水木とアイスの当たり

「鬼太郎誕生 ゲゲゲの謎」、観たよ。4回観た。
いやぁ、いいですね。はぁ、ほんとに。

何がいいかって、水木、食ってたアイスの棒が当たりじゃなかったことにちょっとしょげてた。これがね、良かった。

水木という男は戦場帰りで、せっかく拾った命のため、出世欲にぎらついている。下克上の機会に嗅覚を鋭くし、踏み台に出来る・出来ないを嗅ぎ分けるに必死である。そんな、ちょっと哀れな男だ。
そして、今でも戦地の惨状を夢に見ては飛び起きる。作中でのっけから何がなんでも生き残ってやると息巻く彼は、夢の中では「俺を殺せ」と叫ぶ。

だけど、アイスの棒は当たって欲しい。

周りを利用しようとしている。
戦争のトラウマに蝕まれてはいる。悪夢も見る。そのなかで彼は死を慟哭する。
だが、アイスの当たりという、些細な喜びがあることを、彼は捨ててはいない。むしろ、享受したい様子すらある。

死にたいのに、アイスの当たりは欲しい。
このアンバラスが、「この人、生きてるなぁ」と感じさせた。水木という男の可愛らしさと、切なさがある。

少々ネタバレになるが、ゲゲ郎との墓での酒盛りの水木は、その最たるものである。
恋心を寄せてくる沙代の想いを無碍にしようとする水木は、それをゲゲ郎にたしなめられる。
水木は、「俺に誰かを愛するなんてことは無理だ」とごちて、杯を煽る。これに対し。

嘘つけ!アイスの当たりを欲しがるような男が、愛するという普遍的なことを突っぱねられるか!

と声を大にして言いたかった。ここが映画館で良かった。
こいつ、人間性のある幸せを手に入れることを求めながらも拒絶してんだな。人を愛する資格がないとかどうとか言ってたし。アイスの当たりは、その象徴かもな。
そこでなんとなく、この映画、水木の生まれ変わりもあるんだろうな、と思った。鬼太郎誕生、ではあるが、ゲゲ郎との時間、鬼太郎の誕生によって、水木は「戦争や企業に使い潰される駒」から「愛を知り、それを守らんとする人間」へ生まれ変わる、その過程。

アイスの棒、どっかで当たってるといいなぁ。そんときの水木は、当たったぶんを鬼太郎によこしているのだろう。墓場での酒盛りのとき、最後の一本の煙草を、ゲゲ郎に手渡したみたいに。

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