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短編小説を読んでみる③向田邦子『男どき女どき』鋭さの中にやさしいまなざしがある!

こんにちは!
占い学習中のパルです。
今回も薄い本読みました。

『男どき 女どき』  
向田邦子著 
新潮文庫


197ページです。丁度いい薄さ。小説とエッセイがいい感じに収められています。

随分昔になりますが、地方大学出身の私が就活のたびに上京するといつも居候させてくれる友人がいました。そのお宅ではじめて向田邦子の小説を読みました。面白かった。向田邦子はその数年前に亡くなっていて時代も昭和から平成に移っていたけど、向田作品はすらすらと読める割に最後に腹に重たさが残りました。

向田邦子は昭和のテレビドラマの脚本家として名作を書き残した人。亭主関白の父と、父に叱られ、時に台所で涙しながらも家族のために尽くす笑い上戸の母という昭和の両親のもとで育ち、家庭での男の役割、女の役割が分かれていた時代の家族のあり様を描いてきました。

この作品の小説には、世間体を重んじ、人に迷惑をかけぬよう生きている普通の人達がひょんなことから日常に揺らぎが生まれ、自分の寄って立つ場所を失うかもしれないその怖さが描かれています。
「鮒」、「ビリケン」、「三角波」、「嘘つき卵」
どの小説も事件という事件でもないのに、対処を間違えれば自分の居場所を失いかねないような出来事が起こります。それぞれの主人公はときに家族に対して疑心暗鬼に囚われながらも、日常を継続させるために自分の行動や考えを修正していきます。自分の日常生活を守るためには見て見ぬふりもするし、当然、臭いモノにはフタをすることもあったでしょう。向田作品にはそういう小さい努力と小さな諦めのようなものに、深い愛情があるように思います。

数えるほどだが外国を廻ってみて、西欧の女たちが、料理の注文ひとつにも、実にはっきりと自己主張をするのを、目のあたりに見て来た。正しいことだし、立派な態度だといつも感心する。見習わなくてはいけないと感心しながら、私はなかなか出来ないでいる。(中略)
ウーマン・リブの方たちから見れば、風上にも置けないとお叱りを受けそうだが、私は日本の女のこういうところが嫌いではない。生きる権利や主張は、こういう上に花が咲くといいなあと、私は考えることがある。

『男どき 女どき』収録「日本の女」より

昭和も終わりの頃には随分いろいろな価値観が変わってきたのでしょう。抜粋したエッセイはレストランなどで注文したものと違う料理がきても「まあ、いいわ」と大して気にもせず食べてしまう自分や自分の母の姿をかえりみての思いです。やさしいまなざしです。

令和の今、向田邦子が生きていたらどんなドラマを書いてくれたでしょうか。時代は変わっても人間である限り、うれしいことは笑い、悲しいことには涙するでしょうから人間の持つ、情けや業を時代に合わせ書いてくれたでしょう。

九十九パーセントの成功と、一パーセントの失敗を期待して、人々はサーカスに出掛けてゆく。
オートレースに事故がなかったら、
闘牛士が絶対に突き殺されなかったら、
空中ブランコが絶対に墜落しなかったら、
見物人は半分に減り、ため息も興奮も拍手も恐らく今の半分であろう。
道化師に笑いながら、私たちは気持の隅っこでサーカスに悲劇を期待している。

『男どき女どき』収録「サーカス」より


向田邦子の作品を読むと、時々背中がゾワッとすることがあります。こういう意識しない悪意なのか悪意でないのかわからない感情を物語の中にポイっと放り込むのが上手いのです。時代は変わっても人間の根本は変わらない部分がある。そこを向田作品はくすぐってくる。突き刺してくる。だから今でも読まれ続けているのだと思います。

この小説『男どき女どき』という言葉は世阿弥の「風姿花伝」からの引用で、何事も成功する時を男時、めぐり合わせの悪い時を女時というそうです。
運命の陰陽をいっているのでしょうか。

ここまでお読みくださり
ありがとうございました🌻

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