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泣けないわたし

猫の日によせて


いつからだろう。わたしは全然泣けなくなった。
悲しい映画を観ても、ドラマを観ても泣けない。小説もダメ。動物ものか子どもの話なら泣きそうになっていたころもあったけれど、最近はどうだろう。
ぎりぎり泣けそうなのはドキュメンタリーかな。ただ、グ~ッとこみ上げるものはあっても、あと一歩のところでスッと涙が引っ込んでいく。滲むくらいで終わってしまう。

大泣きしたい! 思いっきり泣いたら、胸に居座っているモヤモヤが消えてなくなるんじゃないか。
そう思っていた時期もあったけれど、そんな気持ちもいつのまにか消えている。


直近で泣いたのは、猫が死んだときだ。
とはいえ泣いたのはほんの一瞬で、くまきち(猫の名前)の死を覚悟してからあれこれ想像していたほどには泣けなかった。

穏やかな最期だった。
このまま眠り続けて静かに息を引き取った。


えっ、これで終わり?
これしか泣けないの?

拍子抜けしたような気持ちのまま、しばらく力一杯抱きしめていた遺体を、そっとバスタオルの上に寝かせ、ブラッシングした。
脚に、スコティッシュフォールド特有の骨瘤ができて痛かったのか、くまきちは晩年、わたしにもいっさい体を触らせなかったから、身体のあちこちに硬い毛玉ができていた。中途半端に長い毛が絡まって塊になった毛玉を、ひとつひとつ丁寧に取り除いた。その作業も、本当だったら泣きながらやりたかった。

痛かったね。もっと頻繁に病院に行っていたら、もう少し何とかできたのかな。でも、病院嫌いだったもんね。最後も、動物病院のベッドを前にして「なんでこんなところに連れてきた」って顔で、わたしを睨んだよね。
あのあと一気に体が弱っちゃったんだよね。
帰ったと同時にキャリーから飛び出したまでは良かったけれど、飛び出した瞬間、腰が抜けてしまって急に立てなくなっていて。後ろ脚が何度も何度も床を滑って、くまきち、焦っちゃってさ。

ごめんね。あのとき、わたし、思わず笑っちゃったよ。ごめんね。わたしさえ諦めることができていたら、どこにも連れていかず、あのまま家で静かに過ごさせてあげていたら、数日だけでも長く生きていられたのかな。
何も食べず、水を飲んでも吐いてしまって寝てばかりいるくまきちが心配で心配で仕方なかったんだ。
触るともう少し冷たかったしさ。どうしたらいいのかわからなくてさ。
ふがいない飼い主で、弱っちいパートナーでほんとうにごめん。

心のなかでつぶやきながら毛玉を梳いた。

くまきち、どうして死んじゃったの? もっといっしょにいたかったな。
15年なんてやっぱり早すぎる。

恨み言を呟きながら、涙をポロポロこぼしたかった。
でも、涙は出ない。
と、書きながら今、急に胸が熱くなって何かがお腹のあたりで蠢き、もち上がりかけたけれども引いてしまった。あぁ、、、

このモコモコの毛が、みんな毛玉になったのだ

こんなに可愛かったのに。こんなに愛しかったのに。
なぜ泣けないんだろう。
歳をとると泣けなくなるんだろうか。わたしの感情は枯渇してしまったのだろうか。

涙にもきっと人生の総量というものがあって、わたしの涙は枯れたのだ。泣くことを諦めた。穴の空いたような心もちだけがあって、わたしはただ淡々と毛玉を梳いた。


ところが

くまきちの遺体を火葬した翌朝のことだった。
ふいにお天気雨が降り出した。
慌ててベランダに出て、あたりを見回した。
雨に、朝日が斜め上から当たっている。どこかにきっと‥‥。

あっ、あった。

遠く北にそびえる森タワーのあたりに1/8円形の虹ができている。
涙がぶわんと溢れ出た。

くまきちが虹の橋を渡って行く。あんなに痛かった脚で思いっきり走っている。昨夜、骨瘤ができていたっぽいゴツゴツになっていた脚の骨だけ避けてもらって、骨壺に入れてもらわなかったんだよ。
良かった。もう痛くないんだね。
痛みがすっかり消えて、くまきちは元気に空を駆け上がって行くんだ。

2021年2月1日午前8時25分

もう涙は止まらなかった。。

くまきちが、くまきちが
虹の橋
渡ってる

途切れ途切れに声に出しながら、虹の空を指さした。
指さしつつも、あっと思う。
この虹を撮らなくては!
スマホじゃ無理。イチガン、電池入ってるかな。
慌てて部屋へ戻ったときには、すでに涙は止まっていた。そのまま半日くらい泣いていたかったのに、ものの5分か10分足らずで涙は枯れた。

なんてバカ。写真なんてどうでもいいのに。
駆けて行くくまきちをどこまでも見送りたかったんじゃなかったの? 
ブログにハマりすぎた自分が恨めしかった。ただ、ブログにあそこまでのめり込んだのは、くまきちがいてくれたおかげでもあった。


そして
泣けたのはやっぱり良かったんだろう。
涙が出た分、立ち直りは早かったと思う。


くまきち3~4歳。初めて雪を見た日

2021年2月1日。それがわたしが最後に泣いた日だ。だけど
もっともっと感動して泣きたい。嬉しくて、楽しくて、幸せで泣きたい。
哀しいときは、溶けてなくなるほど泣きたい。
泣ける女になりたいのです。



おまけ


この記事にインスパイアされて書きました。


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