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歳末総ざらえ(2022)

料理が好きだ。
好きと得意は別物なので、言っちゃあなんだが上手くはない。食べれるし、おいしいものにはなるのだが、特別おいしい!わけでも特別きれい!なわけでもない。
特に煮込み料理が好きだ。
切って、ぽちゃぽちゃ鍋の中に具材とスープの素やら調味料やらをいれて、火をつける。
沸騰して灰汁をすくう瞬間。圧力がかかってしゅんしゅん蒸気が出ているあの時間。時折蓋を開けて様子を見る時間。
じっくり煮ている鍋の前で意味もなく立っているのがすきだ。
自分のおろかさや、考えすぎてしまうことや、日々の悩みや、楽しいことすらも鍋の前にいると忘れられる。
ちなみに今圧力鍋でおでん煮ている。現在進行形で、このnoteも鍋の前で立ちながら書いてる。

ここ二年くらいそういう時間を忘れていた。
わたしは鍋の前にたつのが好きだということを。
そして年の変わり目の大晦日の今日思い出している。

今年は激動だった。
だましだまし動いていた数年のツケを払うように心がぶっ壊れてしまって、会社を辞めた。
休職じゃなくて退職を選んだ。休職だと戻る意識に追い詰められて立ち直れなくなりそうだった。退職でよかったと思っている。

休むのが下手なわたしは休みかたを知るまでおよそ2ヶ月強かかった。
休むことに罪悪感を覚えなくなったのは12月くらいになってからなので、この魔物とは一生の付き合いになりそうだと思っている。
けれど、休むのは悪じゃないって体感できたことは大きい。

自分の身体的特徴や自分の欲に肯定的になり、目を背けていた部分に素直に向き合うことが少しずつできるようになった。
自己肯定ってよくある言葉だ。今年前半ぶっ壊れてるときに専門書とかしこたま読んだけど、全然肯定できるようにならんかった。
ちょっと秘密のきっかけがあった。
それは本ではなく、人との関わりの中で生まれ、体温が通った言葉を何度もかけてもらって、初めてわたしは人生で自分にかけられた褒め言葉を素直に受け止めることが出来たと思っている。
その人とまた出会えるかはわからないし、あの言葉が本当か嘘かはわからないけど、わたしのことを褒めてくれてうれしかった。掛け値なしのきらめく瞬間だった。一生忘れないだろう。あの思い出を持っているだけで、強く自分を愛せる気がする。

QuizKnockに出会った。たまたまみた動画がきっかけで、はまった。退職してから、ぼんやりと手持ち無沙汰で焦燥感とぶっ壊れた心のまま、たくさんの動画を見た。
クイズの面白さを初めて知って、学ぶことの面白さにもう一度出会った。ああそうだ、学ぶとか知るって最高におもしろくてたのしくて、渇望していたものだよ。
いつか得たいと思っていて諦めていた算数のことに向き合えたのも、英語をもう一度勉強しようとおもってTOEICをうけたのも、本をまた読み始めたのも、QuizKnockに出会えたからだ。大袈裟ではなく、ほんとに。
学ぶや知るの楽しさがあふれんばかりにつまった数々の動画で見ているうち、自然とばらばらになった心のパーツを縫い合わせていた。

最後。
生活を変える決心をした。別れる選択肢をとって。後悔は何もない。後戻りもない。
言ってしまおう。わたしはレズビアンである。迷いなく、女性が好きだ。
それで淡白かというと実はそうではなく、めちゃくちゃハグとか手を繋ぐとかキスするとかしたい人なのだ。思い出も記念日も永遠も積み重ねを信じて、一緒に歩んでいきたい愛重い人。これを肯定するまでとんでもなく時間がかかった。
でまあ、直視して肯定できてたわけなので無敵ですね。
来年のことを話すと鬼が笑うというが、もうあと数時間で来年だし許してほしい。2023年は素直に生きていきたいと思います。

ここまで書き終わってちょうど圧力が抜けました。練り物入れてもっかい煮てくるね。

今年出会った方、このnoteを読んでくれた方、わたしのことをほとんど知らずにそれでも話してくれた誰か、わたしに文章をもう一度書きたいきっかけをくださった方、ばらばらの心を繋いでくれたものや人や音楽や食べ物や本たち、わたしが怒ったり憎んだものも、全部のいろんなもの。
今年お世話になりました。来年もどうぞよろしくね。来年はもっと素敵なわたしになるよ。