぐことが不安である以上にお父様達と離れるのが嫌なのです。」
「ヴィー・・・。」
ケイハーブルの瞳がわかりやすく揺れる。
「隣国に嫁いでしまえばもうお父様と会えることはなくなるでしょう。どうか、そんな悲しいことをヴィヴレにさせないで下さい。」
握ったケイハーブルの手に力を込め、俯く。そんなヴィヴレを見て、カニングは焦ってケイハーブルに何か言おうとした。が、先にケイハーブルが動いた。ヴィヴレの肩を掴むとソファから勢いよく立ち上がる。
「わかった、お前の言う通りにしよう。」
「!? 陛下!」
カニングがケイハーブルの言葉に抗議の声を上げる。
「カニング、すまないが今回はお前の言う事でも聞けん。今すぐ皇族の中から一番適した娘を選んでくれ。」
見かけだけとはいえケイハーブルはこの国の皇帝だ。宰相のカニングが皇帝の言葉に逆らえるはずもなく、苦虫を噛み潰したような顔で渋々答える。
「わかりました。」
早速ケイハーブルの指示に応えるためにカニングが部屋をあとにする。それを見てヴィヴレは小さく息を吐いて安堵した。
(良かった。犠牲になる令嬢には悪いけど、私はここで隣国に嫁ぐわけにはいかない。)
カニングが出ていったあと、二人は座り直すと改めて話し始める。
「それで、どうするつもりだ?お前はイルタニアに嫁ぐものと思っていたから婚約者は他に考えていなかったのだが。」
「大丈夫です。そこは私が考えておりましたので。」
「ほう、それは誰なのだ?」
ヴィヴレは先程、隣国との婚約を拒絶したときと同じように満面の笑みで答えた。
「お父様の弟君アルビジオン大公のご子息、フィクリット・アルビジオンです。」


父の言葉にフィクリットは耳を疑った。
「あのヴィヴレ皇女とですか?ですが、皇女はイルタニア帝国の皇帝と結婚する予定では。」
フィクリットはデビュタントのときに見たヴィヴレの高慢な顔を思い出す。
父ブライケ・アルビジオンは眉間に深い皺を刻むと深く溜息を吐いた。
「変わったらしい。どうやら姉君の娘を養子にとって、その娘を嫁がせるつもりのようだ。」
「まさか・・・。」
馬鹿げた話に言葉が続かなかった。
「まったく、兄上は何を考えているのだ。」
ブライケが苦々しく言葉を吐く。そして、フィクリットを見ると険しい顔のまま言う。
「取り敢えず、明日の昼に皇宮で会うことになった。フィクリット、この婚約の意味がわかるか。」
「はい。」
フィクリットは重々しく頷いた。父に話を聞いたときから思っていたことだ。ただ、相手である皇女がわかっているかは疑わしいが。
「明日の顔合わせでまともな理由が聞ければいいがな・・・。」
ブライケは半分諦めの顔で呟いた。


太陽が真上に上ったころ、ヴィヴレは両親と数人の使用人を引き連れて王城の荘厳な扉の前に立って人を迎えていた。
「兄上、お久しぶりです。」
目の前には人の良さそうな笑顔を浮かべた男が立っていた。アルビジオン大公である。その隣には思わず目を引く容姿の少年が朗らかに微笑んで立っていた。
「皇女様、デビュタント以来ですね。フィクリット・アルビジオンです。」
フィクリットは天使のような笑みを浮かべてヴィヴレに挨拶をする。
「・・・。」
ヴィヴレはそれに答えることなくフィクリットを見つめる。
「・・・どうかされましたか?」
フィクリットが困ったように首を傾げて尋ねる。ヴィヴレは我にかえって慌てて答えた。
「ごめんなさい、その建国伝説に出てくる初代皇帝の容姿によく似ているなと思いまして。」
「ああ、よく言われます。」
笑って答えるフィクリットは鮮やかな金色の髪に青の瞳を持っている。それは子供の頃によく聞かされる建国伝説に出てくる初代皇帝の特徴とよく似ていた。
(やっぱり、皇族ね。)
光が当たって輝く金糸の髪を見てヴィヴレは思った。
「立ち話もなんだから中に入って話そう。」
父であるケイハーブルが笑ってアルビジオン家を中に招き入れる。
「兄上、話すと言っても婚約の誓約に関してだろう。それなら話すのは私達で十分だ。子供達二人は仲を深めるためにも二人で過ごさせたらどうだろう。」
「ふむ、そうだな。」
ブライケの言葉にケイハーブルは頷く。
「それなら私、庭園で話がしたいです。今日は天気もいいですし。」
ヴィヴレはにこにこと無邪気な笑顔で父を見上げる。
「そうか、ならそうしよう。」
ケイハーブルはヴィヴレの頭に手をおいて笑顔で答えると執事に準備をするように命じた。


ヴィヴレと二人で庭に出たフィクリットは庭園の眺めに驚く。
「凄いですね。」
「そうでしょう。」
庭園の色とりどりの花に魅入るフィクリットを見てヴィヴレは微笑む。
花や植物に囲まれるように置かれた円テーブルと、前に置かれた椅子にヴィヴレが腰掛けるとフィクリットにも座るよう促す。
執事から出された紅茶を手に取り一口含んだ。
「初めの印象とだいぶ違うかしら?」
先程からヴィヴレを伺うように見てくるフィクリットにカップから口を離して尋ねる。
「あっ、いえ。」
見ていたことがバレて気まずいのかフィクリットは慌てて目を逸らすとカップを手に取って紅茶を飲む。その様子にヴィヴレはふっふっ、と小さく笑う。
「驚くのも無理はないわ。あれから自分の行動を恥じて改める機会があったのよ。」
「そうですか・・・。」
ヴィヴレの言葉をどこか釈然としない顔で聞く。
「あの、皇女様はイルタニアとの婚約が決まっていましたよね。それがなぜ」
「貴方との婚約話に変わったのか、かしら?」
フィクリットの言葉を引き継いで聞く。フィクリットは頷いた。そして、ヴィヴレの言葉を緊張した面持ちで待つ。
「私がお父様にお願いしたの。」
ヴィヴレはあっさりと答える。
その言葉にフィクリットは矛盾を覚えた。
「不思議そうな顔ね。」
ヴィヴレの言葉にフィクリットは答えあぐねる。だが、フィクリットが疑問に思うのも当然であった。ヴィヴレは先程、自分の過去の行動を悔いたと言った。だが、今回の件はまるでデビュタントで会ったときのヴィヴレのわがままと同じなのだから。
ヴィヴレは持っていたカップを静かに置くとフィクリットを正面から見つめた。そして、デビュタントの時とはまるで違う大人びた微笑みを携えて、ゆっくりと口を開いた。
「フィクリット、貴方皇帝になる気はない?」


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