欲望の模倣

周りに上手く溶け込めない時、他の人が当然のようにこなしている学業、仕事、恋愛をこなせない時にどうしようもない不安を覚える。この不安はどうやら他の人の欲望を自然と真似てしまっているから生じる、という説明があるらしい。

人は皆、他人の欲望を模倣している。


僕らが何かを欲しがるのは、模倣の対象となる「モデル」がそれを欲したからだ。これを言ったのは、ルネ・ジラールという人。

思い返してほしい。君が例えば、彼氏や彼女が欲しいと思ったのはどういうときなのか。現実で仲睦まじいカップルを見かけた時か、SNSで友達が恋人との写真を上げた時か、もしくは友達が恋愛談義を始めた時かもしれない。

ちなみに、欲望と欲求は違う。
欲求は、食欲、性欲、睡眠欲や、痛みや痒みを遠ざけたいという欲求のようにモデルを必要としない。世界に自分だけしか存在しなくても生じる。

モデルが「遠い人」であれば苦しみは生じない。
例えば、スティーブ・ジョブズや乃木坂のアイドルに才能面や容姿で嫉妬するということはあまりないはずだ。嫉妬の対象となるのは大抵学校のクラスメートや仕事の同僚、友だちといった「近い人」となる。

モデルが創作上のキャラクターだったり、過去の偉人のようにさらに遠くなると妬みの感情は一切出てこなくなる。


現代の模倣が支配的な社会


SNSの登場により「近い」モデルと常に自分を比較させられる。


中高生になると美しいとされる人と自分との差異に苦しめられ、大学生は見た目を気にして美容院、服、装飾品に結構なお金をかけるようになり、恋人同士で遊びにいく時も定番とされる場所を選ぶ。

欲望を叶えやすい人にとっては非常に生きやすい世界であろう。
しかし、僕のような叶えづらい人にとっては生きづらい世界になっている。

僕らは物質的にはるかに豊かになっているはずなのに、全く充足した人生を送れていないのではないか。


模倣するモデルの変更

ここまで模倣の悪評をつらつらと挙げたが、この欲望がなければ人は同じ言語を話して、農業を始めることもなかったはずだ。
(個人的には創作物を読んで至福を感じるのも模倣のおかげだし)

模倣自体は悪いものでは無いはずだ。

問題なのは、模倣された欲望の実現の見込みが低いこと。

現代のように幸福への期待度が高まってしまった文化では、
幸せを掴めない人の失望は深くなり、人生への満足度が低くなってしまう。


模倣自体は止めるのが難しいので、代わりに理想とされているモデルを誰でもでき、充足を感じられるものに設定できないだろうか。

このモデルをどういうモデルに設定するかは自分への宿題としよう。


模倣の対抗手段


模倣の対抗手段の一つは、己に価値のヒエラルキーを創ることらしい。

一人だけの状態で過去に充足した体験を思い出し、そこから価値観の序列をつける。行動するときはこのヒエラルキーに従う。ヒエラルキーを無視したい欲望が出てきたらそれは模倣の欲望かもしれない。後で落ち着ける時にその欲望と価値のヒエラルキーを比較してみよう。そうすればハッキリする。


しかし、東洋の人は「物事はかくあるべし」と言う考え方が植え付けられていため、なかなか己の価値観を見出すのが難しい。

長期間かけて自分の中で思索し続けた結果、現時点での僕のヒエラルキーは

1st 創作物の世界に入り浸る&登場人物と自分を重ねる
2nd 自分を登場人物に見合うまで引き上げる
3rd 着想の素材を現実から自分に提供する

というものになった。

とはいえ、独りで映画館に行って同年代の仲が良さそうなグループやカップルを見ると、自分もそういう関係が欲しいような気がしてくるのでまだまだ模倣の影響は大きい。そのまま家に帰りひと段落すると別にいいかと思うのだけれど。

若干捻くれているとは思うが、独りのを見た人が独りでもいいんだと思ってくれるならそれでいいのでは。


参考図書

欲望の見つけ方 (ルーク・バージス)
正直タイトルで損している本ですが、内容が面白いです。(そもそもお金と恋愛についてはあんまり出てこないです)


(書いたのは久しぶり。うつは寛解しているが、これは①大学に入れた ②大学に居場所を一つ作れた と言う運が大いに絡んだもの。この2つの要素がなくとも、「自分の存在価値が最期まで分からずに死ぬ」ことの回避を誰もが出来るよう悩み続けます。)


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