自分の責任。
私がこうなったのは親のせいだ!
私が不幸なのはあんな家庭で育ったからだ!
私が離婚したのは旦那のせいだ!
などなど色々……。
(こんな書き出し、びっくりしますよね😁)
そう、
上手くいかないことはすべて人のせい。
私に非はないのだ。
こんな感じで私は人のせいにして生きてきた。
私が9才の時、母は妹二人を連れて居なくなった。
父と兄、弟と四人の生活になった。
それから私の地獄の日々が始まった。
これを私の「おしん時代」とよんでいる。
家の事は全て私がする生活が始まった。
父はいつも不機嫌で仕事から帰ると酒を飲む。酔っぱらう。自分のストレスが満杯になったら何時間でも説教をする。
それがいつも日曜日の夜と決まっていた。毎週日曜日の夜は恐怖だった。
ちょっとでも嫌な顔をしようものなら、手元にある物を投げてきた。
寝せてもらえないのだ。
小学校の私には永遠にも思えるほど長い長い時間だった。
今、思えば父も不安だったのだろう。
怒りもあったのだろう。
母が居なくなり自分はご飯を炊くことも料理をすることもできない。
9才の私にさせるしかなかったのだ。
申し訳なさもあったのかもしれない。
…これは空想だけど。
私は一生懸命、家の事をした。
父の機嫌をそこなわないように。
とにかく料理も洗濯も掃除も頑張った。
父が恐ろしかったからだ。
怒られないように、傷つかないように生きるのが身に付いた。
暗くて重くてしんどい青春時代だった。
でもそれを自分が選んだってこと。
暗くて重くてしんどいを選んだってこと。
父が怖いからやる。言いなりになる。。
できないって言ってもよかったし、逃げてもよかったはず。すぐ隣に祖父母も住んでいたし、すぐ近くに叔父叔母も住んでいたし。じいちゃん、ばあちゃん助けてって言えば助けてもらえたかもしれない。
甘えてもよかったはず。幼かったから…仕方ない…っても思うけれど、大きくなってからも逃げるという選択肢はあったはず。だから結果、自分で選んだことになる。
母がいなくなってから父は母の事をたいそう悪く私たち子どもに言って聞かせた。
母だけが悪いように。
こうなったのは母親のせいだと言っていた。
そして私は長く父も母も憎むことになる。私が不幸なのはこんな家庭に育ったからだと。
悲劇のヒロイン😄
私は人のせいにする人が目につく。
なんや?こいつ…。(あ、口が悪っっ😅)
これも自分の持ち物だから目につく。
なんや?こいつ…。
人を指さした指は自分に向けろ~。
「自分を知る」を教えてくださった先生から教わったことだ。
人のせいにばかりしている私の事を先生から教えてもらった。
ショックだったなー。。
そんな自分だなんて思ってもなかったから。
また認めるまでに相当な時間がかかったのはいうまでもない。
私は人のせいにしながら生きてきたつもりはこれっぽっちもなかったのだ。
ただ愚痴を吐いているだけで、人のせいにしてるなんて思ってもなかった。
自分は気づいてない。
知らないのだ。
知ろうともしてない。
知りたくないからだ。
そりゃ嫌われるわ💨💨
これで人から同情されたい、好かれたいなんて頭おかしい(笑)!!
これも私。
上手くいかないのを人のせいにしたらその時は楽だ。
でも自分の奥底では知っている。
自分が人のせいにしながら生きていることを。
だからいつも心はモヤモヤしてる。
先生から教えてもらった後に自分を調べるのだか、やっぱり私はそんな奴じゃないと抵抗を繰り返す。
認められないのだ。
認められないうちはまた、人のせいにしてる人が用意され私の目の前に現れる。
ずっと見せられるのだ。
最後に兄弟が渾身の演技。
人のせいにしながら生きている姿を体をはって見せてくれた。
その姿がしんどそうに見えた。
長く時間はかかったけれどやっと人のせいにばかりしている自分を認めることができた。
早く認めりゃいいのに😅
自分が選んだんだから、自分の責任でしょ👍✨️
いつか私のブログが世界中の誰かの目にとまり、私の言葉がその誰かの心に引っかかればいいな、助けになればいいな、これでいいのだと思って元気になってもらえたらいいな…と思いながら書いています。
まだまだ私の自分を知るは続いていきます!お楽しみに!
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