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ルドルフシュタイナーが発見したルシファー、イエスキリスト、アーリマンの哲学的システムについて


ルドルフシュタイナーとは


ルドルフ・シュタイナーは、オーストリア生まれの哲学者、教育者、神秘主義者であり、19世紀から20世紀初頭にかけて活動しました。彼はアンソポゾフィー協会の創設者としても知られています。シュタイナーの思想は、幅広い分野にわたり、教育、哲学、芸術、農業などに影響を与えました。

教育と人智学

シュタイナーは、人間の発達と教育に関する独自の理論を提唱しました。彼の人智学(Anthroposophy)と呼ばれる哲学的なアプローチは、心、霊的な側面、物理的な側面の三つの側面から人間を理解しようとしました。彼の教育法であるワルドルフ教育も、この人智学に基づいています。ワルドルフ教育は、個々の生徒の能力や特性に応じた総合的なアプローチを取り入れ、知識だけでなく、芸術や実践的なスキルも重視します。

神秘主義と超感覚的な知識

シュタイナーはまた、超感覚的な知識へのアクセスや神秘主義に関するアイディアでも知られています。彼は人間が物質的な世界だけでなく、霊的な次元にもアクセスできると主張しました。彼の著書や講義では、様々なテーマにわたり、超自然的な存在や精神的な成長に関する洞察が展開されています。

ルシファー-イエスキリスト-アーリマンについて

ルドルフシュタイナーは驚異的な直観力で世界の哲学的精神がルシファー、イエスキリスト、アーリマンの順番で変化していることに気が付きました。
哲学のシステムは資本主義(時間)、市民社会(空間)、国家(歴史)、宗教(永遠)  の順番で成長する法則性があり、宗教(永遠) レベル  に到達した哲学はルシファー、イエスキリスト、アーリマン  のいずれかに変化します。
ルシファー、イエスキリスト、アーリマン のシステムは振り子のように変化しており左端がルシファー、中央にイエスキリスト、右端にアーリマンが存在し、20年周期で哲学的システムが切り替わります。

左端がルシファー、中央にイエスキリスト、右端にアーリマンによる振り子のイメージ


ルシファー



「ルシファー」とは、人間を電池として使用し、加速的な資本主義活動によるエントロピー上昇とグローバル化を指す概念です。ルシファーの哲学的アプローチは、一人称視点に基づいて人間を偶像崇拝によって崇める椅子取りゲーム的な世界観を形成します。例えば、映画『マトリックス』はルシファー的な世界観に基づいて構築され、人間は主人公的な幻想世界が現実だと勘違いする状態に陥ります。

今世紀におけるルシファー的な精神の到達地点は「メタバース」です。メタバースは四次元の精神に到達したルシファー的な精神の最終到達地点であり、この哲学システムがこれ以上発展することはないと考えられています。

イエスキリスト


「イエスキリスト」とは、ルシファー的な精神が到達した四次元の精神が宇宙の最深部に影響を与え、宇宙の魂が変化し、それに伴い神の光が啓示となり地球全体に降り注ぐことを指します。イエスキリストは人間社会の技術発展を加速させ、シンギュラリティと呼ばれる現象が今世紀に発生しています。また、イエスキリストの精神は二人称的なシステムを構築し、シンクロニシティによる共鳴現象を引き起こすため、コミュニティ内での共通意識が神が降臨する教会となります。

この哲学システムは新しい世界精神を構築する役割を果たし、古い思想やアイディアを打ち破る神の使者がロゴスとして地上に降臨します。イエスキリストは人間社会の精神を自然へと拡張する傾向があり、技術の発展は動物の魂(アニマルスピリッツ)を模倣することに繋がるため、古代ギリシャの哲学者アリストテレスの言葉、「芸術は自然を模倣する」というテーゼになります。

アーリマン


アーリマンとはイエスキリストの精神によって発展した国家の力によって国家と人間の一体性が高まるナショナリズム的傾向を指しています。
アーリマンの精神は物資的な精神を形成し、人間社会の客観的な変化が人間の精神へ影響を与えます。
アーリマンの力は非常に強力なので20世紀において第二次世界大戦という形で発生しました。
アーリマン的な哲学は中国哲学の同様の精神をしており、中国哲学における無極という考え方に行きつきます。
中国哲学の「無極(Wuji)」は、道教や易経(I Ching)などの古代中国の思想体系において重要な概念の一つです。無極は、文字通りには「極がない」や「極のない状態」を指します。これは極端な無限や無限の状態を表現するもので、宇宙の原初的な状態や根源とされています。

無極は、陰陽思想とも関連があります。陰陽思想では、無極は陰と陽が分かれる前の根源的な状態を指し、陰陽が分かれて相互作用することによって万物が生じるとされています。無極は、絶対的な無の状態でありながら、潜在的な可能性や創造性を内包していると解釈されます。

道教の哲学では、無極は「道(Tao)」の原初の状態とも結びついており、道教の修行者はこの無極の状態に還元することを目指します。無極を理解し、それに調和することで、個体は自然の法則に従って生きることができると考えられています。

また、易経においても無極は重要な概念であり、八卦(Bagua)の最初の状態を表すとされています。八卦は陰陽の変化を象徴し、無極から始まり、陰陽の相互作用によって八つの卦が生成されるとされています。

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