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かっこいいフレーズ

とにかく、かっこいいフレーズを集めてみました。何かに役立つとかでなく、内容は二の次で、響きがよかったり、キザだったり、そんな言葉を言いたいときってあるよねー。

「この酒を呑んだら、死んでしまうと思って飲め、乾杯!」(岡本太郎の乾杯のあいさつ:茂木健一郎さんのブログ20101103)←いっぺんやってみたいけど。
「一日を愛し、一年を憂い、千年に想いを馳せる。」(「風の旅人」編集便り20070531:桃井和馬氏の写真集から)
「明日死ぬかのように生きなさい。永遠に生きるかのように学びなさい。」(マハトマ・ガンジー)
「生命とは、好機に蕩尽するために天から貰っているものだと思う。」「史記列伝」刺客列伝から:彼らは、人生の大部分、特に何をしたわけでもない。ただ一瞬の好機に、惜しげもなく生命をスパークさせることで、歴史に名を刻んだ。(ブログ「見もの読みもの日記20110618・「現代語訳史記」ちくま新書の書評から)←「風粛々として易水寒し。壮士ひとたび去ってまた還らず。」現在の中国においても、天安門に車で突入したり、歩道橋に反習近平の垂れ幕を掲げたりして、捕まっているひとたちも、こういう刺客の系譜につながるのであろうか。
・「散ることを知りながら咲くことを恐れない。」(日暮真三のコピー:長友啓典ブログ20100403)

・「ある日本人の曰く、散る花のみが完璧な花であると。文明についても同じ言葉を繰り返したくなる。」(エミール・シオラン:松岡正剛の千夜千冊1480夜「異端者シオラン」20120815)
「弱さには人を惹きつける力がある。」(シオラン)
・「分類できるものはすべて滅び去る。生き残るものはいくつもの解釈が可能なものだけだ。(シオラン)
「苦しんだことのない者は存在ではない。せいぜい個物だ。」(シオラン)

●レナウンのダーバンのCMから
・「朝の光を浴びてすべてが私によみがえってくる。私を静かに呼ぶもの、私の心をはぐくむもの、私を激しく駆り立てるもの。朝は終わりのない始まり。」
・「ときどき思うことは、私の歩んできた遠く遥かな道のり。いろいろなことがおこり、そして忘れた。さまざまな人と出会い、そして別れた。歩き続けること、私の人生。」
・「私は信じたい、この世界に美しさがあり、私たちに明日があると。日が昇る、それぞれの歩み、それぞれの朝。」
・「時のかなたから立ち上がってくる、失われた叫びが、失われたいのちが。ひとは造り、壊し、そして祈る。遠くから私を呼ぶ声が聞こえる。」
・「明日に向かって私は生きる。失われた何かに、見出されていない何かに向かって、私は跳ぶ。希望は沈黙のむこうがわにある。」
・「いつの日かたたかいの深い疲れをいやし、もし許されるなら、優しさにひたって私は歩み出したい。」
・「美しい夢は実現されなければならない。」
・「このまちで目覚め、このまちを愛し、このまちをさまよう。夕暮れのパリ、私のなかで言葉が歌になろうとしている。」
・「私は気づいていた、私の中に新しいいのちが生まれてくるのを。いのちは乾き、満たされるのを待っていた。海鳴りが新しい旅立ちを私に告げる。」
・「私は帰ってゆく、宴よ、夜の風よ、追憶のかなたの初恋の女よ。」
・「おんなはいつも美しい謎を連れてくる。」
ダーバンのCMは映画のシーンのように豪華でアランドロンの立ち振る舞いも最高にオシャレだった。ここに書いたフレーズも、城達也のナレーションで、その映像と、これまた素晴らしい小林亜星の曲とともに聞くとほんとうに身が震えるほどかっこよかったのだ。

さらに俗っぽく:
「都会だから寂しいのか、華やかだから孤独なのか。」(なにかのレコードのCM)
「古くなるほど酒は甘くなる。思い出は時がたてば甘くなる。」(中島みゆき?)
「男は愛すらあずけない。女は夢まであずけてしまう。」(和田アキ子?)
「初めてのルージュは初めてのキスより私をオトナにした。」(マキアージュのCMコピー)
「長いキスのあとで、僕は、かるくメガネをふいた。」(メガネ会社Eyevan)
「この国にこの声!」「圧倒的に愛!」「10年この声と!」「私をハグする声!」「その声はあなたを肯定する!」「おばあちゃんになってもきっと聴く、きっと泣く!」(スーパーフライ・ベストアルバムの宣伝文句)

●建築家・谷口吉郎の文章から
・「静かな気配の中に、竹の葉が時より微風にそよぐ。来客はそれを眺めながら、目に清澄な詩情を感じ、心に哲学的な瞑想を思索することであろう。」
・「なごやかな自由と親しみを感じさせる、そんな閑雅で清明なたたずまいが和風の家の特色であるので、、、」
・「高貴な清浄感」
・「幽艶な詩情」
・「清らかな造形」
・「今もその街かどに『時』が流れ、静かにあるいは瀬を早めてはいるが、都会の哀愁に囲まれている会館の建築にうるわしい余韻を添えたいと、そんな思いに私は包まれていた。」
・「静かな水の表面には、四季の移り変わりが写る。晴れた日には、明るい日ざし。白雲。雨がふれば、雨の足。夕方には夕ばえ。街の騒音も聞こえるが、時には渡り鳥の鳴き声が余情をそえる。そんな水面を座敷から眺めていると、瞑想の中に、人のなさけと時の流れが思い浮かぶ。その部屋を『水かがみの間』と呼ぶ。」
・「『思い出』こそ、過去からおくられた尊い贈り物だと、詩人は言った。だから、消え去ることは、よみがえることである、と。」
・「形は『うつろう』ことによって色を増し、消えることによって、美を生む。」
・「噛みしめる孤独の中に、よみがえる思い出こそ、清い余韻をひいて、胸に響く。」
谷口吉郎(1904-1979)は東京国立近代美術館、東京国立博物館東洋館、東宮御所などの建築家。昔の建築家はこんなにも典雅で美しい文章を書いていたのだ。
かれが1951年イサムノグチと一緒に慶応大学に作った「万来舎」は、キャンパスの整備のために20年くらい前に、取り壊されてしまった。保存しつつ整備する案もちゃんと提案されていたのだが、大学は平然と取り壊して、残ったイサムノグチのオブジェを隈研吾にどこかに飾らせてお茶を濁した。(そんなことを引き受ける隈もどうかと思うが。)
ある慶応の卒業生に僕がそのことを憤然と話したら、なぜそれが問題になるのかと、ぽかんとした顔をしていた。新しくて大きな建物をどんどん作ることが無条件に正しいらしいのだ。取り壊す決定をした慶応大学や卒業生の、なんというか、教養のなさに啞然とした。
谷口吉郎は、帝国ホテルなどの名建築の移設保存に尽力して「博物館明治村」を作っただけに、いっそう皮肉な話ではないだろうか。
ダーバンのナレーションではないが、「ひとは造り、壊し、そして祈る。」

●思想について
「不当なる現実に折り合えないものだけが『思想』という名にふさわしい。」←「思想」の強さは、有効性でも現実の説明可能性でもなく、むしろその反現実性の射程にこそある。正義は必ず負ける。大塩平八郎や吉田松陰など。
・「此の世の利益と成功だけを追求する、今の日本の圧倒的な超実利主義的空気の中で、『現実には絶えず敗れながら』、その敗北という重要な経験を経験することを通して、一つの世界を切り開いていく『劣者の劣位性』の可能性と世界形成性とをかくの如く気高く言うことの出来る者に幸いあらんことを私は祈ってやまない。」(藤田省三「精神史的考察」2003年平凡社ライブラリーより)

●カリフォルニア・ドリーミング
・「木の葉は枯れ、空が灰色になったとき、いつも過去に向かう心弱き人々の夢の中で、その海はますます青く、太陽はいよいよ輝きを増すのである。」
(「カリフォルニア・ドリーミング」評・流行通信7908)






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