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写真っていいなと改めて、

こんばんは🌙

すっかりお久しぶりの投稿になってしまいました。
改めてnoteの投稿をしようと思えたのは、先日読んでいた松浦弥太郎さんの『エッセイストのように生きる』のおかげです📕✨


その本の中で、
松浦さんは「写真」について、次のように話していました。

写真の裏側にあるストーリーを想像して、頭の中で映像作品を創作する。その自由さや余白が、読者の豊かさである。

松浦弥太郎『エッセイストのように生きる』より

私はこの内容を読んで、ハッとしました。

最近、友人とカメラを持ち寄って、出掛けた先で撮影をする機会があったのですが、その時私が感じた写真に対する魅力、愛着そのものだったからです。

そこで、改めて写真っていいよなぁと、思った時の感情を私なりの言葉で残しておこうかな、なんて思いました。

私にとって、写真を撮るとは、日常の一部を切り取ること。

ありふれていて、見慣れた景色でも、
写真として切り取られた瞬間、それらの景色と切り離されて、その一部分だけで存在しているように感じる。

さっきまでなんともない景色の一部だったのが、
急に主役のような魅力を放つ。
写真を見た人は、この写真が撮影された裏側、ストーリーに興味を惹かれる。

見た人の感性に任せて、写真の中の世界が写真という枠を超えて、広がり始める。
だから写真の可能性は無限大だなぁと。

なぜこんなことを考えたのかと言うと、
友人と撮影をしていた時、
目的地のカフェに向かって、ひたすら歩いていたのですが、ふと、道路沿いのコンクリートの壁に、つるが覆い被さっているのを見て、とっさに撮りたくなったんですよね。

その時は、なぜ撮りたくなったのかわからなかったのですが、今考えてみれば、無機質なコンクリートに、生命力を感じる緑という、このコントラストが印象的だったからだと思います。

写真を見た人の中に、私の撮影動機を正確に言い当てる人はいないかもしれない。このつるが、どんな風景の一部にあるのかも、撮影者にしかわからない。

でも、それだから素敵ではないですか?

ありふれている日常の一部だからこそ、解釈も様々であり、異なる。

その余白、見る人の想像力に委ねる自由さに、
私は、撮影する楽しさを覚えるのかもしれません。

改めて、写真っていいな、

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