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私の10年間の体操競技人生(137期 石川)

こんにちは。商学部2年、漕手の石川恵奈です。今回ブログを担当するにあたって、何を書こうかずっと考えていたのですが、私が人生の半分以上の時間を捧げてきた「器械体操」という競技について、まだあまり周りにも話したことがないなと思ったので、今回はこの機会に私の10年間の体操競技人生について書かせて頂こうと思います。
まずその前に、器械体操という競技についてあまりご存知ではない方に説明しようと思ったのですが、文章で説明すると長くなりそうですし分かりづらくなりそうなので、気になる方だけ良かったらYouTubeとかで調べてみてください。ざっくり説明すると、内村航平とか村上茉愛とかがオリンピックなどでくるくる回っている、あれです。
そんな器械体操と私が出会ったのは小学校1年生の時です。小さい頃から習っていたテニスにもそろそろ飽きてきて、もっと運動がしたい!と騒ぐ私に、母が家の郵便ポストに入っていた体操教室の夏期講習に連れて行ってくれた事が始まりです。技に成功すると次のステップに進めて、自分の成長がわかりやすく見える体操の特徴が自分の性に合っていたのか、すぐに体操が好きになり上達することができ、小学三年生になったタイミングで選手コースという本格的に練習をするクラスから声をかけてもらうことができました。それからは、週6回、I日四時間半と文字通り体操漬けの生活が始まりました。放課後に同級生の皆が遊びに出かけたりする中、電車の中や練習が始まる直前まで宿題をし、きつい練習を四時間半こなし、帰りの車の中で母が作ってくれた夜ご飯を食べ、帰ってきたら寝る、そんな日々を何年も過ごしていました。正直、小学生からこんな生活をしている人は周りにもいなかったですし、技がうまくできない時期は、こんなきつくて忙しいくらいならやめてしまいたいと思うこともありました。それでも、新しい技ができた時の達成感や試合でいい点数をもらえた時の喜びがとても好きで、また同じ気持ちを味わいたい!という思いで毎日練習に励んでいました。
そんな私の競技人生がなぜ10年で終わってしまったのか、それは中学一年生の時、大きな技に挑戦した際に怪我をしてしまったからです。「ダブル」と言って空中で2回宙返りをするという床種目の大技の途中で、足を抱えていた手が外れ、回転がかかったまま体が開いてしまい、そのまま海老反りの状態で床に叩きつけられてしまいました。この時に分離症と呼ばれる怪我を患ってしまった腰が最後まで治りきらず、大学受験を前にして真剣に今後のことを考えた時に、体操ではないと判断し高校1年生の秋に10年間の体操人生に幕を閉じる決断をしました。
ここまで、長く私の体操人生について綴ってきましたが、この10年間、たくさんの時間を犠牲にしてこの競技に打ち込めたことを私は一度も後悔していません!!腰の怪我により、ろくに試合にも出られず、出られてもいい結果が残せないことが続いた最後の数年間があったにも関わらずこのように思えるのは、自分の中に10年間やりきった!自分のベストを尽くせた!という気持ちがあるからだと思います。今振り返ってみてもあの時間は自分の人生の中でとても濃く充実していました。また、怪我をして体操を高校一年生のうちにやめていなければ、おそらく慶應にはいなかっただろうし、ボートという競技にも出会えていなかったと思います。


ボートは私にとって全くの新しい世界でどこをとっても器械体操とは真逆のスポーツです。ですが、このなにかの縁を大切にして、四年生になって振り返った時に、たとえどんな結果であろうと、あの10年間と同じように、自分のベストを尽くせた!と胸を張れるような競技人生にしたいです!!

137期 
石川恵奈

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