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OZAWAと歴代トップレスラーを比較してみると

それにしてもOZAWAは、何故デビューたった2年4か月で、武道館の観客を手に平に乗せる、完璧な間合いを身に着けることができたのか?
身体能力を生かした技のキレ味もさることながら、それを生かすための緩急のつけ方、試合運びの巧妙さには、ただただ脱帽するばかりでした。

ノアの選手はもとより、オカダ、棚橋、内藤といった新日本のスーパースターでも、間合いを自在にコントロールできるには、5年以上かかったはずです。
年齢は今年29歳と高めだし(清宮と同年齢)、人生経験も踏んでいるから、10代や20代前半でデビューした選手とは同列に論じられない部分もありますが・・・それにしても「プロレスラーの成熟にはキャリアが必要という概念」を、完全に壊した気がするのです
そんなことができたレスラーは、今まで存在したのだろうか?


・・・ということを考え出したら、日本の歴代トップレスラーのデビュー2年~3年の頃と、今のOZAWAとの「成熟度」を比較検証したくなりました。
彼らと比べた時、OZAWAはどのくらいの評価に値するのか?と。

YouTubeだと新日本系の動画が基本、扱われていないので、不足はあるのですが・・・それでもかなりのレスラーは拾えたので、その試合ぶりを比較検証していきたいと思います。


〇力道山(デビュー2年4か月=1954年2月)

奇しくもというか、初の日本プロレス興行でシャープ兄弟と対戦した時の力道山は、今のOZAWAと同じデビュー2年4か月なのでした(年齢は当時30歳)。海外遠征を経ての凱旋試合でもありますね。
朴訥な木村政彦と比べ、力道山の一挙手一投足の「絵になり方」が凄いですね。トップロープをひょいと飛んでコーナーに帰るなんてこともやっている。全部の所作が決まっていて、文字通りの「千両役者」です。
この時点で力道山は、プロとしての見せ方を全て心得ている感じで、いわばいきなり「成熟した完成形」として登場したわけです。プロレスブームが沸き起こったのは、やはり力道山の天才ゆえだと、納得してしまいます。

〇アントニオ猪木(デビュー2年1か月=1962年10月)

日本プロレス若手時代の猪木の試合の映像があるわけはない・・・のですが、何とTVドラマ『チャンピオン太』で死神酋長を演じた時の映像が残っていて。悪役ギミックの猪木が力道山と対戦した、貴重な記録映像となっています。
年齢が19歳と若くて、海外遠征前なので、まだまだ発展途上なのは仕方ないですが、身体は大きいし、逸材性は感じさせてくれます。
猪木が日本でブレイクするのはデビュー6年1か月、23歳での東京プロレス旗揚げ戦で、ここから4年後ですね。

〇ジャイアント馬場(デビュー2年6か月=1963年3月)

こちらは馬場の凱旋帰国試合、コワルスキー戦ですね(当時25歳)。
2メートル9センチの馬場が、その身体をさらに大きく見せるような雄大なファイティングポーズと、スケールの大きな技で、力道山にはない新たなプロレスを、存分に見せています。
この時点でもう馬場はアメリカのトップスターで、アメリカンスタイルのプロレスを完全に吸収し、すでにその試合ぶり、見せ方は成熟の域に達していると言えるでしょう(インター王者になるのはこの2年後ですが)
やはりジャイアント馬場は馬場だ・・・と納得できる試合映像ですね。

〇ジャンボ鶴田(デビュー2年9か月=1975年12月)

ジャンボ鶴田(当時24歳)は力道山や馬場と比べて、アメリカ修業時代が短いので、プロとしての洗練度は劣っていますね。線もまだ細いです。
とはいえ、長身とレスリングの技術、天性のバネと、揃うものは存分に揃っていて、他団体のエース、木村に押し勝つほどの力量を見せていますし、「強さ」「技の見栄え」という点では、モノの違いを見せていますね。
翌年にはUN王者となり、3年連続でベストバウトを獲得していますね。キャリアの最後まで「成熟した」とは言えなかった鶴田ですが、それでいて「最強」という称号を得たのですから、凄い存在ではあります。

・・・とこのあたりまでは、比較的順調な例が多いのですが、ここからは、プロの壁にぶち当たった例が、目立ち始めます。

〇長州力(デビュー4年6か月=1979年1月)

長州(当時28歳)はデビュー3年目までの映像がなく、4年目のヤマハとの試合映像となりました。
レスリングの実力はあるので試合ぶりはしっかりしているのですが、プロとしての華やかさに欠けて地味、というところを、なかなか突破できないでいましたね(2年以上の海外修行を経ているのですが・・・)。
長州がブレイクするのはこの3年後の31歳の時の、「俺はかませ犬じゃない」発言からですね。

〇天龍源一郎(デビュー2年8か月=1979年2月)

当時29歳の天龍の、アメリカでの鶴田とのタッグ戦です。
正直言ってこの頃の天龍は何も出来ていません。試合運びは淡々としていて、間合いも、技の見栄えも悪いです。
ファンクスの言われた型通りのことをこなそうとして、でもその型さえうまく決められない。何をしていいかわからない。そんな時期だったと思います。
天龍が覚醒するのは、この2年後、31歳の時でした。

〇佐山聡(デビュー2年11か月=1979年4月)

メキシコ時代の佐山(当時22歳)ですが、すでにタイガーマスク時代と同じムーブを披露しているし、完成形に近いファイトぶりを見せています。
この人はやっぱりプロレスの天才で、技術もあり、見せるセンスもあり、別格の存在と言う感じですね。

〇三沢光晴(デビュー3年=1984年8月)

当時22歳の三沢の試合です。
二代目タイガーマスクであるがゆえに、佐山と比べられる不幸はあったものの、改めてみると三沢の試合運び、技のキレには天性のセンスを感じますね。メキシコに遠征しての帰国初戦でしたが、レスリングの上手さに飛び技を組み合わせて、試合ぶりはすでに安定しています。
ただやはりタイガーマスクであった時代には、ファンの支持をなかなか得られませんでしたね。

試合映像がないので残念ですが、武藤敬司が最初の凱旋帰国をしたのが、デビュー2年の1986年10月でした(当時24歳)。
しかし天才と言われた武藤も、この頃はファンからの反感を買って、苦戦していましたね。

〇小橋建太(デビュー2年4か月=1990年6月)

当時23歳の小橋の試合映像です。
何の格闘技キャリアもない人間としてプロレス入りした小橋は、技こそまだまだ粗削りなものの、試合中の表情というか、感情表現力が素晴らしく、すでに武道館の観衆を乗せまくっていますね。
「前座から這い上がった0からの叩き上げ」にふさわしい熱血ファイトぶりが、ファンの共感を得やすかったのでしょう。
実力は途上でも、小橋のスタイルは、すでに確立し始めていますね。

〇丸藤正道(デビュー2年8か月=2001年4月)

当時22歳の丸藤の試合映像です。
この時の丸藤の「恐るべき天才ぶり」は凄かったですね。対抗戦ということもあるけど、それまでのプロレスのセオリーにない動きや技を見せ、相手を翻弄しています。
まだ身体の故障もなかったですからね。むしろこの時代が一番「凄みのある丸藤」だったかも知れません。

〇棚橋弘至(デビュー3年10か月=2003年8月)

こちらはすでにデビュー丸4年近い棚橋(当時27歳)ですが、まだヤングライオンからの脱皮途上という感じですかね。
身体つきも試合ぶりにもまだゴツゴツ感があり、ちょうど今の大岩陵平に近い感じがします。しかし試合ぶりの巧みさは、秋山に絶賛されていましたね。
この3年後、30歳の時にはIWGP王者となりますが、ファンに支持されるにはまだ時間がかかりました。

〇中邑真輔(デビュー1年11か月=2004年7月)

この時点ですでにIWGP王者経験のある中邑(当時24歳)。レスリングの動きにはさすがのものがあります。
しかしまだプロレス的表現者ではありません。
にもかかわらず頂点に立ってしまったことで、この後しばらく、ファンの支持が得られず、苦労することになります。
佐々木憂流迦選手には、この頃の中邑を見て奮起してもらいたいものです。

〇オカダ・カズチカ(デビュー4年8か月=2009年4月)

新日本再デビューからは1年6か月後、当時22歳のオカダです。
まだヤングライオンの時代で、鼻っ柱は強く、負けん気で向かっていくけど、線が細いので、やり返されてしまう展開が多かったですね。
まだまだ原石の段階で、この3年後、25歳でレインメーカーに変貌していく片鱗は感じられませんね。
ただし、レインメーカーに変貌して帰国した時には、全てが完成形に達していたのは、特筆すべきことです。

〇内藤哲也(デビュー4年3か月=2010年8月)

当時28歳の内藤哲也の試合映像です。
すでに海外遠征も経験しているのですが、まだまだ実直な試合ぶりで、芸達者な他の選手たちと比べて、自分の色を出せている感じはないですね。
内藤がブレイクするには、ここから6年の時間がかかり、彼は34歳になっていました。丁度デビュー10年でしたね。

〇宮原健斗(デビュー4年3か月=2012年5月)

健介オフィス時代の宮原(当時23歳)です。すでに技には良いものがあり、滞空時間の長いジャーマンも見事に決めています。
それでも、今の宮原とは別人のように、おとなしい印象がありますね。
健介の流儀に従っているのか、パフォーマンスは一切なく、無骨に相手を攻め込むばかりですから。
この翌年、健介オフィスから離脱した時から、宮原の本当のレスラー人生が始まったのでしょうね。

〇竹下幸之助(デビュー4年1か月=2016年9月)

デビュー4年、21歳の竹下の試合映像です。
相手が小柄とはいえ、竹下のフィジカルモンスターぶりは別格という感じですね。DDT所属だし、見せ方も心得ています。群を抜いた大器、という感じは、間違いなくあります。
凄すぎて、ファンの感情移入を得られにくいというのが、今も残る課題だとは思うのですが。

〇清宮海斗(デビュー2年3か月=2018年3月)

そしてこれが、清宮海斗(当時22歳)のデビュー2年3か月目のファイトです。
半年の海外遠征から帰国した清宮の体つきは、今より太くてがっしりしていますね。
試合ぶりも、トータルバランス的に見てなかなかのもので、同キャリアの歴代レスラーと比べても、レベルは高い方ではないでしょうか。
ただ、それがゆえに、この年の暮れにはエースに抜擢されてしまい、かえって苦労したことも事実でしょう。
OZAWAという刺激を得て、どうなっていくかが注目ですね。

というところで、現在キャリア2年4か月のOZAWA(今年29歳)を改めて見てみると・・・


やはり、歴代レスラーと比較しても、その技、キャラクター性、試合運びの成熟度、完成度という点ではかなり高く、トップレベル・・・と言えるのではないでしょうか。
(年齢的な比較でいっても、長州、天龍、棚橋、内藤らは、OZAWAと同じ29歳時点では、まだ自己レスラー像を確立させていませんし)

OZAWAとて、デビュー当時から才能溢れていたわけではなく、デビュー1年4か月目の壮行試合では、まだまだ原石の状態でした。


それが、イギリスに遠征した9か月の修行期間で、圧倒的な成熟度に達してしまったのです。
9か月の海外修行は、プロレスの修行としては決して長い方ではないので、それでここまで変われるのか・・・という驚きがありますね。

聞くところによると、OZAWAのイギリス時代のトレーナーは、『ブラック・スワン』の曲で入場することで有名な、カーラ・ノワールということです。
ノワールの映像を見ると、この人が小澤に影響を与えた部分は、かなりあるように思いましたね。


もちろんOZAWAとて、この暴露系のキャラクターのままで行けるのか・・・といった岐路はあるでしょう。
清宮のような(ある意味)素直で、対比になりやすいレスラー以外の対戦で、持ち味を発揮していけるのか、という課題もあるでしょう。
実力という部分ではどうなんだ?「プロレスラーとしての強さ」はそんなでもないだろ、という古いファンもいるかもしれません。
それでも、重ねて言いますが、まだキャリア2年4か月ですからね。
ここからさらに吸収して、さらに成熟していく可能性もありますから、目を離すわけにはいきません。

ちなみに全日本プロレスの安齋勇馬も同じデビュー2年4か月で、今年26歳ですが、すでに三冠王者となり、なかなかの試合ぶりを見せています。
大晦日に三冠王者となった斎藤ジュンも、今年39歳ですが、キャリアは3年6か月。それでもキャラクターの完成度は高いです。
ノアの佐々木憂流迦も今年36歳ですが、キャリア1年にしては、すっかりプロの安定感を身につけています。

もしかしたらプロレス界は、デビュー後さほど間を置かず「即・戦力」として活躍する選手たちの時代に、突入したのかもしれませんね・・・

追記。
この並びでいうと、ジャイアント馬場って、相当強そうですね…









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