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情緒不安定な夜..2022/08/21

表紙が全然夜じゃなかったけど、今日撮った写真は昼の写真しかなかったから仕方がなかった。


noteを更新できていなかった。最近、夜になると高校同期3人でLINE通話を繋げながら作業をすることが増えて、1人の時間が減ったことも要因の一つであると思うが、なんせ三日坊主なのできっと続かないだろうとなんとなくは感じていた。
今晩もありがたいことに12:00まで友達と電話をした。寂しさを忘れられるし、普段の悩みや考えを人に聞いてもらえて、それに対して意見を聞けるのはとても貴重だなと感じるので、この時間はとても好きだ。ただ、電話を切ったあと、いつもより心が寂しくなってしまった。SNSで、遠征している彼の近況報告を聞いた途端に涙が出てきたのである。情緒が不安定であると表現することは簡単だが、最近は頭がびっくりするほど心が予測不能な反応を見せる時がある。その報告を聞いた時はベッドの上で、目から涙が止まらなくなった。しばらくしてから、自分の出来る範囲でその訳を考えた。積極的に行動をして貴重な経験をしている彼と、今の自分を比べてしまって情けなくなったか。ずっと会えなくて感じていた寂しさを押さえつけていた分が耐えきれなくなったのか。きっとその両方なんだろう。そして自分では気付けないような別の理由もあるんだろうな。ただ、他人は他人、自分は自分と割り切って考えたくても、その通りにならないこともあるし、そういうモードから抜け出すのには何かしらのきっかけが必要だと思った。それが今回は、彼の誕生日ツイートだった。そこには、「沢山のことに挑戦して、色々なことができるようになりたい。そしてより多くの人の気持ちがわかるようになりたい。」的なことが書かれていた。この文を読んで、彼が意識して目標を持ち挑戦していることを知り、少し心がホッとしたのと、あとは純粋に彼の考え方や行動力にすごいなと思った。そう思えた自分自身にも少し安心したのかもしれない。あまり良いことではないし、自分と人とを比べているという点では何も変わっていない。ただ、心にこびりついた、どうしようもないやるせなさは一時的に流すことができた。今はそのことに本当にホッとしている。こういう嫌な思考の癖から抜け出すためには、何が必要なんだろう。悶々と考えている時間が今はただ苦しいし、彼みたいに思うがままに自由に行動したいと強く心が願っている。その一方で、自由が意味する責任に怯えて、あるいは微かに変わりつづけている自分と向き合わず、ずっと同じ場所に立っている自分がいる。多分私は気づいていないこと、見えていないものが多すぎるのだと思う。そういうものに少しでも触れるたびに、考え方というのはどんどん変わっていくことを私は知っている。もっと貪欲に知らないモノや考え、世界にふれたいし、今見えていないたくさんのことに早く気づきたいな。

今はこう考えるので精一杯だ。未熟でごめん、自分。

でもおみくじに書いてあった、「他人は他人、自分は自分と云う心で、雄々しく進めば万事吉多し」という言葉は本当に大事にしていきたい。そのためにも、やっぱり心の成長は必要だな..

訳の分からない読むづらい文ですみません。でもnoteにかけて、少しスッキリしました。

それではみなさん、おやすみなさい

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