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明治維新の周囲(1)

 危機的状況への対応にかんして、二宮尊徳について考えてみましたが、そのながれで明治維新についてちょっと触れたいと思います。あくまでも、周辺を徘徊するだけですが。
 まず、明治維新にかんしてわたしがもっとも感銘を受けた視点は、岡倉天心のものでした。(「日本の目覚め」岡倉天心著/村岡博訳1904年)

維新を準備した3つの思想流派
 天心は1853年のペリー来航以来、国家維新の一般的運動が開始するにあたって、「3つの別々の思想の流派が合一して日本更生の起因となった。」と断じて、すなわち、
古学派が思想を探求することを教え(荻生徂徠らの朱子学批判と原典分析)
陽明学派が行動することを教え(中江藤樹らの知行合一説:すべての知識は行動に表されなければ無益とする行動主義)
国学派が行動する目的を教えた。(契沖、本居宣長らの言語学研究から始まる一種の日本の文芸復興と神道の復活)
古学派は初めて徳川時代の人心を形式主義の束縛から自由にしたが、その自由主義は特別の結論には到達しなかった。ただ山中素行は武士道の中に聖人の道徳律を発見し、幕府から咎めを受け赤穂藩に蟄居するも四十七士を鼓舞して義挙を成功させた。
②儒教をふたたび本来の実践道徳の本領へ復らせた陽明学派は、中国本土では一時的な影響しかなかったように見えるが、日本人には特別の魅力を持っていて、維新の大業の主要な誘因の一つになった。
 しかし、これらの思想は儒教の分派であって、儒教は社会道徳が損なわなければ現在の権威に服従することを命じる(あるいは諫言して受け入れられなければ退くことを認める)ために、明の学者は満州の統治に対しての抵抗は試みなかった。王陽明は行動することを教えたが、何のために誰のために行動すべきかを教えなかった。(以降、日本の過激派運動をパトスにおいて支え続けた陽明学の行動主義だが、同時にその無目的性もまたついて回った。幸徳秋水は赤い陽明学といわれたし、2.26の青年将校たちのプランのなさも前に書いたとおりである。)
③この欠陥を補うことが国学派の使命であった。すなわち勤王思想と王政復古である。天心いわく「夢が行動に移さるべき時機が到来していた。そして剣は静かな鞘を離れて、電光石火のごとく抜き放たれるようになっていた。」ペリー来航の外圧によって、一挙に着火し怒涛のような維新へと導いたのである。

明治第一世代としての天心の明解な歴史観
 天心は維新の思想的背景と原動力を、このような3つの流れとして見事に整理してみせたが、1863年生まれの明治第一世代のみが語り得るじつに明解で颯爽とした歴史観ではないだろうか。英語で書かれた「日本の目覚め」は、明治維新の激動の歴史をわかりやすく説明しながら、骨太で明快な歴史観と同時に当事者的な迫真のドキュメンタリーに満ちている。幕府内の老中の発議する多くの改革が女中たちからなる大奥の反対によって頓挫したと述べていて、まるで中国の皇帝直属の宦官と官僚派との対立のような記述だが、本当だったのだろうか。原書の出版元の紹介によれば「単に印刷物資料や世間の伝聞に基づいたものではなくて、維新の際に活躍した人々の残存者との特別の知遇によって得たる知識に基づいている」とのことである。

近代天皇制という国家デザイン
 明治維新と近代化が、クリミア戦争、インド大反乱、南北戦争に西欧世界が忙殺され、英国議会にインド放棄論が出るさなかに行われたことは、確かに幸運だった。それにしても、国民全般の識字度の高さ、教養、そして愛国心、指導者の覚悟とリアリズムこそが、植民地化を回避できた原因であろう。
 単純な西欧化による近代化ではなく、立憲君主制を採用しながら、根底には不可侵の万世一系の天皇制を「復古」してみせたという国家デザインはやはり優れていると思う。フランス革命もつねにギリシア・ローマという始原が参照されていた。権力の簒奪による王朝交代を易姓革命として正当化せざるを得なかった中国に対して、日本は、儒教の果しえなかった理想としての「堯舜」の交代のない王朝を、実現・維持してきたことを、天皇制によってのみ誇れるのである。儒教の政治モデルの理想形としての天皇制!
 鄧小平が1978年来日して昭和天皇に謁見して帰国後、最高指導者の地位を確定して以来、中国の最高指導者は天皇との面会が必須となり、そのために中共の走狗・小沢一郎が次期主席であった習近平の、天皇との面会の実現を宮内庁に強く迫ったらしい。しかしまあ極論するなら、天皇は中国の権力の正当性すら保証するのだ。
 天皇制の持つ、外国に対する象徴性、シンボル性、つまりかけがえのない「ブランド力」こそは、天皇制廃止をさけぶ日本のサヨクが一番わかっていないかもしれません。逆に日本の弱体化を狙っているサヨクだからわかって主張しているとも言える。中国人や韓国人で天皇制廃止を主張する人たちがいるなら、まさにその力を怖れているからにほかならない。合理的な説明をつねに拒否し超越するものが最強のブランドなので、説明できないものはソク廃止すべきという考えは短絡的で浅はかとしか言いようがない。

「維新」という言葉
 「維新」は1830年藤田東湖が詩経から引用して以来、改革の標語として定着し、「革命」はrevolutionの訳として採用されたが、徳の断絶を意味する易姓革命が語源であるからして、「維新」は決して「革命」ではなく、やはり「王政復古」でありrestorationなのだ。聞くところによると「日本維新の会」の英語訳がJapan Innovation Partyらしいが、よりによってInnovationとは!「革新」を採用するところに、彼らの教養のレベルというか新自由主義の底がみえるようである。


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