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デザイン雑談:国会議事堂のデザインは変だ!

日本の国会議事堂のデザインはそもそも異常なのではないか。
 中央部の段上の屋根は、マウソレウム(霊廟)スタイルと言って、1900年代初頭からそれなりに世界で流行したらしいが、本来は霊廟つまりお墓の塔のデザインであり、段状ピラミッドであり、いわば土饅頭の上部を装飾するもので、その下に空間・ホールを内包するというものでは本来はないのである。

マウソロスの霊廟(BC350年ごろ)の復元模型・このスタイルがマウソレウムとよばれるようになった。


世界の多くの議事堂は中央に丸いドームをいただいており、ドームの下にホールがあるのは納得できる。いっぽうピラミッドの内部は土や石で充填されて棺桶とそれへの通路ぐらいしか存在しないのが普通なので、日本の国会議事堂のように段状ピラミッドの下にホールがあるのは、やっぱり気持ち悪く感じてしまうのだ。

ピラミッドの下(中)は充填されているのが自然。


 ウィキペディアで紹介されている1900年代のマウソレウムスタイルの建築の実例を見ると、メルボルンやピッツバーグの戦没者慰霊館であり、確かに内部にホールを内包していたとしても、まさに霊廟にふさわしい様式の採用として納得できる。ワシントンDCのハウスオブテンプルというフリーメーソンの神殿は、彼ららしく、ローマ・ギリシアをさらに遡ったエジプトのピラミッドを表現している。

ワシントンDC House of the Temple


わが日本の国会議事堂が、こともあろうに縁起の悪い不吉極まりない霊廟=お墓か、はたまたフリーメーソンの神殿に似ているとは!!滑稽を通り越して痛快ですらある。(これこそがフリーメーソンが日本を支配し続けている露骨な証拠である。「信じるか信じないかはあなた次第です。」関暁夫@都市伝説)
 1919年の議事堂の意匠コンペの最初の1等案は確かに丸いドームであった。いかなる経緯で変更がなされたのかは、定かではないが、完成までの17年間において、想像するに、丸いドームはいかにも西欧風であり、さりとて上野の国立博物館や九段会館(旧軍人会館)のようなアジア風の屋根を戴く帝冠様式まで振り切ることもできず、当時流行し始めた、装飾を削ぎ落としたネオクラシック(新古典主義)を取り入れつつ、中央のドームを、西洋=ローマ・ギリシアからさらに遡って、エジプトの建築の「始原」としての段状ピラミッドの採用に至ったであろうか。
 様式建築には、それなりの表現すべき世界観と、文法と構築の論理性つまりTectonic Cultureが厳然として存在する。それに対して我が国における、国会議事堂に霊廟様式を無批判に採用できてしまう、そんな無頓着な雑食性というか教養の無さには逆に感服するほかはない。誰も霊廟様式だとは気づかなかったのだろうか。建築学科が工学部にあることの弊害だろうか。
 では丸いドーム以外のデザインは本当はどうすればよかったのか。1908年のエリエル・サーリネンのフィンランドの国会議事堂のデザインが、ストイックでネオクラシックでよかったと思うのだが。

エリエル・サーリネンのフィンランド国会議事堂計画案(1908年)
1960年の安保反対デモ。20万人が参加した。墓のような国家権力の象徴が民衆を睥睨している。(2024年6月12日追記)

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