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三鷹の陸橋 第三回

掲示物の年譜を見ると、「津軽」を書いたのはこの家である。
【「ね、なぜ旅に出るの?」
「苦しいからさ。」】
昭和19年に書かれた「津軽」のこの会話の一節を、平成の勤め人として汲々として過ごした哲彦は幾度となく反芻してきた。
子供がまだ小さかった頃、彼は家族を残してひとり海外に旅する衝動を抑えかねる幾年かを重ねた。
行先はどこでもよかった。
溶岩が足元直下にドロドロとうごめく火山島だったり。
川の上に設えた便所の直下で魚が嬉々としてバシャバシャ音を立てるジャングルだったり。
隣家がすなわち数百キロ離れた隣国に位置する砂漠だったり。
ことさらに僻陬の地ばかりを好んだのではない。
パリでは、テラスで昼食を摂る彼の目で、若い泥棒が、狙いすました官憲に挟撃されて、盗品で膨らんだ袋もろとも地べたに踏みつけにされるスペクタクルを見た。
家族連れで出かけるのに不都合な土地ばかりだったのは結果に過ぎない。
傾斜の巷には一切足を踏み入れず、乱行はしない。
旅に出ればむしろ家族への思いがいや増すのが常だった。
ひとり旅の都度、土産をどっさり携えて帰ったが、或る日、老母が、あなたの連れ合いは心根のしっかりした人だから、これまであなたの我儘、身勝手をずっと我慢して、黙って許してきたのです。
しかしこんな馬鹿な振る舞いがいつまでもまかり通ると思ったら大間違いです。
いつ離縁を切り出されても仕方ありませんよ。
いいですね、しかと警告しましたよ、
と連絡してきたのだった。
母親の激越な意見に驚き、たじたじとなりながら、メールを読み返し、まあ、それはそうかも知れぬと思い、哲彦は心を半分入れ替えた。
全部入れ替えたらたちまち窒息してしまう。
それを誰にも言えないから、一人旅を繰り返してきたのだ。
随分あちこち旅してきたが、自分は本当は旅を好きではないのではないか、と哲彦はその時初めて思い当たった。
金魚鉢の金魚は酸素が足りなければ水面に浮上して口をパクパク開く。
空気が好きだからではなく、水中から得るべき酸素が足りないから、やむを得ずそうするのだ。
「ビジネスマン」のある時期、哲彦はしばしば酸素不足の金魚さながらだった。

パリの駅に発着する中長距離列車の先頭に「en voyage…」と書いてあったのを哲彦は覚えている。

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