近年の民俗学における研究動向とその特質について 民俗学を語る上で、柳田国男の存在を抜きに語ることは出来ない。柳田民俗学は、歴史学の批判から始まった。柳田は、まず文献史料のみに頼り、歴史学の一回主義や、文献以外の資料の使用を許さない厳正主義を激しく批判した。そのうえで、民俗学においては、文献に残らないような、日々の食事などの生活の、当たり前に繰り返し行って来た事象に注目した。それらの資料の日本の広域から採集して重ね合わせ、比較することによって、それぞれの事象が過去からいかに
他人の弁当が食べれない。 弁当に限らず、他人の握ったおにぎりなんかも同様に食べれないという人はある程度存在している。 私も実際そうである。恋人や親しい人などだと大丈夫なのだが、知らない人や関係性が薄い人などの手作り弁当は申し訳ないが食べれない。 最近までは、既製品の弁当でさえ、食べられないということもあったし、 大学院の研究室で、チラシ寿司を食べている人がいて、耐えきれず廊下に避難し、窓から外を見ていた。 (子供のころから、体調が悪い人とかはなぜ外の景色を眺めているのだろう
前から文章を無性に書きたくなることがある。書くというよりは、「吐き出す」という感覚が近いかも知れない。物書きになれればいいなぁと漠然の憧れを持ったまま、もう40代の世界へと足を踏みいれてしまった。 子どもの頃に思い描いていた大人は、バリバリと仕事をこなし、休日には奥様と子どもに笑顔で接し、家のローンなんかも気につつ、夕方にスーパーで買い物をするみたいな大人になるだろうと思っていた。 先に言い訳をするが私は所謂「氷河期世代」の中心にいた世代である (特に地方の氷河期がホントに