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【エッセイ】子どもの部屋を片付ける:親に嫌われていると腹落ちしたら、片付けることができました 

ものがあってもいい。散らかってもいい。

 片付けが進んでくると、子どもの部屋が気になってくる。

 さすが私の子どもたち。筋金入りの片付けられない女である母の影響をモロに受け、長男長女ともに部屋が汚かった(次男はまだ一人部屋ではない)。  


 高校生長男は私そっくりの散らかし様だった。ADHD疑いのある私と同じく全てがごちゃごちゃだ。ゴミも服も本も充電コードも何もかもが同じ空間に同居している。何故これとこれが隣同士なんだい? と、ツッコミをいれたくなること多々。例えば、カーペットの下にはゴミと学校からのプリントが共存していた。クマノミとイソギンチャクのような関係なのだろうか。彼はこれを「床下収納」と呼ぶ。いやいや、まいった。
 それらを引っ張り出し、いるものいらないものを分ける。ベッド下に溜まった大量の空のペットボトル、半年前に脱いだ靴下などを回収し、そこら中に散らばったゴミ(絶対にゴミで間違いないもの)を集めた。
 正直なところ、本当はもっと捨てられる。
 でも、私にはゴミに見えても、長男にとってはゴミではない。絶対に使わない冊子やプリントは捨てない。ニ年前に終わったイベントのお知らせも捨てない。
 うん。今はそれでいい。
 溜めてきたゴミを捨てた。それで充分きれいになった。

「病気だから片付けられない」

と、長男は言う。

「大丈夫。ちゃんと片付けられる」

と、私は答える。

「お母さんが、片付けのやり方を教えていないだけ。覚えれば、必ずできる」

 本当にそうなのだ。
「片付けなさい」と言うくせに、どうやって片付けるかは教えない。
 自分ができていないから教えられなかったし、「出したらしまって」と言うだけで、片付けやすくなる工夫もしなかった。学校関係の大切なものは親が抜き出して管理してしまうことが多かった。自分でやらなくちゃいけないのに。だから床下収納が出来上がる。
 私が片づければいいとどこかで思っていたのかもしれない。そんなわけはない。自分でできること親にできないままにされるなんて、これはヒドイ。間違いだ。だから、改めて息子が片付けやすい部屋を目指す。 
 ひとまずは服をたたまずハンガーにかけることにする。

「お母さんがたたみたくないから」

というのも理由だけど、息子が管理しやすくするためでもある。息子は服に興味がないから持っている数が少ない。そのため片付けがすぐに終わり、お互いストレスが少ない。シャツとボトムスをとっととハンガーで収納して、かなりスッキリした。
 ものはまだまだたくさんあるけど、部屋の見た目はかなり変わった。大満足。

 次のターゲットは娘の部屋。
 しかし、中学生の娘は兄を見て先回りし、少し片付けを進めていた。さすがだ。といっても、まだまだ溜めこんでいる。
 なので、娘の部屋もずっとしまい込んでゴミと化したものたちをまず捨てた。何故か娘の部屋の収納にあった父親(夫)の趣味のもの(プラモなど)は回収し、絶対的なゴミを捨てると収納が空いてくる。そこへ床置きされていた本をしまっていくと、かなりきれいになった。うんうん、見やすくなった。
 見やすくなったところで、娘の部屋の片付けはやめた。早々に切り上げる。

 ふたりの部屋は、まだ物は溢れている。でも、それ以上片付けないことにしている。

 二人はそれでいい。好きなものを集めてもいい。夢中になって何かをしてほしい。ゴミだけはないようにすればいい。本当は「あれもこれも捨てられるのでは?」と、うずうずする。でも片付けは強要しない。清潔で気持ちのいい部屋で気持ちよく過ごしてほしい。これだけでいい。そのために捨てたくないものを捨てなくてもいい。

 というのも、私は母親に部屋に入られるのが嫌だった。片付けられるのも、触られるのも嫌だった。母が片付けようとすると、私は不機嫌になった。
「娘の汚い部屋をキレイにしてやろうと思っただけ」の母親は腹が立ったろうし、こんな私を相手するのは面倒くさかっただろう。でも私は触られるのも立ち入られるのも嫌だった。高校生になる頃には洗濯物は自分で干していた。喧嘩しているわけでもないのに、母親に自分の服を触られたくなかった。
 そうやって私の部屋は私以外立ち入らない魔窟になった。私によって軽く片付けられることはあっても、ちゃんときれいになることはなかった。
 だから、息子や娘の部屋で片づけるのはなかなか苦しい。

私、気持ち悪いのではないか? 

と、思ってしまう。
 上でも言ったように清潔な部屋で過ごしてほしいのに、「片付けなさいって」と言えない。だって人のことは言える立場ではない。
 でも、これは逃げだった。
 自分が傷つきくなかっただけで、子どもたちのことを考えたら、ちゃんと言わなくてはいけない。だって、このまま汚い部屋で生活してほしくなかった。だから、嫌われてもいいから一緒に片付けた。
 子どもたちは、いい顔はしなかったけれど、拒否はしなかった。一緒にいる、いらないを分け、処分していった。
 やってよかった。 
 子らにこれ以上何を求めるというのか。いや、何も求めるのはない。
 私の存在はうっとおしかっただろう。母親なんてうっとおしくてなんぼのもんじゃい。いや、でも、やり過ぎはよくないな。我慢はさせたけど追い出されなかったからセーフってことで。セーフ、でお願いします。まだまだ模索中です。

 
 片付け後、部屋はかなりスッキリしたけれど、数日後には息子の机と娘の枕周辺はあっという間に散らかった。そんなものだ。全部一度に出来なくてもいい。私は前向きに片付けられるようになるのに40年かかったのだから。
 でも、ふたりとも床はずっと散らかっていない。娘は自分から机の上の片付けをするようになった。しかも、机もきれいな状態をキープしている。すごいことだ。続くといいなぁ。
 何もかも理想通りにいくとは限らない。それでも、少し手を貸す、後は任せる。というのを目指す。
 なので、これからは嫌われてもいいから週に一度母親の掃除機タイムを設けることにする。キレイを恒常化していくのが目的だ。嫌なら自分でかけて、と言うさ。

 子どもとの距離感を迷いつつ悩みつつ、見守ります。

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