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三鷹の陸橋 第六回

―私は「津軽」の上機嫌なところが好きです。
昭和19年にこんな作品を書けたのは、太宰の心根がおよそ現実に密着しない浮世離れしたものだった証かもしれません。
同時に「津軽」はそのかけがえない賜物でもあります。
さてところで、彼は掉尾に「私は虚飾を行はなかつた。読者をだましはしなかつた」などと、いけしゃあしゃあと書きました。
小説の真実はさておき、二重のホラ吹き、根っからのホラ吹きですよ。
私は現実にはそんな人に近づきたくはありません。

思いがけず迸り出た愛憎二筋の青臭い太宰観のひとくさりに、哲彦は自らあっけにとられ、ガイドを相手に、自分の童貞をなくしたかのような奇妙な気持ちになった。

―愛という科目を「津軽」では追求した、確かそんな趣旨のことが書いてありませんでしたかしら?
―その通りです。「青空文庫」で確かめてみましょう。
哲彦は、滅多にないことだが、人前でスマートフォンを取り出した。
ガイドはちらと彼の目を見た。
―今、貴女、私が老眼鏡なしでスマホが見られるのかしらと疑ったでしょう。
―まあ、そんなこと…。いいえ降参します。貴方、何でもお見通しですのね。
それには答えず彼は「津軽」の一節を音読した。
【私には、また別の専門科目があるのだ。世人は仮りにその科目を愛と呼んでゐる。人の心と人の心の触れ合ひを研究する科目である。私はこのたびの旅行に於いて、主としてこの一科目を追及した。】
―この一文は弘前大学構内の碑文に刻んでありました。太宰は旧制弘前高校出身です。
―大学にも行かれたのですね。
―さりとて太宰マニアではないのですよ。
しかし母校とはつくづくありがたいものだとは思いました。あんな恥っ晒しの、それでも、良いところをちゃんと見つけて、石碑に刻んでくれた人たちがいたのだから。
ガイドは国語の授業で広く読まれている「走れメロス」について哲彦に感想を訊ねた。
―書き出しの第二文目に「邪智暴虐の王」とあったのをご記憶ですか?
―じゃちぼうぎゃく…随分難しい熟語ですこと。
ごめんなさい。いいえ覚えていません。まあ、貴方のほうが余程ガイドには適任かも知れませんわ。
―そんな字は、この小説以外ではついぞお目にかかることがなかった。ところが最近、Jポップに「Melos」という曲があるのを見つけました。

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