「赤と死神のクロ」第3話

 三途の枝が伸びていくのを眺めながら、僕はその現実から必死に逃避しようとしていた。
 
 自分が行ったところで、未練に殺されて死ぬかも知れない。そうなるくらいなら、ワイトが帰ってくるのを待っていた方が、枝の先にいる人のためだ。
 
 いくら言い訳を考えても、頭によぎる。枝の先にいる人が、これから味わう苦しみを。心臓が止まり、呼吸が出来なくなる。体もどんどん冷えていって、死の恐怖に怯えながら最期を迎える。
 
 僕が行かないせいで。
 
 こんなこと考えたって、自分が苦しいだけだ。いっそのこと、もう見捨ててしまえば良い。なのに……。
 
「……何だよ、なんで僕は……自分勝手になれないんだよ」
 
 心のどこかで、初めからとっくに分かっていた。自分が選ばなければいけない答えを。でも、今の僕にはそれを選ぶ勇気が無い。
 
 だから・・・・・・。
 
「一回だけ、立ち上がってみよう・・・・・・」
 
 僕は一度、三途の枝の方を向いて立ち上がってみた。これで立ち上がっても勇気が出ないのなら、すぐにまた座り込んでワイトを待つつもりだった。
 
 でも立ち上がってみると、不思議と最初の一歩が出た。
 
「……」
 
 ああ、僕は・・・・・・分ってるんだ。最初から。
 運命のような何かに背中を押されたような気がして、悔し涙が出た。
 
「くそ……」
 
 一歩が出ると次の二歩、三歩と、勝手に足が歩み出す。その流れに乗って僕は、三途の枝が伸びていった方へ、走る。
 
 覚悟ができた訳じゃない。
 ただ、何故か立ち上がることができた自分が嬉しかった。
 立ち上がった自分を否定したくなかった。
 
 考えるな、考えたらきっとまた、立ち止まってしまう。
 
 きっと、枝の先にいる人の寿命まで間に合わない。ならせめて、少しでも早く。
 
「ごめんなさい!!」
 
 そう叫んで僕は、人間界へ飛び立った。そんな姿を、ワイトが温かい目で三途の川から見守っていたことなど、僕は知るよしもなかった。
 
「ふふ、待ってて良かった」
 

 
 都内にある総合病院の一室。ベッドに横たわっているあかねの祖父が突然、胸を押さえて苦しみだした。
 
「うっ……ぐ」
 
 側で看病をしていたあかねの母親はその様子を見て、慌てて緊急呼び出しボタンを押す。
 
「お父さん!? 大丈夫、大丈夫だから!! 今お医者さん呼んだよ!」
 
 必死に、早く来てくれと、あかねの母は祈る。だが、一目散にその場に現れたのは医者でもあかねでもなく、クロだった。病院の窓から部屋に入ってきたクロは、あかねの祖父の胸に三途の枝が刺さっているのを確認すると、急いでそこに鎌を突き刺した。
 
「今……楽にします!」
 
 あかね祖父の胸から放たれた優しい光が、クロを包み込む。
 
※あかね祖父、走馬灯

(俺の人生は、いたって普通だ。

 家族は貧しかった。
俺は7人兄弟の4番目。家族皆で昼間は畑を耕し、夜は少ない米を少しずつ分け合う生活。
 
 苦しくはなかった。兄弟皆が、大好きだったからだ。だがある日、俺に初めてできた妹は、病に侵され、みるみるやせ細って死んだ。短い間だったが、一緒に過ごした日々を思い出すと、悔しくて、悲しくて、無力感と寂しさで胸が張り裂けそうだった。
 
 他にも、助からなかった友人や知り合いがたくさんいた。
  様々な苦しみを乗り越えて、貧しいながらも、混沌渦巻く戦後の時代で、俺達は幸せな日々を送った。
 
 16歳の時。初めて見たテレビの向こうには、俺が今まで見てきた世界とはまるで違う景色が広がっていた。
 
 ビルが何軒も並び立ち、キラキラした街並みの中を、様々な色の車が走っていている。俺の住んでいた田舎では考えられないほどの別世界が、そこにはあった。ここに行きたい。そう強く思った俺は、気づけば上京していた。
 
 だがここは、俺が思い描いていたような所ではなかった。
 
 上司に毎日怒鳴られ、終わりのない肉体労働でヘトヘト。体なんて何度壊したか。だが、生きるためにと、朝から夜遅くまで必死になって働いた。
 
 心が折れそうになったときは、実家に電話をした。そうすると、何故か自然と活力が沸いてくる。少ない給料を少しづつ貯金しながら、いつか必ず車を買って綺麗な彼女を見つけてデートをするんだ!
 
 なんて夢を心の支えにして、死に物狂いで働いた。その夢は叶った。
 
 別の会社に就職して落ち着いていた俺は、その会社で年の近い女性と恋に落ちた。
 
 俺はこの人と一生添い遂げることを胸に誓い、そして結婚した。
 
 その後。娘を授かった。愛する人との子。ありきたりかもしれないが、俺はこの子の為なら何でもできると、本気で思った。休みの日に、まだ赤ん坊の娘を、妻と二人で連れてって、一緒にパンダを見に行った事もあった。
 
 一日一日が、大切な思い出だ。
 
 だが、日々娘が成長していく姿を見て、嬉しいような。ちょっぴり寂しいような。
 
 娘が反抗期だった頃は、かなりこたえた。家の娘は非行少女になってしまうのではないかと。本気で心配した。
 
 その度に、妻は俺に行った。あの子を信じようと。
 
 そんなおてんばだった娘も、あっという間に立派な大人になって俺のもとから離れていった。
 
 妻と一緒に花嫁姿の娘を見ながら、今までの娘との思い出を語っているうちに俺は泣いてしまっていた。
 
 もう俺たちと一緒じゃないと思うと寂しかった。
 
 どうか、ずっとこのまま小さくて可愛らしい娘のままでいてほしい。そんな気持ちが湧き上がる。
 
 だが、娘が立派に成長してくれた喜びに比べれば、この感情は小さなものだ。
 
 きっと、これまで娘が成長するたびに感じていた寂しさは、今日この日に寂しがらず、目一杯喜ぶために、少しづつ時間をかけて準備していたのだろう。
 
 私は、溢れる涙をハンカチで拭き、娘を抱きしめて言った。
 
「今まで、一緒にいてくれてありがとう……生まれて来てくれて、ありがとう」
 
「私も、私がパパでよかった……パパ、ママ、今までありがとう!」
 
 嬉しさと感動で胸がいっぱいになって、心臓が動きすぎたせいで寿命が縮んだかと思った。
 
 その後、しばらくして孫が生まれた。これがまた可愛い。
 娘の子だ、可愛くないわけがない。娘と違って内気な性格だが、時々家に遊びに来てくれる時は、どんなに落ち込んでいた時でも、あっという間に笑顔になる。
 
 妻と二人で孫を愛でて、二人で頑張って来てよかったね……なんて言い合った。若いときから、二人三脚で一緒に歩いてきた俺の最愛の妻。喧嘩も多かったが、育んだ幸せの方が何倍も大きい。
 
 そんな妻が、4年前に旅立った。棺の中で穏やかに眠る妻の顔を見てもなお、いなくなったことが信じられない。だが、悲しみよりも、今まで一緒に過ごしてきた感謝が沸き上がってきた。俺は涙を流しながら、棺の中で眠る彼女に礼を言った。
 
 今まで、俺と一緒にいてくれて本当に、ありがとうと……あの時の俺は、一体どんな顔で泣いていたんだろう)
 
 その時俺の目に、病室で泣きじゃくる娘の顔が写った。必死に悲しさを押さえて、必死に笑顔を作る娘の顔。
 
 ああ、そうか。俺は、こんな顔をしていたのか。
 
※走馬灯終わり。
 
「ありがとうね」
 
 僕はおじいさんの胸から鎌をゆっくりと引き抜いた。一体、何なんだろう。この、心の底から暖かくなるような優しい気持ちは。言葉では表せない、心地よさ。昔から、この心地よさを欲していたような気がする。
 
 おじいさんから生まれた未練は、詐欺師のように巨大ではなく、人間と同じくらいの小さいかった。
 
 「あ……が……ね……」
 
 未練が甲高い声でそう叫んだ瞬間、以前の未練とは比べ物にならない程のスピードで動き出し、僕はあっさりと間合いを詰められた。反応が追いつかないまま、僕はそのまま何度も何度も、未練に殴られた。一発一発が重い。黒い血がどんどん吐血し、あばらは砕け、内臓がつぶれる。首を絞められ、呼吸ができなくなる。あまりの苦しさに、痛みすら感じられない。
 
 意識が遠のく中、僕は自分の中に湧き上がるどす黒い何かを感じた。僕はその何かに飲まれるように、叫んだ。
 
 その感情を、暖かさを。僕は欲しい!!
 
「僕にもくれよーーーーーーーー!!!!」
 
 その瞬間、僕の背中から真っ黒で、巨大な腕が二本生えてきた。
 黒い腕は、僕の意志とは関係なく、首を絞め続ける未練の腕を殴り落として切断する。

 未練は腕が取れた衝撃で、あがあああっと叫び、取り乱している。
 そのすきに僕は、背中から生えた黒い腕でもう片方の未練の腕を引きちぎり、無防備になった未練の胸に鎌を突き刺した。
 
「うああああ!!」
 
 胸を突き刺された未練は、苦しそうに、おじいさんの家族写真の置いてある棚に手を伸ばした。
 
「あ……が……ね」
 
 最後にそう言い残すと、未練の体は黒い液体へと形状が崩壊し、消えていった。流れてきた黒い液体が僕の足元から吸収され、あれほどボロボロだった体も、あっという間に元の姿に回復した。
 
 でも、僕の心は元には戻らない。
 
 おじいさんの走馬灯から、孫が今病院に向かっているということを知ってしまった。名前はあかね。僕がもう少し殺すのを待っていれば、最後の別れの言葉を言えたのに。
 
「ごめん……なさい」
 
 どれだけの時間、罪悪感に苛まれて泣いたか、もう覚えていない。おじいさんの遺体は既に霊安室に運ばれ、この部屋には誰もいなくなった。僕はどうしたら良いか分らず、病院の窓の外からぼーっと外の夜景を眺めていた。
 
 その時だった。
 
「おじいちゃん!!」
 
 ガラガラっと勢いよく病室の扉を開けて入ってきたのは、一人の女子高生だった。音にびくっとした僕は、そっちの方に目線を移した。するとその女子高生は僕の方を凝視して呟いた。
 
「……死……神?」
 
 これが、僕と彼女。あかねとの出会いだった。

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