昔書いたリポート

近年の民俗学における研究動向とその特質について

 民俗学を語る上で、柳田国男の存在を抜きに語ることは出来ない。柳田民俗学は、歴史学の批判から始まった。柳田は、まず文献史料のみに頼り、歴史学の一回主義や、文献以外の資料の使用を許さない厳正主義を激しく批判した。そのうえで、民俗学においては、文献に残らないような、日々の食事などの生活の、当たり前に繰り返し行って来た事象に注目した。それらの資料の日本の広域から採集して重ね合わせ、比較することによって、それぞれの事象が過去からいかに変化してきたという「事象の変遷の過程」を知ることが出来ると説いたのである。柳田はこの研究方法を「重出立証法」と命名した。
 柳田は、歴史学の文献にかわる対象としての事象こそが「民間伝承」すなわち「民俗」そのものであり、それらの諸事象の過程が「歴史」であると認識していた。そして、その新しい方法による学問を「民俗学」としたのである。
 「重出立証法」は、「比較研究法」とも言われ、多くの民間伝承を採集して、比較することに比重をおいた資料操作法である。「比較」とはどのような学問においても、必要な行為であるが、民俗学における「比較」は、事象の「変遷」の過程を読み解くという視点が不可欠である。
日本か国から採集された平面的な分布の上にある事象を「比較」することによって縦軸の中に位置づけるという、特異な操作を行うということにおいて、特殊な比較の方法である。この横軸を縦軸に置き換えることこそ、柳田民俗学の独自の研究方法であり、柳田民俗学の基礎となったのである。
戦後における社会情勢の大きな変化は、民俗学においても多大な影響を与えた。柳田は戦後、民俗学を「現代科学」として発展させることをその目的として掲げ、「日本人」そのものを研究対象とすることに重きをおきたのである。そのような中で、民俗学は、柳田の弟子たちによって戦前とは異なる方向へと転換していったのである。
 まず、近年における民俗学の変化として、「民俗学の目的観の変化」が挙げられる。和歌森太郎は、「民俗学は日本の民族性や心性を解明することを目的とすべきである」と主張した。また、石田英一朗は、「民俗学は人類学と結合すべきである」と主張したのである。
たしかに、民俗学(フォークロア)と、民族学(エスノロジー)は共通する項目も多い。アメリカ・フランスでは民族学を人類学とも読んでおり、民俗学を日本人だけを研究対象とすべきではない。しかし、私的な意見であるが、欧米や欧州などの事象の変化を日本という独自の文化を形成してきた民族と比較・対照することは、日本の山村や農村の文献にも残らないような事象を呑み込んでしまうのではないかと私は思うのである。
 
 新しい民俗学の動向として「比較民俗学」が挙げられる。柳田の主張した「一国民俗学」の殻を破り、近隣諸国の民俗と日本の民俗とを比較・検討するという新しい動向も起こっている。比較の対象となるのは、大半が日本の隣国であり、古くから文化的な繋がりを持つ韓国である。これらは異文化との比較であり、柳田の「比較研究法」とは全く資質の異なる比較方法である。日本文化の源流を求めるならば、この比較法を応用した民俗学の新しい切り口も必要なのではないだろうか。
柳田は、有能な弟子が全国に数多く存在していたが、柳田は弟子たちに民俗学における調査法こそ伝授したが、研究法を伝えることがなかった。柳田が弟子たちに伝えたのは、「重出立証法」と蝸牛考に代表させる「周圏論」という資料操作法のみであった。
1970年代後半になると新しい民俗学構築の動きが見え始める。それは、柳田の「比較研究法」にかわる新しい研究法論構築のために模索であった。「比較研究法」には大きな問題が存在している。全国規模の比較を前提としているため、それぞれの地域の特質や地方性がほとんど無視させてしまうというものである。新しい民俗学の方法は、個々の民俗事象を地域から切り離すことなく、あくまでも地域そのものを研究対象とする発想である。これを「比較研究法」に変わる「地域研究法」と呼ばれる民俗学の研究方法である。このような主張は、柳田存命中からなされてはいたが、より具体的に示したのは、福田アジオ氏である。
 地域研究法民俗とは、「その伝承されている地域において分析し、その地にその特定の民俗が伝承させている意味を歴史的に明らかにする方法が地域研究法である。この方法は、個別民俗事象をその土地から切り離して、調査項目に対応して羅列的に記述して報告することを拒否する方法である(『日本民俗学概論』「民俗学研究法」)」。民俗事象をその地に即して理解しようとするこの方法は、調査の過程で具体化されていく調査法でもあると言える。
 民俗学とは、八木先生の述べているように、一種の「解釈学」である。民俗学のあるべき方法は地域研究であることは確かなことである。しかし、事象の変化や変遷を追いすぎると、民俗学における「なぜ、このような事象がここに伝承されているのか」という民俗学の本質が見失われてしまわないだろうか。民俗学とは、特定に地域における特定の民俗事象を対象としそれをめぐる他の諸民俗事象との相関性について、その背景ある社会構造との関連において捉え、民俗事象のもつ本質的な意味についての解釈を試みることが最も重要なことである。
 高度経済成長以降、地方の都市化が進み、かつて民俗学のフィールドであった農山漁村が大きな変貌を遂げている。人口の激減による過疎化の問題もあるであろうが、大きな変化として、生活水準の向上などがその要因であろう。その中で新しい民俗学のフィールドを年に求める動きが見え始めた。これが「都市民俗学」である。柳田も「都市」というフィールドを無視したわけでないが、「都市民俗学」とは、単に民俗学のフィールドを都市に求めるのではなく、民俗学のあり方や資料論も含めた学問の全体的な見直しを図るという点に特質を見出すことが出来る。
民俗学はその研究対象や目的によって、文献史料を用いる必要もあるであろう。市町村の資料室や図書館では多くの民俗学の資料を見つけることが出来る。それらの中には、内容が極めて断片的で、伝承の羅列がしてあるだけの「調査報告書」のような物も多い。民俗学研究とは、地域における民俗的特質やそれが存在する社会背景などを考慮し、研究者として独自の視点と問題意識を持つべき分析研究すべきである。
 独自の視点と問題意識が欠落すれば、ただの調査報告書になりさがってしまう。大切なのは、単なる手法としての方法論ではなく、民俗学独自の分析する視点とフィールドワークに基づく資料の扱い方である。
民俗学では、「重出立証法」や「比較研究法」のさまざまな研究法が存在している。「何をどのように明らかにしていきたいのか」という目的意識を自覚し、それを可能にするにはどのような研究方法が適しているか考慮して研究に取り組んでいくべきである。自分自身の生活体験や世界観を意識し、形成していくことが大事なのではないだろうか。
近年の民俗学は、柳田の時代から基本的な姿勢は変わっていないが、民俗学を取り巻く環境は大きく変わってしまった。柳田を惹きつけた椎葉村の山の民も、『遠野物語』の世界観も時代の流れと共に少しずつ変わってしまった。時代と共に民俗学の研究対象も、農村から都市へと変化しつつある。一言に近代化と言うが、近代化には「時間的な近代化」と「空間的な近代化」の2種類が存在しており、この二つの特質を念頭におき、民俗事象を考察して見ると新しい発見があるのではないだろうか。
近年における民俗学は、生活の細分化、農村の過疎化、都市部の肥大化など生活の変化に伴い変化していった。しかしながら、柳田の残した「現地調査に基づいた研究」や「肌で感じる人々の暮らし」という民俗学における基本を忘れてはいけないと私は思うのである。

記述字数 3218字

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