見出し画像

ガクセイジダイニチカラヲイレタコト

「俺さ、なんかガクチカって嫌いなんだよね」

「へぇー、なんでそう思うの?」

「いや、なんか、なんで『学生時代に好きだったこと』じゃだめなんなんだろって」

「うんうん」

「力を入れることって、困難を乗り越えて頑張ったみたいなイメージがある気がする。別に困難がなくても、普通なことでも、楽しくて好きなことならいいじゃんって。まぁ世間の言っていることは分かるんだけども」

「なるほどね~~」

「しかも、ガクチカって社会的なことの方が良いみたいな風潮ない?」

「あー、確かにサークルとか学生団体とかの方が研究よりうけるイメージある。ただの想像だけど…。でも、みんなそこまでこれが好き!って言えるものがないとか?」

「それは『力を入れたこと』でも同じじゃん、ていうかそもそもなんで人に言えるものじゃないといけないのかって思うんだよね。」

「たしかに。好きなことが世間で認められるものである必要はないよね。手段と目的が変わってしまいそうで怖いから私もまだガクチカ苦手だな。」

 


 そういう考えもあるのか、、と相手の話を聞きながら私にとっての学生時代に好きなこと(現在進行形)ってなんだろう、と考えていた。

 いろんなところに遊びに行くこと
 朝早いのに深夜まで友達としゃべること
 地元の友達と長電話すること
 1人で本を読んで考えること
 美味しいものを食べること
 かわいい服を着ること、メイクすること
 noteを夜にこうして書くこと
 ……なるほど。これが私の好きなことだけど、力をいれたことです!と世間に言ったら鼻で笑われてしまいそうだ。

 最近、知り合いの知り合いくらいの先輩から「ガクチカに興味ない?2年の今から書き始めれば周りと差を付けられるよ!」とか「ガクチカに興味ないんだ、なんでなの?」とかLINEが来てめちゃくちゃもやもやしたので書いてしまった。

 
 元々ガクチカは、本人の思考回路や行動特性、価値観を知るための手段として面接に使われていたとどこかに書いてあった。別に良い悪いを言いたいわけではないけれど、どんな位置づけで始まったにしろ相手に「語る」ということは何かしらのストーリー性とか一貫性を求められてしまうんだと思う。そう考えると、これまでの自分と、今の自分と、これからの自分に一貫したストーリー性を持たせて語ることには少し抵抗がある。

 

 

 色々考えてはみたけど、やっぱり私にはガクチカというやつはまだ早いかもしれない。もしかしたら永遠に苦手かもしれないんだけど。とりあえず、ガクチカについて話した彼は、翌日この会話きっかけで、作って1週間放置したアカウントで「自分の趣味と周りから受け入れられる趣味」について記事を書いてくれた。その記事がわたし的にはとてもよかったので、しばらくガクチカについて考えるのは先送りにしようと思う。

 

 

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?