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『 自然と日本文化 』




『 日本文化 』


自然の世界を表現したいと思い続けてきた私は、近代西洋文化の、個性の表現、個性的表現、斬新な表現などという方向にはあまり興味はなく、おのずと東洋の文化の方により多く魅かれて行くようになりました。
中国画の世界を理想としていた私は、分かりもしない難解な中国画論を探しては読み漁っていたものです。
そうしている中、大学の日本美術史の教授であった水尾比呂志氏を知り、日本の美術、文化、さらに民藝の世界を知り、大きな影響を受けるようになりました。
以前から日本の文化には興味があり、水墨画を描いたり、書を書いたり、能を見に行ったりしていたものですが、当然ながら深い内容を理解できるはずも無く、その雰囲気を味わっていただけのものだった様な気がします。
その様な中で、水尾比呂志氏の著書を読むうちに、日本の文化の根元がいかに自然に根ざしているものかと言う事を知るようになり、さらには自然の中に「 絶対なるもの 」さえ見い出しているという事実を知らされるのです。

  自然と日本人の関係は、自然対人間の二元的対立によってではなく、自然即
   人間の一元的世界における交感で結ばれている。  (中略)
   この交わりの親密さは自然が全ての根源であるという認識とともに、自然は全て
   の規範であるという認識を深く涵養した。生命の根源を自然に求めることは言う
   までもなく、生命の活動とその産物はことごとく自然を真として営まれなければ
   ならないという倫理観を生じ、自然を範として生まれ出たものは全て善であり美
   であるとする認識が行きわたった。日本人の生活と文化の諸相は、すべてこの観
   点から解明してほとんど誤りなく真相を明らめる事ができるであろう。

    水尾比呂志.(1971).『わび』.pp.187.淡交社.



例えば、 水尾比呂志氏が言うように、日本人ならば誰でも、ものの評価をする時に無意識に使う「これは自然だ」、「不自然だ」という表現は典型的な例でしょう。
自然の理に適うか適わないかが、価値観の根底にあり、日本人の 良いか、悪いかの価値基準にさえなっているのです。この言葉だけで日本人なら誰でも、その是非の判断を理解し、納得できる程人々の中に深く浸透している価値観なのではないでしょうか。

  日本の美術品として私達が取り扱っている数多くの美しい作品は、その95%ま
   でが生活に密接に関係する工芸品であるが、それらの装飾はことごとくと言って
   よいほど自然を模様化したもので占められている。
   またそれらの作り方や用い方は、人間性の露出をできるだけ避けた配慮がなされ
   ている。どれくらい自然さがそこにあるかが、美の判断の基準となるほど、日本
   人は小賢しい人間の知識や性質の露出を嫌うのだ。かくの如くにして、日本人の
   生活は自然美という様式に統一されてきた。

 水尾比呂志.(1971).『わび』.淡交社.


この様な日本人の性向こそ西洋文化と異なる、独自の文化を創り出してきた根源的な要因でしょう。
日本の絵画の歴史を見ても、大和絵から水墨山水画、障壁画、屏風絵、絵巻、掛軸にいたるまで、すべては自然の見事な表現の歴史と言ってもいいでしょう。
そしてさらには、陶磁器、木工漆器、歌道、茶道、花道、庭園、建築に至るまで、
日本人は自然を師とし、友とし、伴侶として来た事を知らされるのです。


日本文化全体を通して眺めて行くと、ちょっと不思議な傾向に気がつきます。
それは二つの大きな流れが並列しているという事です。
例えば、絵画の歴史を見ていくと日本独自のものとして発展して行った大和絵の流れが、桃山時代になっても、依然と町絵師や長谷川派に代表される様な叙情的な自然表現が続き、それがやがて琳派という装飾的な表現となって行きます。
しかし、そうかと思うと、もう一方で中国絵画に影響された、いわゆる漢画というものの流れがあり、それが雪舟を代表とするような精神性を追求するものの流れとなり、それが、やがて悟達、胸中の自然、を求める文人画というひとつのジャンルを形作る事になるのです。
何か全く性質の異なるものが並列的に共存していく様な印象を受けるのです。
それはまた宗教の方面としても、自力禅宗の流れと、同時に他力浄土宗の流れが並行して進んでいくのも同じ様な印象を持つのです。
この点が、日本文化というものを簡単に一括りに出来ない、複雑な理由の一つではないかと思うのです。
水尾比呂志氏は琳派研究の専門家です。氏は日本文化の造形性の根本的なものは、その装飾性にある、としています。絵画の中での大和絵の流れ、また工芸品における、絵画の模様化、装飾化を見れば、それは誰でも肯首する事でしょう。
しかし、それと共に禅宗禅の造形 が日本に受け入れられ、中国では滅んでしまった禅が今もなお日本で受け継がれているという事実を見ると、この世界が日本人のもともと持っていた深いところの「もの」に触れ、顕現させたと言う事も間違いの無い事実ではないかという気がするのです。

この事は何を意味するのでしょうか?
日本人は二つの性質を合わせ持っているとでもいうのでしょうか?
それともどちらのものにも順応できるという性質ゆえなのでしょうか?
それとも日本人には二種類の人間がいるのでしょうか?

これは中々面白いテーマで、是非とも専門家の方に研究して頂きたいテーマです。



『 東山文化 』

これ程の日本の美しいものの溢れる宝庫の中にあって、何が一番好きか?などという質問は野暮な話で、全ての美しいものを楽しめばいい訳なのですが、しかしながら個人としては その中にあって、特に私が魅かれるのは『 東山文化 』の造形なのです。

『 東山文化 』は、以前から私が最も好きで、魅かれ続けてきた文化です。
何か全ての文化、芸能において極まった感じがするのです。
例えば 枯山水の如く、(舞や音曲)の如く、茶道の如く、何か心の一番深いところにまで達し、揺さぶられるような感動を覚えるのです。
そして、それが一部の時代、一部の階級のもので終わらずに、さらに後代においてまで、日本人の文化に波及し、広まり、日本人全体のものになって行った事を考えると、東山文化が達した所は全ての日本人の根底にある価値観、美意識にまで達したものだったのではないでしょうか。

もちろん一つの時代の美意識や価値観を形成した要因がたった一つだけという事はあり得ない訳ですが、(その要因として、同朋衆、時宗の影響も指摘されていますが、)東山文化にとって、禅僧である一休の影響が大きかった事は間違いない事でしょう。ここで、人が創造、活動するという事の根元を創作者自身が体得し、認識する事になったのです。ここで美と真というものがはっきりとした形で認識され、結びついたのです。つまり 美=真 という公式がはっきりと認識されたのです。
  

  日本人が元来持った自然愛は、もちろん、美しい事物に對する生得の美的感覺
   であった。しかし、美を味ふ心の底には宗教的なものがある。宗教的でなければ
   、誰も純粋に美しいものを探り出して、これを樂しむことは出来ないからだ。
   禅が日本人の生来の自然感情を極度に敏感にしたばかりか、哲学的及び宗教的
   な背景を與へて、これに大きな拍車を加へたことは、否定出来ぬ。

    鈴木大拙.(1988).『続 禅と日本文化』.pp.53.岩波書店.

この時代における有名な能楽師、世阿弥は「風姿花伝」の中で、
「妙とは妙(たえ)なりとなり。妙なると言ふは、形無き姿なり。形無き所、妙躰なり。(中略)為す所の態に、少しも拘らで、無心無風の位に至る見風、妙所に近き所にてやはあるべき。」
と言っていますが、これは誰が見ても明らかに禅の影響を受けての言葉でしょう。

この時代の文化一般の傾向について水尾比呂志氏は言っています。

       能や連歌におけるかかる寂び冷えた理想の姿、それを要約してさびと呼ぶとす
 れば、さびの境地を究極の美として希求しようとする意識は、室町の顕著な特色
 であった。それは、(中略)無を基調とする世界への憧憬であり、無に立脚して
 美を現じようとする志向である。
そのことによって、鎌倉仏教の宗祖たちが拓い
   た無常の超克を継承し、南北朝の荒涼索莫を乗越えようとした、時代の意思に他
 ならない。

     水尾比呂志.(1971).『わび』.pp.77.淡交社.


この時代、絵画、連歌、花道、茶道、香道、能、枯山水と数え上げればきりがない程の文化が花開き、それぞれが頂点に達した感がありますが、その中でも特に茶道において極められた美意識というものが、後々になるまで日本人の美意識の規範になったという点で注目されます。
それはこの時代の茶人、珠光、紹鴎、利休によって完成され、示された「わび茶」の美の相においてです。特に、紹鴎の高麗茶碗、井戸茶碗の登用により、わびの美は究極にまで高められたと言います。

  わびは完全不完全の二相に捉われず、その区別の絶えた境地であり、わびの美
    は完全美不完全美の対立を超えた絶対美究竟の美であって、美という性状すら        払拭された自然法爾、尋常無事な相を現成しているもの、と解明すべきであろう
   。
  水尾比呂志.(1971).『わび』.pp.133.淡交社.

水尾比呂志氏、柳宗悦氏は共に、この絶対美、究竟美の例として、韓国の李朝時代の刷毛目茶碗をあげていますが、大変分かりやすい例でしょう。それは人の目にとまる様な美しい色も、可憐な模様もありません。洗練もされていない荒い素地の上に白の化粧土をはけで擦っただけの民衆の雑器にすぎません。所がこの雑器に茶人達は無上の雅趣を見い出します。

私も昔から特に好きなもので、私の所蔵の品ですが、参考に載せてみます。

刷毛目茶碗
刷毛目茶碗
刷毛目皿

これらの物に、茶人達は何を見たのでしょうか? 何を無上と言うのでしょうか?
柳宗悦氏はこれらが生まれた場とは、美醜が生まれる以前、美醜が別れる以前の場から生まれた物だと言います。意識、分別の出てくる以前の世界です。
禅で言うところの「 渾沌未分 」、「 天地未分 」の場であり、以前述べた「 エデン 」、「 浄土 」、「 向こう側の世界 」の事です。
全てのものはここから生まれてくると言います。
そしてこれこそ、自然の美の相であり、自然本来の相です。自ずから然りの相です。

これらの物を見ていると、人間が作ったものでは無い、まるで自然に出来上がったもの、自然が創り上げたものという様な「 感じ 」を誰でも持つのではないでしょうか?
「 名工跡をとどめず 」という句があります。これはものを創る者の最上級の目標として、言われ続けて来た事です。これは作者の創意や、努力といった意識や、自己顕示 が残る様では未徹というところの価値観です。それは創作者が存在しなかったような、まるで自然に生まれたかの様なものを最上のものとする価値観です。この様な自然の性に近いものを日本人は尊びます。そしてそのような美にして初めて、絶対的な、究竟のものだと認めるのです。ここに日本人は美の、真の最終的なものを見るのです。



例えば、私は音楽を聴かない日は一日も無いほど音楽が好きで、クラシックを中心に聴いていますが、学生の頃から聴き続けていると次第にどんな演奏が良いものかと、考える様になるものです。(これについては、まだまだ門外漢の私には分からない事が多く、いずれまたどこかで書きたいと思っています。)個人的な印象としては、目をつぶって聴いていて、演奏者が頑張って弾いている情景が浮かぶような演奏家はまだまだで、一流の演奏家となると、その音楽を上手く弾いているのでは無く、音楽がひとりでに流れてくるもののような感じがするのです。まるで弾いている人がいないかのようです。そしてさらに超一流になると、まるで音楽が天から降り注いでくる様な印象なのです。こういう演奏家にして初めて名演奏家と呼ばれるのではないでしょうか。
これも、「 名工跡をとどめず 」と、同じ所を見ての所感なのではないでしょうか。


これは昔から「 無心 」と呼ばれている境涯なのではないでしょうか?
この言葉はもう大分使われ過ぎてしまい、色々のものがこびり付いてしまっているような気がするので、「 無心 」についての鈴木大拙氏の言葉を引用させていただきたいと思います。

  有心 無心  有意  無意 を離れたもの、無義を義とする物である。これがすなわ
 ち人間的無心というものである。この無意味の意味、無目的の目的を体得すると
 ころに、上述の無心の世界があると、自分はこういう風に言いたいのである。
  (中略)
    つまり有と無との間というか、有でもない無でもないところを歩ん
 でゆくところに、いわゆる人間的無心なるものを認めたいのである。
   (中略)
 無心で有心の世界、有心で無心の世界、神ながらでなくてしかも神ながらの世
 界、自然本能を否定して、しかも自然本能の働きで働く世界ーこれが無心で超道
 徳の世界だ。

                          鈴木大拙.(2008).『無心ということ』.pp.191-2.角川学芸出版.



中々難しいですね。私のような凡人にわかるはずもありませんが、しかし、日本人ならば、誰でも知っているこの「無心」という言葉の意味するものを、はっきりとは分からないながらも、何となく人は理解しているのではないでしょうか。

禅の世界は、室町時代以降あらゆる分野に波及して行きました、宗教はもちろん、芸道、さらには武道に至るまで広がって行きます。沢庵和尚と柳生宗矩の交流は有名な話です。武田信玄や上杉謙信も深く禅に参じた武人です。禅は武士により圧倒的な支持を得たため、禅の修行は武士のたしなみにさえなって行ったようです。またの普及などとも相まって、禅の世界はさらに広く一般的な大衆にまで広まって行ったようです。おそらくこの様な中で「無心」の言葉も、最も重要なものとして広く知られて行ったのでしょう。この世界こそ理想であり、究極の世界、最終的な境涯であるいう認識を、本当の意味する所はわからないながらも、なんとなくその意味する所の世界を日本人は知るようになったのでしょう。

  無心の境涯ということは、仏教独自のもので、また兼ねて東洋的心理の最も特  
   徴とするところでないかと思うのである。(中略)
   東洋人になると、何かしら昔からいろんなことをきかされているので、また、自  ら一種その境地を現出すべき空感のなか起居しているのではっきりと意識せぬま
 でも、何となくその髣髴を嗅ぎつけるとでも言い得べきものがある。もとより本        当のところは、嗅ぎつけるとか勘づくとか、いうような、普通心理学者の考える  
 ものと雲泥の相違はある。決して心理学者の生推量でわかるものではないので、
 いつも、「錯了也」ではあるが、それでも、「方向」とでもいうべきものを、何
 となく感じるのである。東洋人にはこの心理的特性があるので、上来の所述も、
 全然的なしに矢を放ったのでもあるまいか。

     鈴木大拙.(2008).『無心ということ』.pp.216-7.角川学芸出版.


日本人なら誰でも知っている、この「 無心 」という言葉の意味を、はっきりとは分からないながらも、何となく知っている、何となく分かっているーという所、また同様に、茶の文化の極めた、「 わび 」「 さび 」、降っては「 渋さ 」などの美意識も同じように、後々まで日本人の価値観として残っていく事になります。

禅の「無心」と同様に、明確な一つの価値観、美意識が一つの民族の共通項として残って行った例が、他の国にあるのかー私は知らないのですが、しかし、そうなるからには、よほどその民族の底にある共通する「 もの 」に達したことの証しでしょう。

そして「 東山文化 」の創造者達はその「 もの 」を形在る物として、眼に見える物として残してくれたのです。(枯山水、茶室、茶道具、能、連歌、書、水墨画、等々)これにより私達は、美の本質を頭ではなく、理屈、概念では無く、眼に体に見届ける事が出来る様になったのです。これは日本人の誇るべき財産だと思います。



この「 もの 」の当体とは何でしょうか。これこそ「 無心 」の世界であり、それは以前に述べた「 自ずから然り 」の場の価値観です。老子の「 無為にして為さざるは無し 」の所、「 自分以上の者の働き 」「 超個の働き出す場 」「 本来の働きが動き出す所 」
どうも突き詰めて考えて行くと、このような世界に辿り着かざるを得ないように思うのです。この様な「 場 」「 所 」「 働き 」に辿り着いて初めて私達は最後の決着、落着を見るのではないでしょうか。
そして、この様な世界を、日本人は、日本の文化は示してくれている様な気がするのです。





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