見出し画像

「縁(えにし)の使者の獣医さん」第8話


「希望の光」

 ここまで話して、ニャーは、大きくひとつ息を吐いた。
そして、ニャーは遠くを見るような目を窓の外に向けながら話を続けた。
「もうすぐ私は天国に還ることになるだろう。
ただ私は猫として永く生きすぎた。だから普通の猫のように、ただただ、マコとのこの暮らしが幸せすぎて、まだまだマコと一緒にいたいと思ってしまう。
 マコが可愛くてしかたないのだよ。
私を慕い、私に寄り添ってくるマコが可愛くてしかたないのだよ。
 天に還ったら私は虹の橋でマコを待つだろう。
マコがこの先の長い人生において、自分の使命を果たして虹の橋にたどり着き、再び、そこで待つ私と会えるのはずっとずっと先のことだ。 マコはまだ若いからね。 
それが寂しくもあり、悲しくもあるのだ。
 だから、私は少しでも長く生きたいと願い続けてきた。
時には子猫のようにジャレてまとわりつき、時には親猫のように甲斐甲斐しくうるさいほど私の世話をやく、そんなマコが愛おしくて可愛くて仕方ないのだ。
マコとの残りわずかなこの時間がたまらなく愛おしいのだよ。
 おそらくマコも私と同じ気持ちだ。
マコとの魂の結びつきが強いからこそ手に取るようにそれがわかる。
 けれど別れの時はすぐそこだ。
だからこそ、私はずっと怖かった。私が天に還った後のマコの嘆きや悲しみの深さが手に取るようにわかるからだ。

 父さんたちもまた、マコ同様、悲しみの淵に落ちてゆくだろう。
私を失った悲しみで心を閉ざしてしまうかもしれない。
それが怖かったのだ。
 マコは嘆き悲しむだけではなく、何としてでも這い上がって前を向かねばならない。再び、私と出会い、天国で暮らしていくために。
 父さんもまた、魂の縁の使者として、その役割を果たして天国に向かうため、何としてでも悲しみの淵から這い上がってこなければならない。
 だからこそ、それを助ける新たなペットとしての使命を持つ魂が必要なのだよ。
かつてポチ兄さんから私が引き継いだように、今度は私からその役割を引き継ぐ魂の存在が。

 そして、お前がこうして、ここにやってきた。
まるで『魂の縁』に導かれるかのように今日、こうしてお前がやってきた。
 私が還ったあと、父さんたち、特にマコは一度は絶望の淵に落ちるだろう。
けれど、必ず前を向いてくれる。
そして、また使命を果たすために、まっすぐに歩きだしてくれるはずだ。
虹の橋にたどり着き、私と再び会うために。
 ただ、絶望の淵は深くて、ややもすれば闇に取り込まれてしまうほどの深さになる。だからその時にお前の力が必要になるのだ。 
 それにマザーもいてくれる。だから、マコは大丈夫だ。
けれど、やはり、マコたちが背負うダメージを少しでも少なくするために、ピュアたちに加勢する親衛隊としてお前が必要になるのだと思う。
 だから、お前は、おそらく、お前自身が望むように、ペットとして、その使命を担う存在になれると思うよ。」と。

 僕は、いつのまにか泣いていた。
ニャーの話を聞きながら、うれしさと安堵で胸がいっぱいになって、ポロポロと涙があふれてきた。
「先生のペットになれる」
その喜びと安堵感でただただ心が満たされて、ニャーの話が終わっても涙を流し続けていた。
 
 そんな僕を見ながら、「ただ、もう一つ、お前に話しておかないといけないことがある。」ニャーはそう言って、とてつもなく重い枷を振り払おうとするかのように思い切り、ブルブルっと上半身をゆすった。
「お前が父さんのペットとして生まれ変わってくるとした時、おそらく、魂の縁の使者のペットとなるには厳しい制約が課せられることになるだろう。
 父さんにしか育てられないような、父さんが飼い主でなければ生きてはいけないような重いダメージがペットの宿命として課せられる。
 つまり、とてつもなく重い病気か、または障害を一生持ちながら生きていく宿命を背負うのだ。
それでなければ私たちのように父さんのペットにはなれないのだと思うよ。
 実際、私を見てもわかると思うが、ここにいる3匹を見てごらん。
彼女はチョコだ。」
とニャーは、ニャーのすぐ横に座っている犬を名指しした。

「チョコ」

 ニャーの隣に前脚を投げ出してチョコンと座っている「チョコ」と呼ばれた犬は16歳の高齢犬。
 カフェオレ色のカールの毛並みが美しい犬だ。
ただ異様に小さい。
小型犬というより、うさぎのような大きさのイメージだ。
 だから隣のニャーがより大きく見えてしまう。
つまり、チョコは犬でありながら猫よりも小さいことになる。

 チョコは「よっこらしょ」という声が聞こえるような緩慢な動作で前脚を立てて座り直しながら、「あたくしはチョコと申しますのよ」と少し甲高い声で貴婦人のように丁寧にあいさつをしてくれた。
 改めて正面から見るとチョコの右前脚はなんだか奇妙だ。
右肩からぷら~んと力なく垂れたように見える。
 そしてその右脚は異常に短かく、おまけに「足首から指先」の部分は一般的には地面を踏みしめるために前腕とは直角に屈曲していて正面からは見えないはずだが、チョコの「右足首から指先」は正面から全姿が見えるのだ。
 
 僕がチョコの容姿に少しとまどっているのがわかったのか、
「チョコはTカッププードルだ。小さい身体になるように人間が掛け合わせて生まれた犬種だ。小さければ小さいほど高価な値がつくらしい。」とニャーは言った。
チョコは「そうは見えないでしょうが、これでもあたくしは50万円の犬ですのよ。ほほほ」と少し得意げにそう言った。
「チョコは私の次にペットとしてやってきた魂だ。」とニャーはチョコのことを語り始めた。
 
 チョコは16年前にペットショップで最初の飼い主に50万円で購入された。
名前は「スノー」。
 スノーは生れたときは元気だったが、買い取られてからは、なぜかどんどん病弱になっていった。
 5歳の頃、ちょっとした段差を降りたことで右前脚の肘から手首までの前腕を骨折し手術を受けた。
その骨折はいったん完治したが再び6歳頃に同じ部位を骨折。
 再び手術を受けて完治するや否や再び同じ部位を骨折した。

 あまりの再三の骨折についてスノーの飼い主はマザーに相談した。
彼女はマザーの相談者だった。
 実はスノーを購入するように「お告げ」として指示したのも他ならぬマザーだった。
 ちょうどその頃、父さんとマザーは出会っていた。
マザーは父さんのところにスノーを連れていくように彼女に指示した。

 父さんは診察の結果、スノーには骨移植が必要と診断した。
再三にわたり骨折を繰り返す「橈骨と尺骨」を元の長さと元の強度に修復するためには骨移植が必要と判断したのだ。
 父さんには骨移植の経験がなかったため彼女に高度専門病院を紹介した。
 スノーはそこで骨移植を実施し、術後の経過は良好に進んでいるように見えた。
だが、ほぼ完治寸前の時期の診察時、創部を診察した獣医が悲鳴を上げた。 なぜなら固定中の手術部位が再び骨折していたからだ。
信じられない状況だった。
 それまでは移植した骨も安定的に定着し順調に経過していたし、あとはギプスを外すのを待つばかりの回復を見せていたのに、なぜ、ギプスの中で移植した骨が乖離し手術前のように橈骨と尺骨が横一文字に真っ二つに割れているのか、担当医には到底理解しがたいことだった。
けれど目の前で起こっている事実に対応するため、担当医は再手術の申し出をした。
 
 彼女がマザーにそのことを報告するとマザーは
「そうでしょうね。初めから『先生に手術してもらいなさい』とあれほどあなたに言っていたのに、違う先生が手術したから当然よ。専門病院の先生には悪いけれど、スノーをそこから連れ帰り、今度こそ、先生に手術してもらうようにしなさい」と淡々と言い放った。
 父さんはスノーの術創を目の前にして、彼女からそのいきさつを聞いた。父さんは、いくらマザーの指示であっても、骨移植専門の先生がやってもうまくいかなかった症例で、しかも、もう一度、高額な治療費が必要となる骨移植を経験のない自分がやることなど到底、考えられることではなかった。
 父さんは彼女に「高度専門病院からの再手術の申し出を受ける方がいいと思います。申し訳ありませんが、自分には無理です」そう伝えた。

 マザーから父さんに連絡が入ったのは、ちょうどその時だった。
「先生。スノーの骨移植はどのみち、成功はしません。どんなに上手な先生がしてくれてもスノーの前脚の骨は決してくっつきはしないのです。
とにかく先生が手術して骨移植の手術をしてください。
 経験がないからこそ、骨移植をスノーの手術で経験してください。
けれど残念ながら骨移植は成功しないのです。だから肘から足先までの部分が失われないようにだけ留意してやってください。
 そして、これからはスノーの飼い主は先生です。
具体的には奥さんです。
 名前を付けて先生のうちのペットとして育ててください。
おそらくこの子は先生たちにしか育てられませんから。この子は先生たちを守るためにやってきた魂ですから。」
とマザーはいつもとは別人のような低くくぐもった、まるで何かが乗り移ったかのような淡々とした冷ややかな口調でそう指示すると電話を切った。

 父さんは呆気にとられた。
これまでもマザーのお告げに触れることは何度か経験してきていて、いつもセンセーショナルで突拍子もない内容が多いことは知ってはいたが、今回のお告げはあまりにも無茶苦茶すぎる。
 また、いくらマザーの指示でも、スノーの飼い主も納得するはずがないと内心困惑しながら診察室に戻った。
 スノーの飼い主である彼女は、父さんが「マザーのお告げ」を切り出す前に、まるでマザーとの電話の内容を知っているかのように、
「先生、この子のことを、どうぞよろしくお願いします。私との縁は終わったようです。」と深々と頭を下げてスノーをその場において帰っていった。

 結局、父さんは呆然としつつも悩む間もなくスノーをペットとして迎え入れた。
 ただその時にはペットとして私がいたので猫と犬が同じ空間で、果たしてうまくやっていけるのか、それが最大の心配だったが、もはや迎え入れる他なかった。
 スノーは「チョコ」と命名された。
そして父さんたちの心配は全くの杞憂に終わった。
なぜなら出会うべくして出会う「魂の縁」が紡がれたからだ。

 チョコの骨移植はその後、父さんの手によって行われたがマザーのお告げのとおり、チョコの前脚が肘関節でつながることは二度となかった。
 けれど、チョコの右前脚は「前脚」の骨と「足首から指先の部位」が皮と腱と筋肉でつながっているため、肩から前脚がぶらさがったままの状態ですでに10年経過している。
 マッチ棒のように細い細い左前脚一本と後脚2本で、10年間、骨折も関節炎も起こすことなく元気にチョコは過ごしている。
 3本脚で「カッチャ、カッチャ」という足音を響かせながら歩き回っている。 
 マザーでさえも、まさかチョコが10年間も3本脚で生きられるとは思っていなかったようで、
「先生のところで生きる子たちは信じられないくらい長生きできるわね。どうしてなのかしら」と言うほどだ。

 ただチョコはこれまでに乳がん、乳がんの再発で手術を繰り返しながら、現在はポチ兄さんのように肛門周囲の腫瘍を発症している。
チョコは自ら、がんを発症することで、主に母さんを守っている。
 その上、子宮蓄膿症もあるため、いつも死と隣り合わせの病気に苦しめられる毎日だ。
 けれど、毎日、母さんによる漢方薬の確実服薬の徹底によって、チョコはがんの増悪から守られている。
 ポチ兄さんの時にはできなかった統合医療がチョコには功を奏しているのだ。  
 
 そして、3キロに満たない3本脚のチョコは、ポチ兄さんのように玄関に来訪者が来た時には、その存在が消えてなくなるまで玄関に向かって威嚇し吠え続ける。
 まるで侵入者が家の中に一歩足を踏み入れようものなら、いきなり飛びかかられそうな猛犬を想像してしまうほどの威圧感を感じさせるような咆哮だ。
 歩行もままならない小さな老犬が吠えているとは到底思えない咆哮でチョコは家族を10年間、守り続けている。
 そして、チョコは毎日、母さんの布団の足元で安心して眠りにつく。
そしてまた翌朝、家族を守る戦闘態勢に入るのだ。
「カッチャ、カッチャ」という勇ましい(?)足音を響かせながら。

 

「クロ」

「チョコの隣にいる猫はクロだ」
ニャーが指し示す先には、チョコより大きい、けれど、ニャーよりは小さい黒猫が座っていた。
 僕と同じ黒猫だが、クロは僕のように真っ黒ではなく、少し茶色がかったシマ模様が入ったように見える。

 最初、クロは丸まっていびきをかいて熟睡しているのかと思った。
けれど、よく見ると、彼女は薄目を開けてじっと僕を見つめている。
 いびきのように聞こえるのは彼女の呼吸音だった。
そういえば、この部屋に入ってきた時から鳴り響いていたあの音だ。
「ズゴーっ、ズゴーっ」と異様な雑音が彼女の呼吸に併せて周囲に響き渡っている。
 ニャーは、クロの苦しそうな息づかいを僕に充分聞かせてから、クロについて話し始めた。
 
 クロは9歳。
彼女は冷たい雨が降り続いた季節に、父さんたちが通うトレーニングジムの駐車場に箱に入れられ捨てられていた猫だ。
 クロは丸一日、冷たい雨に打たれ続けていたようで、あと2,3時間発見が遅れていたら低体温でおそらく死んでいただろうと父さんが言っていた。 父さんとマコがクロに気づき、ジムに寄ることもやめ、そのまま病院に連れ帰った。

 そこから父さんの懸命な治療が始まった。
と同時にユウの献身的な育児も始まった。
 ユウは毎日、昼間は仕事をこなしながら夜を徹してクロを介抱した。
ほとんど飲めなかったミルクもユウの根気強い授乳のおかげで、少しずつ飲めるようになってきた。
 そしてクロはなんとか一命をとりとめた。
しかしながら肺機能に深刻なダメージを残した。
クロの喘鳴はどんな治療をしても止むことはなかったが、それ以外は軽度の呼吸苦だけを残したまま症状は安定化した。 
 そしていよいよクロの里親探しが始まったが、あまりの喘鳴の大きさと、こちらまで苦しい気持ちになるほどのクロの呼吸状態では誰も里親として名乗りを上げる自信がもてなかったようで一向にクロの里親は見つからなかった。

 そんな時、マザーから連絡が父さんに入った。
「その黒猫は先生たちを守るためにやってきた子です。先生にしか育てられません。その子は、特にユウのためにやってきた子です」という、いつものようにくぐもった低い声のマザーからのお告げだった。
その時から、否応なく、クロは父さんたちのペットになった。
 「クロ」の名付け親は言うまでもなくユウだ。
マザーのお告げどおり、クロはユウを一番慕っている。親だと思っている。
 
 またクロは私の命令には絶対服従する。
クロは家の中のどこにでも唯一、自由に動ける子だ。
だから、私の指示を受けユウを夢遊病のように操って命の危険に晒した闇を体当たりで蹴散らしたり、母さんを夜な夜な夢の中で襲おうとする落ち武者の霊にも体当たりすることで母さんを救ったり、動けない私に替わって特攻隊のような役割を果たしてくれている。
 けれど、その後のクロが受けるダメージは大きく、一気にクロの喘鳴や気管支肺炎が加速度的に増悪する。
 まさに命をかけて、クロは使者を守る役割を果たしてくれている。
 
ここまでニャーがクロについて話してくれた時、クロは初めて口を開いた。
「あたいはユウのためなら何でもするよ。この4匹の中でも、あたいだけが自由にどんなところにも行けるし自由に動けるのさ。そしてニャー様のご指示のとおり闘って、ユウたちを守っているのは、このあたいなのさ。」
と得意げに誇らしげに僕に向かってそう言った。
 けれど、その声は痛々しいほど、細く、低く、ややもすれば自分自身の喘鳴にかき消されるような小さな声だった。
 クロは再び口を閉じて、その後も喘鳴だけを響かせ続けた。
 ニャーは、クロの呼吸苦が落ち着くのを確認しながら、クロの隣に座る白黒の犬を見やりながら、
「この子はピュアだ。」と僕に向かって再び話し始めた。

「ピュア」

 ピュアは8歳。
 彼女はチョコ同様、ペットショップで24万円という高値で売られていた犬だ。
 つまり売り物である以上、彼女には特別な病気や障害はなく、本来なら父さんと出会うはずもなく父さんのペットになるはずがなかった犬だった。

 だが、ある日、マザーから父さんに連絡があった。
「あのペットショップに一度、行ってみてください。白黒でハート形の模様が全身にある犬が売られています。その犬は、先生たちを守るべき子なのです。」という、またまたいつものようにくぐもった低い声のお告げだった。
 ただ、今回、父さんと母さんは、いくらマザーのお告げでも、即決するつもりはなかった。
 自分たち以外の人でも育てられる子、しかも何の障害も病気も持たずに元気に生きている幸せな子を「うちの子」にするつもりは毛頭なかったからだ。

 ひとまず、二人はお告げが示すペットショップにでかけた。
大きなショーケースの中には5匹の子犬たちが元気に遊びまわっていた。
健康でコロコロと無邪気に戯れ遊ぶその姿は、見ているだけで人の心を温かくし癒す力があった。
 けれど、よく見ると、その中の1匹が他の4匹よりも体格が大きいにも関わらず咬まれたり、身体の上に乗られたり、小突かれたりされていることがわかった。
 それも執拗に、その1匹だけがみんなから攻撃されていた。
その子の顔は悲しさと苦渋に満ちた表情でケースの隅っこで怯え切って震えていた。
 その子犬は全身、ハートの模様をあちこちにちりばめた様な白黒の犬だった。マザーのお告げが示した子が、その子犬だったのだ。

 しばらくその様子を見ていた父さんたちは、まずペットショップの店長にこの子犬の置かれている状況を説明し、部屋を別にするなどの対応をすべきであることを獣医として申し出た。
 店長は父さんの申し出にすっかり困り果ててしまった。
というのも、この子犬は、これまで、どんなに環境を変えても同じようにいじめられてしまっていたからだ。
 店長も心配して、あれこれと悩みながら工夫をしていたが、まさに万策尽きたところだった。

 しかも、この子犬は見た目はとてもきれいでかわいいので、お泊り体験として何度もトライアルを繰り返すが、飼い主が一向に決まらないらしい。
 店内で一目見て購入を決めて連れ帰った人も何組もいたのだが、3日もたたないうちに返品されてしまう。
 原因は「甘噛み」と「排泄の失敗」。
この子犬は「シーズー」と「トイプードル」のミックス、いわゆる「シープ―」で噛む力が強い。
 本人は甘えて甘噛みをしているつもりでも、加減がわからないのか、傷ができるほど飼い主を噛んでしまう。
しかもあちこちのものを咬んで引きちぎったりする状況に飼い主はお手上げになる。
 また生後3か月くらいになると排泄がトイレでできるはずだが、トイレやペットシーツでは何度教えても一度たりとも成功せず、所構わずまき散らす大量のおしっこの処理に飼い主が手を焼いた結果、何度も何度も返品されいつまでも飼い主が決まらない状況であった。

 「残念ですが、この子は売れないままになるかもしれません。だからまあ、こんな言い方をしてはダメなのですが、行き場所がない以上、この子はここで死ぬまでいじめられても仕方ないのです。」と店長がため息交じりにそう言った。
 父さんは、それを聞いた途端、
「一度、その子犬を抱っこさせてください」と店長に申し出た。
 店長は「きっと、お気に召さないと思いますが。しかも、噛みますので気を付けてください」と言いながら、父さんにその子犬を抱かせてくれた。

 店長が言ったとおり、その子犬はすぐに父さんの手に強く噛みついてきた。
 店長は慌てて「こら!噛むんじゃない!!」と父さんからその子犬を引き離そうとして、その子犬の首を荒々しくつかんだ。 
 父さんは、その店長の手を強く振り払いながら、手に嚙みついたままのその子の目をじっと見つめて
「もう噛まなくていいんだよ。もう誰もいじめたりしないからね」と言った。
 その子犬は、じっと父さんの目を見つめ返して、そっと父さんの手から牙を引き抜いた。
 その子犬を抱っこしたまま、購入を即決した父さんに、店長は「8日以内なら返品できますので・・」と、この急展開が信じられないといった表情でそう説明した。

 こうしてやってきたお告げの犬は「ピュア」と父さんに名付けられた。
ピュアは使者を守って闇と闘うペットというより、完全に「普通のペット」だ。
 父さんをこよなく愛している。
父さんを一途に慕い、父さんの横に寄り添い、父さんから片時も離れようとしない。
 いつもどこにいても父さんを見つめ、父さんを癒し続けている。
父さんが何らかのダメージを受けて憔悴している時でさえ、ピュアだけが父さんの心を溶かし、癒すことができるオーラを持っている。
 私たちとは守り方が違うのかもしれない。
闘い疲れ、満身創痍の日々を父さんが過ごす中でも、ピュアのただただ純粋で、ひたむきで、微塵の打算もない瞳が父さんに注がれた時、この上ない安らぎを父さんは感じる。
 ピュアのその美しい純真な瞳に、自分だけを信じ切った真実の愛、唯一無二の無償の愛を感じ取るからだ。
だからこそ、父さんは癒されるのだ。
 そして、その癒しに力を得て、再び、自分の使命を果たすための闘いに身を投じてゆけるのだ。

 『動物はまさに神さまから人間という宿命を選んだ魂への慈悲深い贈り物に他ならない。』そのことを改めて、ピュアは教えてくれる。
「父さんとピュアとは前世での魂の縁が深いのかもしれないね。だからこそ、お前の存在に対して、父さんと自分との関係を脅かされるのではないかと警戒しているのかもしれないね。」と言いながら、ニャーはふふふと笑った。
 ピュアはそれまで終始、肩を落としておとなしく座したままニャーの話を聞いていたが、
「えっ?!そんなことはありません。そんなチビが、うちに来ようとも、パパさんの愛は私だけのものですし、パパさんと私の固い固い絆は決して揺らぐことはないのです」と僕への攻撃的なオーラを再び、マックスに放ちながら目をギョロギョロさせてニャーに向かってそう叫んだ。
 ニャーは、愛おしそうにそんなピュアを見つめ、再び「ふふふ」と笑ってから僕に言った。

 

「最後のペット」

 「これが私たちが父さんたちのペットになった経緯だよ。
これまで、本当にいろいろあった。
 父さんは魂の縁の使者だから、その使命を果たそうとするためには、いつも命の危険と隣り合わせだ。
切るべき縁であるにも関わらず、動物との縁を切られたくない飼い主の魂は闇となり、使者に攻撃をしかける。

 霊的な力が強い魂や闇と化した魂がこの建物の中に足を踏み入れたら、私たちにはすぐわかる。
頭が激しく痛むのだ。
 それと同時に、病院の検査の機械やパソコンなどの電子機器が全部シャットダウンする。
不思議なことだが、電気系統が寸断されるのだ。
 みな慌てて、復旧しようとやっきになるが、その飼い主がこの病院にいる間は、なかなか復旧しない状態が続く。
飼い主が帰ってしまうと、嘘のようにそのトラブルは解消する。
トラブルの原因は誰にもわからない。
けれど、必ずと言っていいほど、そんなトラブルは繰り返される。

 その後、闇の魂に入り込まれると使者は頭痛や耳鳴り、倦怠感、不穏感、全身の痛みなど身体的な不調に苦しめられたりする。
 イライラや理由のわからない不安が募ったり、突然ヒステリックになったり、怒りやすくなったり、まるで人がかわったように精神的にも不調をきたす。
ひどい時には、マザーと出会った時のように顔面マヒになったりもする。
 また、使者のみならず使者にダメージを与えるためには、家族である母さんたちにも闇は巧妙に攻撃をしかけるのだ。
 攻撃は眠っている時が多い。夢を介して仕掛けられることが多いのだ。さっき、話したように母さんが落ち武者の霊に苦しめられたり、ユウが夢遊病のように3階の寝室の窓から飛び降りるよう仕向けられたこともあった。 マコがパキラの木に毎夜、首を絞められるというようなこともあった。

 私たちは、闇の存在に気づいたら使者を守るため、自分たちにその矛先が向かうように、つまりは使者の身代わりになるように仕向けようとする。
マザーハウスの犬たちのように。
それがペットとしての使命だと信じているから。
 するといつも決まって、母さんがそれを察知する。
そして私たちに『大丈夫。私たちのことは私たちで解決するから。あなたたちは、ゆっくりとのんびりと幸せに暮らしてくれればいいの。私たちの身代わりにナンテ絶対なってはダメ!私たちがあなたたちを最後まで守るからね。もう十分、あなたたちは重荷を背負って生きているのだから。あなたたちは、ただ幸せに元気に生きてくれているだけで、それだけでいいのよ。』と言うのだ。
いつも決まって、そう言うのだ。

 そして母さんはマザーに教えてもらっている対処法で父さんを苦しめる闇を取り払い、使者を救う。
 それは母さんだけで解決きる場合もあれば、ユウやマコの力を借りなければ母さんまで攻撃に負かされる場合もある。
とにかく、4人で闘うのだ。
4人は、決して私たちを巻き込むまいとして、自分たちで闇を振り払い、勝ち残るのだ。
 
 ある時、母さんは、私たちが身代わりになることで使者が守られているということに気づいてしまったのだ。
 私は身代わりになる度に血尿、膀胱炎、腎炎を発症し、その度に腎機能を悪化させることで、マコや使者を守ってきた。
 チョコは自分の細胞を『がん化』させることで母さんや使者を守ってきた。クロは肺炎により肺機能低下になることでユウや使者を守ってきた。
 そのことに母さんは気づいたのだ。

 それ以降、母さんは毎日、『今日も元気で、ゆっくりのんびり過ごしていてね。』と言いながらニコニコ笑って私たちの世話をする。
 闇の存在を察知すればなおさら、私たちに
『大丈夫だからね。のんびり幸せに今日も生きててね』と私たちが身代わりにならないように諭しながらニコニコ笑って私たちの世話をする。
だから私たちはずっと母さんたちに守られっぱなしだ。
 本来のペットの使命は人間を守ることだ。
人間を癒し、時には人間の身代わりになってダメージを軽減し飼い主を守る。
 けれど母さんたちは『身代わりになってはダメだ』と言う。
父さんも母さんもユウもマコもみんな、私たちを『自分たちを身代わりになってでも守ってくれるペット』としてではなく、『家族』として私たちを守ろうとしているのだ。 

 父さんは、私たちだけではなく動物すべてがそうあるべきだと考えている。
動物が飼い主に守られながら幸せに生きる、そうあるべきだと信じて、日々、動物たちのために奮闘している。
 動物のために、人間と動物の『幸せの縁』を紡ぐこと、それが自分の使命だと考えているのだ。
 父さんは、人間のためではなく、動物のために魂の縁の使者としての宿命を背負っているのかもしれない。
 だから、動物たちが飼い主をいざなって、ここにやってくるのだ。
父さんの役割を動物たちは、みんなわかっているからね。父さんはそんな獣医さんなんだよ。

 けれど、これからは父さんたちも年老いていく。闇に対抗しつづけるのも難しくなるだろう。」とニャーはそこまで話して、一つ大きな息を吐きだした。
 そして僕に向かって
「お前は生前、大きな障害のために幾度も苦しい手術にも耐えた上、非常に短命だったようだね。おそらく、父さんのペットになる宿命を選ぶのなら、これまで以上の苦境をお前は背負い、耐え続けねばならない宿命となるのだ。お前には、その覚悟はあるのかい?」
そう言って、ニャーは金色の鋭い眼光を放つ美しい瞳で、僕の瞳の奥深くをのぞき込んだ。
「僕は、先生と生きたい。先生を守りたい。そして、先生を虹の橋で待って、再び、先生と天国でいつまでも一緒に暮らしたい。
だから迷うことなどありません。僕は、必ず、その宿命を選びます。
どんなに苦しくても、つらくても構わない。僕は必ずその宿命を選びます」 まるで神さまに訴えているかのように、僕は心の底からその思いを涙ながらに必死でニャーに訴えた。
「ふふっ」。
ニャーは少し笑いながら
「私は神さまではないよ。でもその剣幕でお願いしたら、神さまだってお前の願いを聞き届けないワケにはいかないだろうよ」と言った。

 「私は長く生きすぎた。この頃は身体の変調をきたすことが多く、排泄機能、腎機能がめっきり衰えてきたようだ。
脱水や慢性下痢、嘔吐などを繰り返すため、点滴をうけることも多くなった。
 母さんには毎日、何度も何度も繰り返す下痢や嘔吐の度に、便や吐物で汚れた私の身体の清拭や下痢便の始末など、世話をかけることが本当に多くなった。
 チョコもそうだ。肛門周囲にできた腫瘍によって膀胱が圧迫され頻回に尿意が起こるが、チョコの足では本来のトイレまでたどり着くことができず近場で排尿を繰り返したりしてしまう。
 目も白内障のため、ほとんど見えなくなっているから、白い敷物がペットシーツのようにみえてしまうのだ。
 そのため母さんは毎日、頻回にチョコのおしっこの後片づけに追われている。私たちもすっかり老いぼれてしまった。

 それと同時に父さんたちも年をとった。
父さんが魂の縁の使者として最前線で闘い続ける時代は、だんだん終わりに近づいてゆくだろう。
 私たちが使者を守る力も衰え、やがては守る役割を終える時を迎える。
私が天に還った後、チョコたちは父さんたちを守ってくれるだろうが、チョコもほどなく天に還っていくだろう。
父さんたちの守り方を理解できるのは主に私とチョコだ。
クロとピュアだけでは使者を守り切れるものではない。
 私たちがいなくなった後、私たちの代わりに使者を守ることができる強い魂が必要だ。
 年老いてでも最後まで闘い続ける使者を、強い意志と力で守ることができる魂が必要なのだ。
特にマザーという強い味方とも相通じることができる魂の存在がね。

 ベア、お前が父さんの最後のペットになるかもしれないね。
父さんもやがては使命を果たしその生涯をとじるだろう。
厳しく険しいイバラの道のりを乗り越え魂の縁の使者としての使命を全うしたのちに、父さんの魂は天国へと向かう。
 それまでに父さんは私たちペットの魂を看取ってくれる。
その後で、父さん自身の魂は静かに天国に向かうだろう。私たちみんなが待つ天国に。
 おそらく、お前はそんな父さんを守り切る最後の魂として生まれ変わってくることになるのかもしれないね。
 とにかく、今日、こうしてお前に会えて、そして、ちゃんと話ができてよかった。どうやら、お前の心にも希望の光がともったようだね。」と優しい表情でニャーはそう言った。
 その表情は、まるで、ニャーが長年背負ってきた計り知れないほどの重い荷物をようやくおろすことができたような安堵の表情に見えた。

「永遠の縁」

 ここは、本当に美しい。
澄み切った美しい青空のもと、心地よいさわやかな風が吹き渡り、どこまでも果てしなく眩いばかりの大草原が広がっている。
 あちこちに色とりどりの美しい花々が咲き誇り、芳しいまでの薫りがいつも漂って僕らの心を和ませてくれる。
 温かい太陽の光に優しく包まれながら、僕らは毎日、ここで楽しく幸せに過ごしている。

 ここは天国の入り口にある「虹の橋」と呼ばれるところだ。
生前、大好きな人のもとでペットとして暮らしていた動物は、天国に還ったあと、まず、この「虹の橋」にたどり着く。
 生きている時にどんなに病気で苦しんでいた動物であっても、年をとって弱りはてていた動物であっても、すべて、ここでは、僕たち自身が望んだ姿になれる。
 みんな健康になって、若返ることができる。
大けがで苦しんだり、体に障害をもって不自由だった動物たちも、ここでは、病気のない、丈夫な不自由のない身体で暮らすことができている。
 ここはそんな場所だ。
飢えや渇きの心配も全くない。
 毎日、僕たちは穏やかに和やかに仲良くかけっこをしたり、みんなで遊んだりして、平和で満たされた時を楽しく過ごしている。
ここは本当にすばらしい場所だ。ただ一つのことを除けば。
 
 僕は「ベア」。
全身真っ黒で、金色に光るきれいな目がチャームポイントの立派な黒猫だ。
 ベアという名前は、僕のご自慢の真っ黒な毛並み、金色に輝く瞳にぴったりの風格のある名前だ。
名前にふさわしく僕は「クマのように」とはいかないまでも、大きく逞しく強い黒猫だ。
 僕はベアとしての寿命を全うし、ここにたどり着いた。
ここには僕の仲間というより、家族もいる。
 彼らは、ニャー様、チョコ、クロ、ピュアといって、みんな、僕より先にこの場所にたどり着いている。僕が一番最後にここにやってきた。 
僕が今この場所に居られるのは、実に奇跡だ。

 僕は、死にかけているところを通りすがりの人に拾われた捨て猫だった。
僕はその人によって動物病院に運ばれ、そこで致命的な先天的な欠陥が膀胱にあることがわかった。
 瀕死の状態を切り抜けた後、4度の大きな手術を乗り越え、僕は人工膀胱をつけて生き残った。
 僕を救ってくれたのが、僕が運ばれた動物病院の院長、つまりは「お父さん」だ。
 僕は「ベア」という立派な名前をもらい、お父さんの子になった。
 僕のその後の人生は、艱難辛苦の道のりだった。
腎炎や感染症で命の危険に晒されることも何度もあった。
けれど、その度にお父さんが僕を救い最期まで僕を看取ってくれた。

 お父さんは「魂の縁の使者」だ。
動物のために人間と動物の「幸せの縁」を紡ぐ、それが自分の使命だとお父さんは考えていた。
 お父さんは、人間のためではなく、動物のために「魂の縁の使者」としての宿命を背負っていた人だった。

 これまで、本当にいろいろあった。
お父さんが「魂の縁の使者」としてその使命を果たそうとするためには、いつも命の危険と隣り合わせだった。
 動物との縁を切られたくない飼い主の魂は闇となるため、お父さんは絶えず、闇からの攻撃に晒されてきた。
そんなお父さんを僕は腎機能を悪化させることで身代わりになりながらも全力で守り抜いて生きてきた。
そうやって、僕はお父さんを守り抜く使命を全うすることができたんだ。

 けれど、実は、僕は二度、ベアとして生きた猫らしい。
僕がお父さんの子になってから、姉のピュアが教えてくれた。
 生まれ変わる前の僕は、ベアとして一度、重い病気のために死んでしまった。
 その後、ベアの魂が、ピュアたちのところにやってきて、「ペットとして生まれ変わりたいから、どうすればいいのか教えてほしい」と泣いて、すがってきたそうだ。
 その頃、まだ生きていたニャー様というボス猫が、「魂の縁の使者」のこと、ペットの使命など、いろんなことをベアの魂に伝承したそうだ。
ピュアは、ニャー様とベアの魂の話をじっとききながら、
「魂の宿命は神さまだけがお決めになることができるため、いくら望んでもそんなに簡単に希望通り生まれ変わることができるはずがあるものか」とタカをくくっていたらしい。
 けれど、その後、僕がお父さんの子、しかも「ベア」と名付けられてペットとしてやってきたので腰を抜かしたというエピソードもピュアから聞いた。
実に、僕は二度、ベアとして生きたことになる。嘘のようなホントの話だ。

 僕は生まれ変わる前のベアだった時のことや、ベアの魂だった時のことは何にも覚えていない。
その後、どうやって、「ベア」として生まれ変われたのか、それも全く覚えていない。
 ニャー様とチョコのことは、ピュアから聞いていただけで、ここにきて初めて2匹と会った。
 2匹とも、僕に「お前はスゴイ子だね。本当に生まれ変わって父さんを守り抜いたんだね。そして願ったとおり、ここにたどり着いたんだね」と満面の笑顔で褒めてくれた。

 僕はとてもうれしくて自分が誇らしくなった。そして思った。
お父さんによって紡がれてきた魂の縁は、やっぱり動物にとって「幸せな縁」であることに違いないと。
そう、僕たちが何より「幸せ」なこと、それがその証拠だ。
お父さんは立派に「魂の縁の使者」としての使命を果たしているスゴイ人だ。それだけは確かなことだ。

 あぁ、お父さんのあの優しいまなざし、大きな温かい掌のぬくもりが恋しい。
あのぬくもりにそっといつまでも寄り添っていられれば、それだけで心が満たされる。
 お父さんが恋しい。お父さんと離れて、もうずいぶん長い時間がたった。「お父さん、会いたいよ。」
みんな、口には出さないけれど、みんなそう思っている。
そう思い続けて長い時間、ここで暮らしているんだ。
 ここは本当に素晴らしい場所だ。そしてみんな幸せに暮らしている。
ただ一つ、お父さんが恋しくて恋しくてしかたない、それを除けば。

 今日もとても穏やかないい日だ。
今日もみんなでかけっこをしたりして、楽しく遊んでいる。
 僕のかけっこの一番のライバルはピュアだ。
短い距離なら僕の方が速い。けれど長い距離は、僕というより、猫は苦手だ。どうしても犬には勝てない。
 今日も全速力で走ってみたが、どうしてもあと一歩、追いつけない。
僕より少しだけ速くゴールを決めたピュアが得意げな顔で僕の方を振り返る。

 「悔しいな!」そう思った時、ゴールのずっと先、はるか彼方で響く“聞き覚えのある足音”を聞いたような気がした。
 猫の聴覚はとても優れている。
犬のピュアには何も聞こえないのか、「悔しいよね⁈負けてばっかりだもんねぇ。猫ちゃんは!もう一回やる?」と僕をからかうように挑発してくる。 でも僕にはピュアの声は耳に入らなかった。
身体が震える。心臓の鼓動が高鳴る。のどがカラカラだ。
まさか。まさか。いや、間違いない。

 硬直したまま、はるか彼方を凝視し続ける僕の尋常ではない様子に、さすがにピュアも「ベア、どうしたの?何かあったの?」と言いかけて言葉を飲んだ。
 ピュアの身体が震えだした。ピュアにも聞こえたんだ。
あれは、あれはお父さんの足音だ。
 気が付けば、ニャー様、チョコ、クロも集まっていた。
そして、ピンとしたキツネのような立ち耳をした、立派なクルリン尻尾の犬も集まってきていた。

 僕たちは一斉に全速力で風のように駆け出した。
まだ姿は見えないけれど、決して忘れることのない、聞きなれた愛しい足音のする方向に向かって。
 そして、僕は見つけた。
長い長い間、恋焦がれ続け、慕い続けたその姿を。
大好きなお父さん、僕のお父さんだ。
僕は一番にお父さんの胸に思いっきり飛び込んだ。 

「おお、ベア。そして、お前たち、みんな、俺を待っててくれたのか」
僕をぎゅっと抱きしめながら、お父さんはみんなの姿を見てそう言った。
 お父さんの目から大粒の涙がポロポロ、ポロポロ溢れては落ちた。
「ポチ、ニャー、チョコ、クロ、ピュア、そしてベア。みんなありがとうな。俺は、お前たちがいてくれたからこそ、こうして、自分の使命を果たしてここにたどり着けたんだ。
 俺はお前たちがいつも俺のことを命を懸けて、健気に守ってくれていることを知っていたよ。
 だからこそ俺は一生懸命、ベストを尽くして毎日生き抜いてきた。
お前たちが天国に還ってからも、お前たちの事を忘れたことは一日だってなかったよ。
 そして、使命を全うすれば必ずまたお前たちに虹の橋で会えると、それだけを信じて、頑張って生きてきたんだ。本当にありがとう。ありがとうな。」そう言って、お父さんは涙でぐしょぐしょになった顔を僕に押し当て、温かい手でぎゅっと僕を抱きしめてくれた。
「あぁ、お父さんだ。本当にお父さんにやっと会えたんだ。」僕の心は幸せに満ち溢れた。

 その後、お父さんは一匹、一匹を順番に愛おしそうに大切に抱き上げ、思いを込めてぎゅっと抱きしめていく。
 一番最後まで待たされたピュアは、うらめしげに僕をずっと睨んでいたが、お父さんに抱っこされた途端、ワンワン大泣きしていた。
涙でぐしょぐしょになった顔をピュアに押しあてたまま、お父さんは
「やっと会えたね」そう言いながら、再び、ピュアをぎゅっと抱きしめた。
 ずっと会いたかったその姿。優しいまなざし、大きな手、太くて優しい声、懐かしいお父さんの匂い、ちっとも変っていない。
 僕たちは、ずっとずっとこの時を待ち焦がれていたんだよ。
もう二度と、決して離れ離れにはならない。
僕たちはこれからは、ずっと一緒だよ。お父さん。

 大草原を拭き渡る風が本当に心地いい。
頭上には温かな日差しが降り注ぎ、お日様の優しい匂いがする。
 再会できた幸せは尽きることがない。
幸せに包まれながら空に浮かぶ大きな虹を、ニャー様、チョコ、クロに見送られて、僕たちは渡っていく。
「また、向こうで会おうね。待ってるよ」と再会を約束して。
僕たちとお父さんとの「幸せの縁」は固く紡がれた。
今度こそ、永遠に。

             

~御礼~
最後までお読みいただき、ありがとうございました。
 
ペットは人間という険しく厳しい宿命を背負う魂への、神さまからの慈愛
溢れる贈り物に他ならない。
ペットとあなたの人生が、現世でも来世でも、穏やかで幸せなものとなりますように・・・

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?