あるべき姿がないって素敵『哀れなるものたち』
※この記事は、映画の内容について触れています。ネタバレを含むため、映画を見てからの閲覧を推奨いたします。
あらすじ
医師のゴドウィン・バクスター(ウィレム・デフォー)は、瀕死状態のベラ・バックスター(エマ・ストーン)の一命をとりとめるため、脳移植の手術を行う。その結果、ベラは、体が成人女性、脳は幼児という特異な状態になってしまった。
そんなベラの脳は、驚異的なスピードで成長していく。
それを見守るゴッドの助手、マックス・マッキャンドレス(ラミー・ユセフ)は、ベラと交流するうち、彼女の魅力にどんどん惹かれていった。
しかし、そんなある日、弁護士であるダンカン・ウェダバーン(マーク・ラファロ)が、ベラに外の世界に出てみないかと持ち掛ける。
ベラのすんごい成長っぷり
脳は子ども、身体は成人のベラ。彼女は、子どもの精神のまま、性体験を得ることができてしまう。
ある日、自慰行為に目覚めた彼女は、「幸せになる方法を見つけたの!」と執事のスワイニー(キャサリン・ハンター)に無邪気に報告する。まだ幼い精神状態であったベラの中では、性の快楽と幸せが同一化していた。
しかし、そんなベラも、ハンナ・シグラ(マーサ・フォン・カーツロック)やハリー・アストレー(ジェロッド・カーマイケル)らと話すうち、知識を得、真実に触れて、確実に成長していく。
そして、ベラの体を求めるダンカンに、「太陽の邪魔よ」と言い放つまでに彼女は成長した。
単純に快楽を感じるだけでなく、知識を得る喜びを知ったベラは、より美しい。
彼女は、成長するにつれ、性の快楽と幸福との違い、人生におけるセックスの役割を理解していったのだ。
自称「自由な男」ダンカン
自称「自由」な男、ダンカン・ウェダバーン。
自由人であったはずの彼は、愛人であるベラの、性に奔放な行動に耐えきれなかった。ベラを我が物にしようと、自分のそばに縛り付けるため奔走する。
性欲により嫉妬に取りつかれた男、ダンカンは、ただ自分だけを愛してほしいと望んでいた。
もしかすると自由な精神は元より持ち合わせていなかったのかもしれない。
そして、ベラは、そんなダンカンの気持ちを知ってか知らずか、パリで金銭の不足に困るダンカンを助けるため、娼館で働く。しかし、ダンカンは、稼いだお金を分けるベラに対し、娼婦になるなんて最低だと罵る。
救いの手を差し伸べたベラを、嫉妬心や偏見から無下に扱う。
マックスは、本当にベラを愛していたのか。それとも、ベラを手に入れようとする自分を愛していたのか。
彼の生き方は、お世辞にも胸を張れるものだとは言い難いが、自分の恋愛観にダンカンが潜んでいると感じてしまった方も少なくないのではないか。
マックスとの現実的な恋
どこか幼稚で、理想主義的なダンカンは、その理想の高さゆえか、自分の偏見をベラに押し付けていた。
それに対し、マックスは、ベラの価値観、娼館で働く過去を聞いたうえで、それを受け入れ結婚式を挙げる。
そんなマックスに、ベラは「あなたとの現実的な恋が好き」と告げる。
これは、ダンカンとの関係に疑問を持ったベラが出した1つの答えではなかろうか。
また、ダンカンと旅行していた諸所の風景は、独創的かつ架空のものといった印象が強かった。
しかし、ダンカンと別れ、旅からの帰省した後は、緑溢れる風景や、現代的な建物など「現実的な」風景が多くあったと感じたのは気のせいだろうか。
革新的かつ魅力的で風変りな世界観
作中度々出てくる、のぞき穴から覗くような撮り方のギミックが印象的であった。
視聴者である我々は、映画の世界にいるのではなく、あくまでも観察者であると強調しているかのように思える。観察者として俯瞰できるからこそ、より冷静に登場人物の「哀れ」感を観察できたのだろうか。
また、服装においても特筆すべきであろう。
序盤は、ベラの幼い精神状態を象徴するような派手な色、アンバランスさを感じる服装であった。しかし、ベラが、成長するにつれて、落ち着いた、シックな服装に変遷していった。
セリフから、視覚から、四方八方から得られる「成長感」は、私たちの心に響く。
めっちゃ個人的感想
この『哀れなるものたち』を26歳で体験することができて本当によかったと思う。
自分の中の、偏見やそれを他人に押し付ける自分に気づかせてくれた。
この映画を作ってくれて、本当にありがとう。
画像引用元
哀れなるものたち 公式サイト
https://www.searchlightpictures.jp/movies/poorthings
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