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書きたいことがなくても。

更新頻度が、めっきり落ちている。

最近の投稿を読んでも、伝えたいことが形になってない。これでは、読む人も困るだろう。ある程度の頻度で書いていないと、書くことの筋力が落ちるのだろう。書くことがあるとかないとかいう前に、目の前の画面を文字で埋めていくこと。あるペースでキーを叩くことを続けることで、それらしきものが、現れる。

ある程度の速度がないと、書いている自分に批評する自分が突っ込みを入れ始める。それを振り切るために、ある程度の速度が必要なのだ。書いていれば、出来れば毎日書いていれば、自分への突っ込みを振り切って、文章が書ける。

そもそも僕には、書きたいことあるのか。ある。政治的なことについて書いてみたい。しかしいかにnoteが安全な場だとしても、公の場で、政治について語るのは勇気がいる。もう一つ。散々書いてきたが、50代の私が忘れてはいけないこと、テーマにしていることも書いていきたい。でもね、それって、自分の手帳やノート、紙に書いて壁に貼っておけばいいんじゃないかって気がする。

そう考えると、noteって、何を書く場なのだ?という事になる。ぐずぐずと書いてきたけれど、ただ、書く場なのかもしれない。内容があれば、もちろんそれを書けばいいのだけれど、内容がなければ、今日のように、内容がない事を書けばよいのだと思う。

書き続けていたら、そのうち書きたいことが浮かんでくるように思うのだ。
これで、やっと一つ書いた。また、書きたい。そもそも自分は、書いているうちに、ちょっと気持ちよくなるようにできているのではないだろうか?

あなたは、いかが?

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