今、パワフルでhappyに過ごせる理由

こんにちは!
のみちゃんです♪


今回は私のことを
お話させてもらいます☺


私は2009年に長女を出産。
それから今に至るまで専業主婦。として、
毎日を過ごしてきました。
 
今でこそ、
専業主婦で毎日ドタバタと元気なママをしていますが、
私にも闇な時がありました。(>_<)
 
自己紹介を兼ねて、
のみちゃんの
【今、パワフルでhappyに過ごせる理由】
をお話させてくださいね。^^
 
長くなってしまうかもしれませんが、
また、
つたない文章で読みづらいかもしれませんが、
読んでいただけたら、とっても嬉しいです🎵
 

そして、読んだ後に、
少しでも心が軽くなり、
私も頑張ろう♩と
心に寄り添うことができましたら、
のみちゃんはとっても嬉しい(*'▽')✨
 
それでは、本文を読み進めてくださいませ♪


 
結婚、出産する前は
地元の高校、普通科を卒業。

親に迷惑をかけたくないなんて考え、
18歳高校卒業後すぐに
通信制で働きながら取得できる
美容師を目指して、働き始めるも、
朝早くからお店の準備、
閉店後は独自練習で
帰宅は終電間近の毎日でした。
 
なりたい!
自分の収入だけで一人暮らしして
迷惑かけたくない!なんて。


 
結局はおしゃれもできない、
勉強や練習を自力でしなくてはならない、
家に帰っても誰もいない、
生活することの大変さにくじけてしまい、
その道をあきらめてしまいました。
 



すぐに地元に帰りなさい。
と言われましたが、



迷惑をかけたくない!と出てきた手前、
帰りづらくてそのままバイトを掛け持ちして
一人暮らしをすることに。
 


朝はコンビニ。
昼、夜は飲食店のウェイトレス。
この生活を半年続けました。

(私の得意なことなんてなくて
就職するだけのスキルなんてなくて
それでも体を動かして働くことは出来る!

掛け持ちで月15万くらいのお給料で
なんとか毎日暮らしていました。) 



けれど、
働く場所での人間関係に
精神的に疲れてしまい、円形脱毛症に…

(一緒に働いていた母と同年代くらいの方。
女同志で、恋愛話をしたりする人でしたが
「若いだけで、男性が寄ってきていいわね。」
「なんで、あなたが好かれるのかな?」
と、毎日聞いているうちに500円ハゲ出来てました…💦) 


二つ掛け持ちは大変だと、
バイトをやめて
パソコンのデータ入力の会社に面接を受け、
半年以上はそちらでお世話になりました。

(卒業校が商業科もあり、PCのキーボード打ちだけは
ある程度出来る☺でも、もう書式を作るとか忘れちゃった(笑))
 
その会社では、
不便はあまりなかったのですが…
私生活の付き合いから色々あって、退職。

(同棲していた男性とうまくいかず💦
昔付き合っていた年下の子に地元に帰ってこい。と言われた)

20歳の時に地元に帰ることに。
 
地元に帰ってからは
看護助手という看護師さんのお手伝いする
お仕事にもつきました。
 
その当時、
お付き合いしていた人と
たくさんお金を貯めよう!!
なんて話していて、
突発的に誰も知り合いなどいない、
未知の土地へ二人で引っ越し、
工場勤務でときには24時間フルで働きました。

(静岡県に住んでいたの1年半。工場勤務で知り合う方は
色んな出身の方で。
ブラジルからきている『ナージャ』とは
郷土料理をふるまってもらったり、子供と遊んだり…
楽しかったです☺)
 
毎日が楽しかったですが、
工場勤務もだんだん生産が落ち着いてくると、
思った金額が稼ぐことができず、
先輩のあからさまな嫌味と態度。

(その当時、携帯電話を作る工場で
携帯の画面を張り付ける仕事をしていました。

2時間の間に100枚近くを個人ブースで張り付ける。
その作業を淡々とこなすことが、楽しくて
頑張っていたのですが、
昨日まで仲良くごはんを食べた先輩に

「そんなに貼れるなんて~
すごいですねー…
教えてもらわなきゃいけないですねー(半笑)」

と、なぜか態度が変わって、嫌味を言われるように。
この当時は、なぜ?そんな風に言われなきゃいけないのか?と
凄く悩んだのですが…

『何か気に食わないことがあるのなら、教えてほしい。自分では自分の悪いことわからないから。仲良くしたいって思う』

と伝えたけど、鼻で笑わられました…。)


その時のパートナーと悩んだ末、
地元に帰ることに…(´;ω;`)💦

 
 
そのあとも、職業安定所へ足を運び、
やったことがなかった事務員のお仕事を
させていただきましたが、
女性の先輩に
「あなたはこの仕事は向いていないわ。今月いっぱいでやめた方がいいわよ」
とお酒の席で言われ、退職。
 


いいかげん!私も23歳。
定職にもつかず、
思った時に思った行動ばかりで親に迷惑をかけたくない!
なんて話していたのに、
何をやっているんだろう?と悩む日々。



そんな中、
高校卒業の時に取っていた
ヘルパー2級の資格のおかげで、
老人ホームでの介護職の
お仕事をさせていただき、
仲間と協力してお仕事をする
楽しさをようやく見つけました。



 
23歳で趣味で行っていた駅伝大会で、
今の旦那様と出会い、
お付き合い開始。

(たまたま、待ち時間にチーム仲間が
彼の上着を私に貸してくれたのがきっかけ☺)


一年後に、
長女妊娠が発覚し、
楽しく働かせていただいていた
老人ホームを退職。
 



それから今まで、
専業主婦として、
子供たち5人のリーダー((笑))として、
おうちを守ることに
必死に過ごしてきました。
 



私は自己紹介としてお話しましたが、
転職という事実がたくさんあります。
 



私の中ではとっっても、
汚点と感じています。
 
どうして、長く続けられないのだろう?
どんな時でも
一生懸命やっているのはずなのに、
うまくいかない。
 



そんな自分を
たくさん責めたこともあります。
 



もう何もしたくない。
親でさえ自分の考え、
気持ちを汲み取ってくれないだろう。
消えてしまいたい。
 



そんな風に思い、
夜の海に行き
波打ち際まで向かったこともありました。
真夜中に何も放映されていない画面を見て、
ザーというノイズを聴きながら、
ぼんやり
ただぼんやりと時間を
過ごしていたこともあります。
 



消えてしまいたい。
いなくなりたい。
存在の価値がわからない。
 
生きている意味が見いだせない。
 
 


そんな無気力な私が、
毎日を
どうして楽しく明るく
過ごせるようになったのか?
 
 
それは、
愛されていること
 
に気が付いたから。
 
自分が感じていた
 
愛されていない自分
(思うようにできない自分)
 
を注目するのではなく、
日々の小さな幸せに目を向けたのです。
 


最後の職場、
老人ホームでの仲間が
「姉さんと話すと楽しいなっ!」
と言ってくれたり…
老人ホームでの入居者の方が
「あなたに頼んでよかった」
と言ってくれたり…
 
ずっと見てきた、
入居者の方が
お亡くなりになってしまった時、
 
人生を全うする。
 
自分の歩みを自ら止める前に、
出来ることはたくさんあるはずだ
 
と教えられたからです!
 



そして、
人は誰一人同じではない。
 
歩んできた環境、
考えが違うからこそ、
分かり合えた時の
幸福感は計り知れないほど感じるのです。
 
どんな汚点に感じることでも、
自分が生きて過ごしてきた時間は
無駄ではないし、

 
選んだ数々の選択肢は失敗ではない。
 
 
むしろ、
成長するための大切な出来事なんだ!
 
そう思うことができるようになったら、
 
毎日の小さな幸せに
たくさん気づくようになりました。
 


今日もごはんが美味しい。⇒幸せ
青空がきれい。⇒幸せ
子供が笑った。
子供が泣いた。
子供が怒った。⇒感情を素直に表にできる幸せ
 



全ての景色が今しかない一瞬だからこそ、
その一瞬を笑顔で笑って過ごせるほうが
断然良いとのみちゃんは思います💓
 



子供がジュースをこぼした。
その時はイライラとして、
怒鳴ってしまうかもしれません。
 



けれど、
一年後には笑いながら、
「お子ちゃんジュースをよくこぼしてたよね~、絨毯のシミこれ、そうだよ!」
なんて、言っていると思います^^
 


その時の
辛い、嫌だ、怒り、のあった出来事は
時間がたてば、ものすごく愛おしくて、
思い出話として
笑って話せることに変わっていき、
気づけば
素敵な楽しい時間
だったりするんです🎵
 



のみちゃんが
【今、パワフルでhappyに過ごせる理由】は、
『自分の心の視点をほんの少し変えること』
だとのみちゃんはお伝えしたいです^^


私は職歴という点が汚点だと感じてたため、
自己紹介を兼ねて
【今、パワフルでhappyに過ごせる理由】
お話させていただきました。
どうでしたでしょうか?

思い返しながら
書いてみて、今の私に
必要な思い返しだったなぁ…と今感じています。


ここまで読んでいただき、
ありがとうございました♪

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のみちゃん【5人ママ】4hパート主婦

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