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三鷹の陸橋 第五回

哲彦は、みずから進んで「太宰治文学サロン」に赴いたのだ。
だから、ガイドの問いを不躾だと感じた自分の方がおかしい、と思い直した。
太宰は実生活では、弱さと優しさを逆手にとり、多くの人を傷つけ、愚行の巻き添えにし、あまつさえ幾人かを死に追いやりさえした。
今ならば病理学的に人格障害を疑われても仕方ない人間である。
士大夫、まともな社会人であれば、そんな作家のファンだと公言するのは憚られて然るべき人物だ。
ガイドはそうした機微を心得た、知性ある人に思えた。
一番好きな作品は、という問いに哲彦はこう答えた。
―たくさん読んでいるわけではありませんが、まあ「津軽」あたりでしょうか。
鮨ネタならば小肌、カクテルならばマティーニ。太宰なら津軽と答えておけば大過あるまい。
―ああ「津軽」、あの十三湖の描写のすばらしさったら。真珠貝に…、あ、湖の名前は十三湖でよろしかったかしら。
会って10分も経たないうちに、もう或る小説のある場面の言葉について会話をしている。
学生時代以来、こんなことはなかった。哲彦は異次元に迷い込んだかのような眩暈を覚えた。
ガイドは「太宰教」の信者ではないことも分かった。
であれば、作品について、多少は踏み込んだ会話をしてよいかも知れない。恐るおそる哲彦はそう思った。
―そう十三湖です。あの描写、あれは神品です。
本当は哲彦は「若書きながら、神品」と言いたかった。
十三湖は、「津軽」にはこうある。
【浅い真珠貝に水を盛つたやうな、気品はあるがはかない感じの湖である。波一つない。船も浮んでゐない。
人に捨てられた孤独の水たまりである。流れる雲も飛ぶ鳥の影も、この湖の面には写らぬといふやうな感じだ。】
ガイドは乳母との例のクライマックスシーンについても哲彦にたずねた。
「感動の再会」が虚構であることを承知の上で、彼に語る機会を与えるための問いのように思えた。
ホスピタリティ。社交ダンスのごときものだ。ならばそれに合わせて振る舞うべきだろう。
―あんな出来過ぎた話、真に受けちゃいけません。
野口英世の母の手紙ならば現物が残っています。
しかし、たけの台詞は太宰の作品の中にしかありません。
おそらくホラ話でしょう。
けれど、ホラ話に込めた真実こそが、文学の真実なのだから、事実はああだこうだなどと言い立てて「ホラ話」にケチをつけるのは不当です。
ガイドの促しが誘い水になって、哲彦はなおも言葉を継いだ。
―真実は「ホラ話」のなかにこそ息づいている。「津軽」はやはり佳作だと思います。

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