プロポーズはオムライスに添えて(短編)

 彼女からランチのお誘いがあった。
 12月24日。
 諸々あって、この日は会えないと毎年言っていたのに。

(これは、チャンスだ)

 これ以上の好機はない。わかっている。
 それなのに、晴希は飲み屋のカウンター席で頭を抱えていた。

「でも、どうしても踏み出せないんだよ」

 隣で飲んでいた友人の村木が首を傾げる。

「はあ? 何でだよ」

「そうだけど……」

 ほとんど一目惚れで、晴希が何度も告白して、ようやく付き合うことができたのが、3年前。
 優しくて、明るくて、二人でいるのが楽しくて。穏やかな気持ちになれる人だった。
 それなのに、彼女はどこか危うい。何一つ不安なことなどないはずなのに、何度デートを重ねても、どこかへ消えてしまいそうな気配を残す。

「……自信がないんだ」

 村木が晴希の顔を覗き込む。

「もう付き合ってもう3年だろ?」

 村木は晴希の幼馴染で、何かと相談してきた。彼女に告白しようか迷っている時、背中を押してくれたのは村木だった。しかも5年前に結婚している。プロポーズにおいては先輩だ。

「よしっ! 協力してやるよ」

 二の足を踏んでいる晴希を見かねて、再び背中を押すことになった。

「俺の店でサプライズをしよう」

「サプライズ?」

 村木はビール3杯分の酔った頭で立てた計画を熱烈にプレゼンをした。
 計画は単純明快なものだ。

①彼女を店に誘う
②オムライスの中から指輪が出てくる
③彼女が気づいたところでプロポーズ

 人気のオムライス屋さんで働く村木はいつも忙しい。二人目の子どもも産まれて時間なんてほとんどないはずだった。それなのに、相談したいことがあるといったらわざわざ時間を作って飲みに来てくれた、その村木の提案だ。
 しかも村木が店長をつとめる店で、彼女の頼んだオムライスに婚約指輪を入れるという大役を引き受けてくれた。
 もう後戻りはできない。断れない。

「よろしくお願いします!」

 最初は乗り気ではなかった晴希だったが、気づけば頭を下げていた。

(やるしかない)

 はっきり言って、晴希も彼女もサプライズなんてするキャラではない。ただ、どうしても勇気が出なくて、サプライズの力を借りることにしたのだ。

 時は12月24日、土曜日のランチタイム。
 村木の店ではランチの予約をやっておらず、晴希は彼女の乃愛と30分ほど並んで店に入った。

「人気のお店なのに30分で入れてよかった」  

 テーブル席に座った乃愛は満面の笑みだった。

「待たせちゃってごめんね、せっかくの誕生日なのに」

 乃愛は晴希の言葉を遮るように首を大きく振る。

「謝らないで。オムライスすごく好きだから」

 そして、意気揚々とメニューを開いた。待っている間に注文するメニューは決めてある。

「私、カニクリームコロッケ付きのハヤシライスのオムライス。大盛りバターライスでお願いします」

「僕はトマトケチャップのオムライス、チキンライスで。イカリングタルタルなしで」

 店員はギラリと晴希を睨んだ。

「かしこまりました」

 イカリングもタルタルもメニューには存在しない。これは村木への暗号だった。この注文が晴希のオムライスであることを伝えるために用意した言葉だ。この様子だと暗号に気づいたのだろう。店員は、足取りに怒りを込めつつ、さも忙しそうに厨房へと戻っていく。

「大盛況だね」

 彼女は小さな声で言った。
 店内はもちろん満席。外にはまだ行列が続いている。
 ホールを任されている店員さんは一人しかいないらしく、案内や注文、会計からテーブルセットから何から何まですべて一人で回していた。
 さっきの睨みの意味を察してしまった。

ーーこの忙しいときに面倒臭いサプライズなんてやりに来やがってコノヤロー!

 と、いうことなのかもしれない。でも、婚約指輪はすでに村木の手の中にある。勝手に計画の中断はできない。

(ごめんなさい)

 晴希の緊張は否応なしに高まっていく。
 そして、間もなくしてオムライスが運ばれてきた。

「美味しそう!」

 食べることが大好きな彼女は、思わず顔を綻ばせる。

「いただきまーす」

 晴希は幸せそうに食べるその姿が好きだった。しかし、今日はほのぼの眺めている場合ではない。

(いよいよ始まった)

 このオムライスの中に婚約指輪が入っているのだ。

 彼女は黄色い卵にスプーンを入れると、彼女は更に上機嫌になる。卵は程よく柔らかくご飯を包み込んでいた。トロトロ過ぎないのが彼女の好みなのだ。スプーンですくい上げ、ご飯と卵とハヤシソースを同時に口の中に迎え入れた。美味しくて彼女の頬が上がる。
 急いで食べているようには見えないのに、どんどんオムライスはどんどん減っていった。

「すごくおいしい。行列のワケがわかったよ」

 彼女は力強く言った。
 晴希は「そうだね」と答えたものの、トマトケチャップの味もわからず、ただスプーンを運んでいた。

(指輪が出たらプロポーズだ……)

 胸のドキドキと胃のキリキリが同時に襲ってくる。
 ところが、彼女のオムライスが半分になっても、3分の1になっても、指輪は出てこない。

「わたし、ケチャップで食べる普通のオムライスも好きだけど、ハヤシソースとバターライスのも思い入れがあるんだよね」

 何も知らない彼女はペロリと完食してしまった。

「あれ? 晴希、食欲ないの? 半分も食べてないよ」

 なかなか減らない晴希の皿を指差す。指輪に気を取られたせいでいつも以上に遅くなってしまった。

「乃愛が先に食べ終わるのなんて、いつものことじゃないか」

「まあ、そうだけど……」

 ヘラヘラと誤魔化す晴希を、乃愛は心配そうに晴希を見つめている。

「大丈夫だから食べよう」

 晴希は意気揚々とスプーンを動かしてみせるものの、やっぱり頭の中には指輪の所在のことでいっぱいだ。
 もしかしたら、カニクリームコロッケの中?
 いや、それはない。
 オムライスに入れると言っていたし、仕込みの段階から彼女がカニクリームコロッケを注文すると読んで、指輪をいれるなんてあり得ない。しかもどのカニクリームコロッケかわからなくなるし、何より誤飲が心配だ。

(じゃあ、どこなんだ?)

 その時、晴希はふと視線をある男から離せなくなった。
 その男は彼女の背後の席の中年男性だった。一人で席に座り、じっと自分の目の前にあるオムライスを見つめていた。ハヤシソースがかかっており、それは彼女の頼んだものと同じに見える。
 男はカラトリー入れから箸を取り出し、何かをつまみ上げる。

(あっ!)

 晴希は思わず声を上げそうに鳴る。
 黒い箸が挟んでいるのは指輪だったのだ。
 その様子が彼女の肩越しに晴希の視界にばっちり映り込んでいた。

(まさか、村木のやつ)

 全身の血液が引いていく。

(指輪を仕込むオムライスを間違えたのか?!)

 ふと男と目があった。
 それは痺れるような運命の瞬間だった。

 店員さんは、ちゃんとトマトケチャップのオムライスと、カニクリームコロッケの乗ったハヤシソースのオムライスを、晴希たちの席まで持ってきた。注文どおりだった。
 しかし、指輪は向かいの男性客のもとにやってきた、単品のハヤシソースのオムライスの中にあった。
 男性客と晴希は目と目を合わせた。

(俺たちはこの衝撃を分かち合っている)

 晴希はそう信じた。
 きっと心は通じている。こちらの状況は伝わっている。
 晴希の頭の中は、以下の通りだ。

男性客:指輪、あなたのですよね。

晴希 :そうです! 手違いなんです!

男性客:それはお気の毒に。今、お返しします。店員さんに渡しますね。

晴希 :ありがとうございます!

男性客:プロポーズ、頑張って

 これが脳内での男性客との会話だった。
 晴希と男性客はうなずき合う。

(早く店員さんを呼んでください!)

 しかし、男性客は改めて指輪を見つめる。見るからにいい指輪だった。売ったら絶対にいい値段になる。
 男性客の脳内は以下の通りだ。

晴希 :オムライスに指輪? ひどい店だね。

男性客:異物混入にしても、こんな指輪をつけて料理するなんて、おかしいよね。

晴希 :おかしいです!

男性客:もらっていいよね。高そうだし。

晴希 :絶対にいいです! 

男性客:わかった。これはクリスマスプレゼントだ。

晴希 :サンタさんの粋なはからいです!

男性客:今月キツイから、売っていいよね?

晴希 :売っちゃえ売っちゃえ!

 男性客はニッコリ笑うと、指輪を丁寧に拭いて、丁寧に紙ナプキンに包み、胸のポケットに入れた。

「あっ!」

 晴希は立ち上がる。

「えっ?」

 男性客はしばらく晴希と顔を合わせていたが、ゆっくりと目をそらした。
 その時、晴希は察したのだ。
 あの男はネコババする気だ。
 もう指輪は返ってこない。
 「それは俺の婚約指輪なんです」って説明したところで、この男性客が「自分のだ」と主張したら終わりだ。証拠はない。だってオムライスの中に入っていたんだもの。それを客に出してしまった。村木の雇われ店長としての立場も危うい。

「どうしたの?」

 彼女に訊ねられ、晴希は椅子に座った。

「なんでもないよ」

「でも、泣いてるよ」

 気づいたら頬に涙が伝っていた。

「俺さ、嬉しくて。今日は乃愛の誕生日でクリスマスイブでしょ?」

 違う違う。入社以来コツコツ積み重ねた貯金を使って購入した婚約指輪が、知らないおじさんの手に渡ったのが悲しすぎるのだ。
 それを取り返す手立てが浮かばずに涙が出ただけなのだ。

「晴希、大丈夫?」

 乃愛が心配そうに覗き込む。

「大丈夫。一緒のランチの、嬉しいなぁ」

 その時、背後に寒気がして振り返る。ドス黒いオーラを背負った店員さんが仁王立ちしていた。

ーーなぜ取り返さない! お前の婚約指輪だろうが! このへっぴり腰! 

  店員さんは晴希に怒声のような視線を送ると、ツカツカと男性客に近づいた。動線を迷い一つなく突き進むと、テーブルに何かを差し出した。その途端、サッと男性客が青ざめる。そして、お冷を一口飲み、おずおずと胸ポケットの中のものを出した。
 先程指輪を包んだ紙ナプキンだ。
 男性客は紙ナプキンを見るなり、青ざめる。

「すみませんでした」

 慌てて頭を下げている。

(何を見せたの?)

 何故あっさり降参したのだ?
 店員さんに、「料理にこんなものが入っていたぞ! どういうことなんだ! 責任者出せ!」と、怒ってもいいはずなのに。

(ま、いっか)

 晴希は細かいことは気にしないことにした。
 プロポーズ計画の決行中であり、指輪は救出されたのだから。
 店員さんがちらりとこちらを見て、ニヒルに笑う。指輪を取り返したから安心しろ、と笑っている。

(かっこいい)

 指輪が男の手に渡ってしまった時、すぐに諦めた自分が恥ずかしい。

「晴希」

 ふと乃愛がテーブルをトントンと叩く。メニューを手に持ちながら。

「追加注文してもいいかな?」

 晴希が店員さんをぼんやり眺めていた間に、乃愛はすでにカニクリームコロッケも食べ終えていた。

「いいよ。俺まだ食べ終わっていないから、ちょうど一緒に食べ終わるかも」

 乃愛は嬉しそうに笑って、店員さんを呼ぶ。

「すみませーん」

 店員さんはすぐにやってきた。

「カレーオムライスをお願いします」

「中のライスの種類は」

「バターライス、大盛りで」

「かしこまりました」

 店員さんはチラリと晴希を見た。

(次こそは)

 そう目配せをして、キビキビと去っていく。なんと頼りがいがあるのだろう。再び作られるオムライスには、今度こそ婚約指輪が入った状態でやってくる。

「あのさ、晴希」

 乃愛が突然、改まって背筋を伸ばした。

「な、何?」

 真剣な表情にドキリとする。

「泣くほど嬉しいなんて、なんかごめんね」

「えっ、それは……気にしないで」

「わたし、12月24日が嫌いって話していたから、毎年この日に会うの避けてくれていたんだよね?」

 本当は、指輪を見知らぬおじさんに奪われ泣いたことを誤魔化したのだけれど、本音でもあった。
 12月24日、乃愛は毎年仕事をびっちりと詰め込む。今年、ランチに誘われたのは奇跡なのだ。
 誕生日が世間的にもスペシャルな日であるクリスマスイブ。そして、嫌なことが起こってしまう日だと彼女はいう。

「お母さんがケーキを買いに行った帰りに事故にあったり再々テストになったり、田んぼに落ちたり、片思いの人に大食いゴリラモンスターって言われたり。嫌な思い出が多くて」

 今言ったことは前置きみたいなものだと思う。
 お母さんの事故は、自宅で駐車中、油断して犬小屋を破壊したという、よくある話。
 田んぼに落ちたのも、大食いゴリラモンスターも、小1の頃のことで、かわいい昔話だ。
 再々テストに至っては、彼女が部活の練習をやりすぎて授業中しばしば寝てしまったことが原因らしい。
 それらは些細なことで、彼女が心を痛めているのは、12月24日に父親が家を出ていったこと。

「この日、お父さんもいなくなったから」

 だから、会いたくない。デートする気持ちになれない。
 それが毎年の決り文句。毎年聞いている。
 去年と違うのは、それが晴希とのデートを断るために発した言葉ではないということだ。

「今年はどうして24日に誘ってくれたの?」

 乃愛はじっと晴希を見つめて答える。

「晴希なら、大丈夫だと思ったから」

 晴希はどこにもいかないよね?
 その瞳がそう問いかけている。

「乃愛。お父さんならきっと帰ってくるよ」

 晴希はできる静かに、でも限り力強く言った。

「ありがとう」 

 乃愛が優しく微笑んだ、その時。
 静かにあの男が立ち上がった。

「大食いゴリラモンスター?」

 そう言ったのは、指輪をネコババしようとした男だった。

「まさか、乃愛なのか?」

 乃愛の背中に向かって名前をよんだのだ。
 向かいの席のその男は立ち上がっていた。

「乃愛なのか?」

 振り返った乃愛も立ち上がる。

「お父さん?!」

 晴希は二人の顔を見比べる。

「えっ、父親なの?」

 指輪ネコババおじさんが乃愛のお父さん?

 二人は戸惑ったまま見つめ合っている。お互いにどうしたらいいかわからず、動き出せない。

「あ、じゃあ、一緒に食べますか?」

 気づくと晴希も立ち上がっていた。その場の張り詰めた空気を解きほぐしたい一心だった。
 プロポーズのことも忘れて。
 しかし、父親は苦笑いで首を振った。

「いえ、私はもうお会計なので」

「でも。久しぶりの親子の再会なのでは?」 

「いや。一週間前に会っていますよ」

「えっ?」

 晴希は目をまん丸にして、再び親子を見比べた。

「お父さん、家出したのでは?」  

 父親は「まさか」と言って笑う。

「家出というか、家を出て、少し遠くへ稼ぎに行っただけです」  

「じゃあ、ただの単身赴任?」

「まあ、そんな感じです。この娘がたくさん食べるから、仕事を増やしたんですよ」

「なるほど」

「昔、学校で大食いゴリラモンスターなんて言われて、泣いて帰ってきていました」

 懐かしそうに話していた父親だが、娘の冷たい視線に気づいたらしい。

「それでは、また」

 男は愛想笑いを残して、逃げるようにレジへ向かった。
 そそくさと立ち去ったのは、余計なことを喋って娘の怒りを買ったせいか、指輪をネコババしようとしたのが気まずいからか。
 店員さんにギラギラと睨まれながら、男性客は会計を済ませていた。
 父親を見送り、二人は再び席に着いて向かい合う。
 少しモヤモヤしたまま、晴希は冷めかけたオムライスを食べた。
 今日はクリスマスイブで、彼女の誕生日で、その父親がいなくなった日のはずだった。父親が出ていった日だから好きではないと言っていたはずなのに、そこにいた。

(嘘だったのか)

 12月24日に会わないために作られた嘘。でも、なんでそんな嘘をつくのだろう。

(ダメなのかな)

 二人で過ごした3年間まで嘘だったのだろうか。ずっと一緒にいたいと思った晴希の思いまで不正解にしてしまうのだろうか。
 その時、ふと、スパイシーな香りが鼻をかすめ、沈んでいく心を呼び止めた。

「お待たせしました」

 それは、カレーオムライスのカレーの匂いだった。追加注文していたことをすっかり忘れていた。

(オムライスの中に指輪は入っているだろうか) 

 サプライズをしてプロポーズをすると決めた気持ちは変わってしまったのか。晴希は自分に問いかけていた。

「バターライスのカレーオムライス、大盛りです」

 店員さんは乃愛の前に大盛りオムライスを置いた。乃愛はそれを見ると、一瞬口を開いた。そして、店員さんを見上げる。

「指輪落ちてますよ」

 白いお皿の縁に、ダイヤの指輪が乗っていたのだ。

「いいえ」

 店員さんは少しかしこまって乃愛を見つめた。

「落ちているのではありません。これは大森晴希様から、お客様へのプレゼントになります」

 店員さんの表情はどこかにこやかだった。満足げに微笑み、くるりと背を向けて去っていく。
 乃愛はしばらく固まっていた。何が起きたかわからず、黙っている。その姿を見て、迷っていた晴希もようやく切り出した。

「俺からなんだ」

「わたしに?」

「乃愛以外いないよ」

 晴希はじっと彼女を見つめた。今年、初めて誕生日を一緒に過ごすことが出来た乃愛。クリスマスイブもいいけれど、晴希は乃愛の誕生日を祝いたかった。

「12月24日に嫌な思い出がたくさんあるなら、それ以上にいい思い出を一緒に作ろうよ。12月24日に仕事をいれたとしても、嫌なことがあったとしても、結婚していれば家で会える。ちゃんと誕生日を祝える」

 晴希が心から望んだことだ。お皿の上の指輪から目をそらし、乃愛はうつむいていた。

「わたし、大食いだよ?」

「体力を使う仕事をしているんだから、いいじゃないか」

「ーーでも、嘘つきだし」

「お父さんのこと?」

 晴希は、さっきの男性客を思い出す。
 12月24日に会ったりしたら、晴希もその夜に、きっといなくなってしまう。だから会いたくない。乃愛は毎年言っていた。それは嘘だった。

「本当はね」

 乃愛は、顔を上げた。

「12月24日が嫌いになったのは、元カレにふられた日だから。晴希と付き合う前の年、約束したのに来なかった。一人で待っていたら2時間後にもう別れようってメッセージが来て、それきりで」

 カレーを纏った、スパイスの香り漂うオムライスを見つめる。お皿の縁に乗った指輪も乃愛の話をきいている。

「晴希と付き合ってからも、12月24日だけどうしても思い出してしまっていたの。相手も私も、もう違う人と付き合っているのに。12月24日だけはだめだった。そんなこと考えている日に晴希とは会えなかったーーごめん」

 晴希は小さく笑う。 

「でも、今年は誘ってくれた」

 何となく気づいていた。晴希と付き合いながらも心は他の男に残っていること。なかなか告白に頷いてくれなかったのは、きっとそのせいだったのだ。

 それでも、晴希は乃愛が好きだった。特に、一緒にご飯を食べるのが好きだった。
 二人はそうやって3年間、一緒に過ごした。少しだけ距離があって、少しだけ未練を隠した彼女を大切にしながら、ゆっくり、ゆっくり、二人は近づいた。 
 何となくの彼氏から、忘れるための彼氏から、いつも一緒にいる大切な人になりたかった。

「乃愛から会おうって。すごく嬉しかった」

「だって今年はーー」

 今年は思い出さなかったのだ。今年、乃愛は晴希と一緒にいたかった。

「どうしても晴希とランチをしたかった」

 乃愛の言葉は真っ直ぐだった。晴希の胸がじんわりと温かい。

「それで、充分」

「許してくれるの?」

「いいよ」

「心、広すぎない?」

「乃愛の元カレにやっと勝てたと思って、正直浮かれている」

 浮かれて、プロポーズするって決めたのだ。

「でも、ちょっと前のめりだったかも」

 乃愛のほうは、ようやく元カレの影が自分から離れたところなのだ。慎重で真面目な乃愛の性格からして、すぐに晴希と結婚という気持ちにはなれないのかもしれない。それなのに、晴希はサプライズでプロポーズなんて、ちょっと攻めすぎてしまった。

「じゃあ、改めて」

「竹内乃愛さん。僕と結婚を前提にお付き合いしてくれますか?」

「ーーはい」

 晴希はオムライスのお皿から指輪を取ると、乃愛の薬指にはめた。
 父親が娘に贈られるこの指輪をネコババしようしたことは、とりあえず忘れることにして。

「他のお客さんが踊りだしたりしないよね?」

「乃愛はそういうの苦手でしょ?」

「うん。ちょっと恥ずかしい」

 二人は微笑み合い、オムライスを再び食べ始めた。きっとー年後のクリスマスイブも、特別な一日になる。そんな幸せな予感に包まれながら。










 

 

 

 

 

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