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#69_美を通して生き方を観る

東京都美術館で開催されているモネ展。
9日に足を運んだ。

印象派は、今から150年ほど前に誕生した、美術史用語。
アトリエよりも戸外での制作を、計画性よりも即興性を、壮大さよりも日常性を、永遠よりもはかなさを重んじるというアプローチだそうだ。(企画展図録p.12)

パリから発祥した印象派は、パリ固有の文化に留まらず、アメリカや日本に渡り現地の画家達に多大なる影響を与えたそうだ。
わたしの中での印象派の知識は、モネとピサロの絵画くらい。
ミレーなどのバルビゾン派が印象派の先駆けってことも、その前の時代は宗教画が主流で、永遠性や神秘性が重要視されていたことも、全然知らなかった。

印象派の由来は、モネの「印象・日の出」
発表当時は周囲の価値観の違いにより、全く受け容れられなかったそうだ。

印象派の父と呼ばれる人がいる。
エドゥアール・マネ。
彼が描いた「草上の食卓」(1863)という絵画は、今までの神聖で不可侵領域すら感じられる絵画の概念をぶっ壊したそうだ。
https://art-ey.com/impressionism

左側に横たわる裸婦。
ヌードを描くという概念自体がなかった美術界に激震が走った瞬間。
今まで、絵画に描かれる裸婦は、ヴィーナスだったり神話の世界の住人だったり、現世とはかけ離れた人物だったそうだから、当然だ。

時は産業革命。
自然を科学が支配しようとする足音が聞こえ始めた、この時代。
「神より現実を」
「永遠より有限で刹那な瞬間を」
「見えないものよりも見えるものを」
今目の前に存在する自然や人間を捉えようとしたのが、まさに印象派の画家たちが生きてきた時代だったということ。

時代に合わせて破壊と創造を繰り返してきた、芸術の営みを感じた。

積み重ねも大事、でも一度壊さないと、新たなものを創れない。
そんな示唆を、この企画展からもらえた気がした。

もう一つ、面白かったのはフランス発祥の印象派の作品を観たアメリカや日本人画家たちが、自分の作品にその手法をガンガン取り入れ始めた跡が見えること。
チャイルド・ハッサムの「コロンバス大通り、雨の日」は、静の中で動く馬車(動)に美を捉えて絵画として残した。
デヴィット・パーシャルの「ハーミット・クリーク・キャニオン」は、グランド・キャニオンに足を運び、断崖絶壁とそこを照らす陽光を瞬間的に捉えて描いている。

何をモチーフにするかで、その画家が何に美を見出しているか、何を軸に生きてきたかが見えてくる。

孤立や孤独に美を見出したベンソン「ソリティアをする少女」

春、一斉に芽吹く木々に生の息吹を感じ取り、描き続けたグリーンウッド「リンゴ園」「雪どけ」

老いゆく人に宿る生気を、眼鏡やショール、レースを繊細に描くことで表現したセシリア・ポー「ヘレン・ビゲロー・メリマン」

暗く深い森林の中で、ぼんやりと輝く光を描き、その大気の表現から、現実と神、有限と永遠、見えるものと見えないものを同時に描いて非物質的なものをみることの内面の感覚を伝えようとした、ジョージ・イネスの「森の池」

もちろん観ただけでは分からずにキャプションを参考にしたけど、その描き方に感動して、その画家自体にも興味をもった。(多すぎて全然追い切れないけど・・・)

実はモネ展のあと、国立西洋美術館に足を運び、多くの宗教画を観てきた。
知らなかったことが多すぎて深く鑑賞することはできなかったけれど、そこで観た絵画とモネ展の絵画、今日調べたことで知った時代背景が全部融合されて、今、ものすごく興奮している。

モネ展は激混みだったけれど、4月7日まで開催しているので、好きな人は是非足を運んでほしい。
絵画を国を超えて横断的に眺めるからこそ、見えてきた世界がある。

教育の現場に立つ者としても、新たな示唆を得ることができた、豊かな時間。

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