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【エッセイ】親に嫌われていると腹落ちしたら、片付けることができました③


 余談から始まりますが、片付けたらエアコンの効きが良くなった気がします。
 物がなくなった分、床の出ている面積が増えたから? 物が減ったから? 見た目スッキリしたから?
 気のせいとは思いますが、まあ、涼しく感じているなら良いということにしておきます。

気を取り直して本編へ。

捨ててみてわかった性格。それは無責任



 ゴミなのに目につくところに堂々と放置されたものたちを捨て終え、だいたい気が済んだので今度は毎日使うキッチンからもの減らしを始めることにした。キッチンは自分の所在地。ほとんど服に興味がない私にとって、片付けた成果を直に感じられる一番の場所だ。
 しかも子どもはほぼキッチンを使わないから容赦なく捨てられる。ただし、夫は料理をするので迷惑をかけないようにする。片付けたら夫も快適なはず。
 でも、捨てながら、

(これ、夫が使うかな)

と、度々思い浮かんだ。しかし、不要なものを処分すれば夫も使いやすいキッチンになる。賞味期限切れの調味料や、小汚くなったプラスチック製の弁当容器など、確認しなくても捨てられるものがほとんどだ。放置しているのは夫も同じ。必要なら新たに買えばいいものは処分した。

(夫に怒られるかもしれない)

 それは、いつも頭によぎる言葉だった。私は私の責任で判断してもいい。そのはずなのに、キッチンが片付かないことをどこかで夫が料理をするせいにしていた。夫が使うから、勝手に捨てたら怒られるから、と。
 夫に従うことで、夫に責任を押しつけていたことになる。夫のせいにして自分で考えていなかった。もう一度言い聞かせる。私は自分で考えていなかった。考えることを怠けていたわけ。どうせ私の判断は間違うと思っていた。
 判断の難しいものは確認すればいいのだけなのに、自分で考えれば決められるものも夫に丸投げ。 
 二度と取り返せないような判断を迫られているわけでもないのに、どんな小さな判断もせず、自分に責任が降りかからないように逃げ回っていた。
 本当に仕方がない中年だ。

 そういえば過去、私が失敗すると母は、

「あーあ。どうせこうなると思った」

と、よく言っていた。聞いてみると、姉たちも同じようなことを言われていたらしい。これが怖かったのかもしれない。
 まあ、子どもの頃の話だ。もう母とは一緒に暮らしていない。
 夫はそんなことを言わない。
 夫のものは勝手に捨てないよう気をつけつつ、自分の判断でゴミを捨てるを続けた。

 

子どもたちにも責任を押し付けていた


 キッチンには離乳食用のスプーンがちらほら残っていた。下の子はもう小学生だというのに。容赦なく手放す。子どもたちの赤ちゃん時代はとにかく大変だったけど、それ以上にかわいかった。
 みんな小学生になったから言えることかもしれない。真っ只中の頃は「猛烈にかわいいけど、同じくらい大変」というのが正直な気持ちだった。
 でも、今思い出すと幸せ。何度も言うけれど、かわいかった。そして今もかわいい。子どもたちが元気というだけで幸せな気持ちになる。第一子が3ヶ月のとき、寝顔をふと見てこれほどかわいい存在がこの世にあるものか、と驚いた。世界スゴイ。地球スゴイ。
 こうやって私は子どもの存在に救われてしまった。彼らの母親である自分を否定してしまったら、彼らの存在まで否定してしまう。無理無理。だめだめ。否定しちゃだめ。存在を否定していい人間なんているものか。
 こうして、子どものおかげで自分の存在を肯定できた。

 それにしても、赤ちゃん時代の子どもたちを少し引きずっていたかもしれない。赤ちゃん時代はものすごく大変で、ものすごく幸せだった。
 でも、もう大きくなった。
 赤ちゃん時代のものは処分する。今目の前の子どものためのものを買おう。持とう。

 それから、幼稚園時代のお弁当グッズとかも大量に残っていた。久しぶり〜が第一印象。第二の印象は汚い。放置してホコリを被っているし、使い込んでいるから歯型がついていたりする。汚いから使えない。
 幼稚園時代のものは、子どもが「取っておいて欲しい」と言ったのは確かだけど、それからだいぶ時間が経っていた。忘れているのがほとんどだった。

「子どもが取っておいてというから」
「子どもが捨てないでというから」

 という言い訳をかなり使ってきたことに気づいた。強いこだわりの持ち主である息子は全てのものを取っておいてほしいと言っていた。それこそ、幼稚園時代に描いたクレヨンの落書き(紙切れ)も捨てられない。でも、成長するにつれて手放すことができた。
 こだわりの強い息子シリーズでいうと、息子は無いことへの恐怖もすごかった。例えば、好きなヨーグルトを食べ残し、いつまでも冷蔵庫に入れておきたがだった。食べ終わるのが怖い。食べきったら泣きわめく。それがこだわりと気づくまでは大変だったなぁ。好きなヨーグルトをストックして、冷蔵庫を見せて気持ちを落ち着かせた。そうしていくうちにヨーグルトはまた食べられることを覚えてくれた。よかったよ。

 子どもは成長している。変わっていく。

 子どもが小さい頃、低いところにある収納は使えなかったことをしみじみ思い出す。
 勝手に開けて取り出してしまうから、ものをしまえなかった。赤ちゃん用のロックをつけたけれど、安物でごまかしたためすぐに壊され、突破されてしまった。結局手の届かない場所に詰め込んでしまった。
 あの頃と今では、片付けの仕方は違うはず。
 子どもの動きが違う。
 だってトイレに一人で行ける。
 私自身の肉体的な疲れも、睡眠時間も、追い詰められ方も、あの頃とは違う。

「捨てていい?」

 私は子どもたちにもう一度聞いて、オッケーをもらえたものだけを処分しようとした。驚いたことに、だいたいオッケーだった。
 今の彼らには幼すぎるのと、もう汚いのと。
 小さくて歯型のついた幼稚園時代の箸も手放す。
 ちょっと切なくなったのは母親の私の方だった。

 

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