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橋本治「ひらがな日本美術史」第二巻「鹿苑寺金閣」「とんでもなく美しいもの」

  思ってたんとちがう。

 自分で言ってしまうが、私は出不精の家虫だ。
外に出たくない。
出来るものなら買い物にも行きたくない。
お家大好き。
金出して観光旅行なんかする人の気がしれない。
あ、すいません。言い過ぎです。

 本当は京都に行って金閣寺を見たいのだ。
龍安寺に行って石庭も見てみたい。
天球院に行って狩野山雪の襖絵だって見てみたい。
でも私は怖いのだ。

 「思ってたんとちがう。」
そう思ってしまうことが。

「ひらがな日本美術史」第二巻の「鹿苑寺金閣」のサブタイトルは「とんでもなく美しいもの」となっている。
 そりゃそうですよ。金閣寺なんだから。
うっかりそんなことを思っていたら足元をすくわれる。
実際すくわれた。

人は本当に、この金閣を「金色の美しい建物」と思って見ているのだろうか?
金箔で二層から上を覆われたこの建物に"黄金の塊"を発見して、「とんでもねーもんだなー」とそれを作った人間の富の大きさに感心しているだけなのかもしれない。

金ピカの金閣は、本当に"美しい"のだろうか?

こういう問いかけがまずあり、その問いかけに思わずたじろぐ。
そういえば京都の金閣寺にわざわざ足を運んで、観光客は何を見ているのだろう。
先人の莫大な富を見ているのだろうか。
ただ素直に、その美しい佇まいを見ているのだろうか。

 じゃあもし、その金閣が金箔ではなく朱塗りの建物だったら?
別に珍しいことではない。
朱塗りの神社仏閣は日本中に数え切れないほどある。

 室町幕府三代将軍、足利義満の時代。
つまり鹿苑寺金閣が誕生した時代と今との「黄金」というものへの価値観の違いを、この章は教えてくれる。

金本位制という貨幣経済の根幹を支えるシステムがあれば、黄金=財力にもなるだろうが、王朝の貴族たちは別に金貨を通用させていたわけでもない。
平安時代に貨幣経済が無かったわけではないが、貨幣というものを使って"取引"ということをしなければならなかったのは下層の人間だけで、上流貴族と商取引は無縁だった。
上流貴族にとって貨幣とは、「下々の者達が喜ぶからくれてやろう」といって、祝儀の時にばらまく程度のものだった。
そういう時代に、黄金はどれほどの意味を持つのだろう?
もしかしたらそれは「そんなに持っていても使い道のない、珍しくも美しい光り輝くもの」ぐらいでしかなかったのかもしれない。

それで、なんで「朱塗り」なのかと言ったら、

贅沢な建物には、それ相応の贅沢な色があった。
それは"赤"である。

 「朱」という顔料は当時は黄金と同じくらい高価なもので、「赤」という色への日本人の思い入れも、多分「黄金」とは比べものにならなかったと思う。
 日本人は至るところに「赤」を使う。
神社仏閣の柱や鳥居もそうだし、腹帯、腰巻き、褌といった、直接身体に纏い魔を払うために使った色も「赤」だった。

 鹿苑寺は禅寺だ。
中国から渡って来た「赤い建物」を、豊かな緑に囲まれた日本に置くと何が起こるか。
赤と緑のコントラストは今の時代でもかなり派手だ。
クリスマス・カラーを思い出せばすぐわかる。
足利義満がクリスマス・カラーをどう捉えたのかは分からないが、禅寺にふさわしいコントラストとして彼が選んだのが赤ではなく金だったとしてもおかしくはないと思う。

存在をアピールするような強烈なものを作りたかったら"小さな金色の寺"よりも"巨大な朱色の寺"の方がいいだろう。
日本の権力者が巨大な朱塗りの寺院をやたらに作ったのは、そのためではないかと私は思う。
金は自然と調和するが、赤は強烈に自然と対立する。

 今、黄金と聞けばどうしてもバブリーなイメージを抱いてしまうが、日本の緑の山々に囲まれ、太陽の光に照らされた枝や葉、池の水面のキラキラ光る照り返し。
その中に静かに佇む小さな金の楼閣は、やっぱりとんでもなく美しいものだと橋本治は言う。

この黄金の建物は"真っ赤な建物"の持つケバケバしさを排除した"光の建物"でもある。
だからこそ金閣寺は美しいのだ。

 ところで金閣寺といえば三島由紀夫だ。
この章には金閣寺の図版がない。
オトナの事情で載せられなかったそうだ。
それで金閣寺ってどんなだっけと画像を検索していたら、やたらと三島由紀夫が顔を出す。
 金閣寺と三島由紀夫ってセットなの?
今さらそんなことを思った。
 この章でも、もちろん小説「金閣寺」についても語られている。
セットなんだからしかたない。

 小説「金閣寺」は昭和25年の金閣寺放火事件に取材して書かれた。
だから小説に出てくる金閣寺は、再建される前の金閣寺だ。
そして三島由紀夫は、再建前の古い金閣も再建後の新しいピカピカの金閣も両方見ている。
どうも小説「金閣寺」の屈折は、ここから始まっているような気がする。

「すすけた古い建物」である金閣はショボい。
「新品の金閣では絵にならない」。
三島由紀夫の極上の美文で彩られた金閣の屈折にいつも私は置き去りにされてしまう。
 つまり分かんないのだ。

分かんなくてオロオロする私をホッとさせるような一文が、この章にはある。

もしかしたら三島由紀夫という人は、金ピカの金閣を見て素直に「きれいだなー」と言ってしまう人なのかもしれない。
そういう人であるにもかかわらず「金閣=きれいだなー」では文学にならないので、それで話をムリにややこしくしたのかもしれないーーという一面だってなきにしもあらずだろう。
三島由紀夫という人の中にはそういう"無理な二重性"も隠れていると思う。

どうかそうであって欲しいと願うばかりだ。

 小説「金閣寺」の主人公の学僧は、子供の頃から父親に「金閣寺ほど美しいものはこの地上にない」と吹き込まれて大きくなる。
そして現実に金閣寺をその目で見た時、
「何の感動も起こらなかった。
それは古い黒ずんだちっぽけな三階建にすぎなかった。」
と落胆する。
 「思ってたんとちがう」かったのだ。

 以前、大阪にフェルメールの絵が来たことがあって、私はその時喜び勇んで見に行った。
でも重い仕切りと分厚いガラスの向こうにいる真珠の耳飾りの少女は、びっくりするくらいよそよそしかった。
そんなバカなと、数年後またフェルメールが来た時、確かめる為に美術館に出かけて行ったが同じだった。
スタッフに注意されるほど近づいて見たけど、窓辺で手紙を読む女は、やっぱりよそよそしかった。
私は自分の審美眼の無さを棚に上げて、すごく傷ついた。

 鹿苑寺にはきっと、「思ってたんとちがう」があると思うのだ。
龍安寺にも天球院にも絶対ある。
 京都に行く用だってない訳ではないのだから、ちょっと覗けばいいのにその勇気がない。
私は金閣寺をガッカリ物件にしかねない、自分が怖いのだ。

 今年の春、東京に用があって生まれて初めて上京した。
お茶の水駅で電車を降りたのだが、なにしろお上りさんなので道がサッパリ分からない。
ケータイの位置情報がどうとか、そんなめんどくさい事するなら人に聞いたほうが早いと、道をたずねながら目的地に向かっていたら、突然目の前にニコライ堂が現れた。
 号泣するほど美しかった。
「ニコライ堂ってお茶の水にあったんや〜〜泣」
思いもかけない眼福だった。

この章の終わりに、橋本治はちゃんと教えてくれていた。

"美しい"ということは"美しいと思える瞬間に立ち会うこと"でもあるのだから、それで一向にかまわないのだ。

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