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短編小説を読んでみる


こんにちは!占い勉強中のあやです。


文庫本が好きで以前からよく買っていたのですが、今さらながらほとんど読んでいないことを反省しております。noteをはじめて、こんなにも本を読むことを好きな方がいることを知り、背中を押してもらえたような気持ちに勝手になり、まだ読んでいない本を手にとってみる気になりました。

短編小説が好きな人のような表題にしていますが、私が好きなのは薄い本なのです。文庫本の醍醐味ってそのあたりにありませんか?薄ければ薄いほどゾクゾクして、つい買ってしまう。ええ、わかっていますとも。世の真の本好きの皆様は長い物語のなかにこそ、本を読む喜びがある、こう思っている方が大勢いることを。でも、でもですよ。手帳ほどの薄さの文庫本の中に愛があり哀しみがあり、憎しみさえあるかと思うと、そして、わずかな枚数の小さな本が贅沢な気がして、出版社さんありがとーっと、お山に向かって遠吠えしたくなるのですよ。

前置きが長くなりましたが、要するに根気がないということですね。しかし、私も年も年だし、眼が悪くなる前にせめて薄いからという理由で買い集めた文庫本を読みたくなったのです。大体200ページ以内の本を薄い本としたいと思います。

*  少年  川端康成 新潮文庫


月刊 「波」2022年5月号 と本書


今年中に、川端作品を読みたいと思っていました。没後50年です。もう少し、生きてて欲しかったなー。本書は178ページです。そしてこの本は没後50年ということで文庫化されたものです。帯には

旧制中学。寄宿舎。美しい後輩との少年愛。

とあります。ほっほう、川端康成に少年愛とは。
川端康成が肉親と縁の薄い少年時代を過ごしたことはよく知られていますが、唯一の肉親の祖父が亡くなってから親戚に預けられ、旧制中学は寄宿舎生活を送っていました。そのなかで出会った二つ年下の清野少年への行き交う感情を手紙に書いたものがそのまま載せてあります。

お前の指を、手を、腕を、胸を、頬を、瞼を、舌を、歯を、脚を愛着した。
僕はお前を恋していた。お前も僕を恋していたと言ってよい。
川端康成  「少年」より

旧制中学といえば今の高校生くらいの年齢でしょうか。多感で寂しい心を共有してくれる美しい少年がいれば、そういう心持ちになるかもしれません。川端自身も祖父と暮らしていた頃によく訪ねていた友人家族に対し、異性に対する思慕に似た感情を抱いていたが同性愛ではない、と述べています。

女の子でも、友達同士でヤキモチ妬いたり友人を奪りあったりすることもありますから、そういう感情なのでしょうか。一方の清野少年はとても純粋な性格で愛するものの全てを受け入れる無垢な魂の持ち主。清野少年の川端への愛は崇めるような気持ちだったのかもしれません。清野少年の父はある宗教の重要人物であり、川端自身も卒業後、清野少年に会うためにその修行場を訪ねています。

清野少年が滝に打たれている姿をみてその神々しさに心打たれ、次にぐっと反発を覚え、その後清野少年と別れてから二度と会うことはなかったそうです。

生きていく、方向性の違いというかなんというか年を重ねるにつれてそういうものが明確になると今まで親密に付き合っていた人が一気に遠くなったりするものですが、清野少年に対し感謝の気持ちを持ち続けていると述べています。

たとえ今会おうと思わない人でも、あの時あの瞬間、その人の存在がなければ生きていけなかった、そういう人って誰でもいるのではないでしょうか。少年期だと同性になりやすいですよね。いろいろな感情が湧き起こるけどやはり存在してくれていてありがとう、っていう他ないです。

川端康成にとって清野少年はそういう存在だったんでしょうね。川端康成は短編小説の名手なのでこれからもコツコツうっすい本を狙って読みたいです!

以上、ここまでお読みくださり
ありがとうございました🌻

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