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「(自分の)傷を愛せるか」

自分が社会人になってから出会った本。
あくせくしているときに、少しブレーキをかけてもいい。そんな気分になれる本。

「開くこと、閉じること」

細胞が減数分裂を起こすとき、いったん細胞膜は閉じて、内外の物質交換を停止するのだと、ずっと昔に教わった記憶がある。

宮地(2010: 54)

1人になりたい。引きこもりたい。そんな気持ちがあってもなんら不思議じゃないと思わせてくれた一節。
自分が悪いとかじゃなくて、生物としての機能だから。何も飲まなければ喉が渇く、何も食べなければお腹が空く。それと一緒。そんな風に思えたら、少しは気が楽になる。

もちろんなにも新しいものが生まれなくても、なにも変わらなくても、ぼうっとする時間を楽しめればいいのだが、近代的な教育や競争の洗礼を受けてきた人間にとって、そこまでの境地にいたるのはなかなか難しい。

宮地(2010:55)

難しい。スマホを開けば華々しい世界、人と話せばきらきらした話。そうした刺激は間違いなく自分じゃないなにかとの比較対象になる。自分自身の変化だけに目を向けるのが難しくなる。だから漠然とした焦りだけが募っていく。

「ああ、これは明日の出会いの前の静けさなんだ」

宮地(2010:55)

もしかしたら、嵐の前の静けさなのかもしれないけれど、いずれにしても新しい出会いが待っている。変化の前ぶれがそこまで来ている。そんな風に感じられれば、静けさの時間も少しはこころ穏やかに過ごせるんじゃないだろうか。
こうして本の一説をとおして、自分と向き合う時間を作っている。明日からの活力となるアクセルになるもの。

もし一度立ち止まりたくなったとき、いつかブレーキを踏みたくなったとき、きちんと戻って来れる場所があるのは強い証拠。

引用:
宮地尚子. (2010). 『傷を愛せるか』 (1st ed.). 大月書店.

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