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なつかしいお皿
偉人伝が小学校のころ
大好きでした。
キューリー夫人、
野口英世、湯川秀樹、、、
わたしがその中に
入れたいのは
とおい祖先の
梅田五月(うめださつき)です。
梅田五月
幕末に石川県江沼郡大聖寺(現加賀市大聖寺)に
生まれた大聖寺藩士。
若い頃は藩のすすめで剣や洋学を
おさめています。
![](https://assets.st-note.com/img/1676894968213-I79yyA8UC7.jpg?width=1200)
廃藩置県のあと
士族授産のために産業振興、公共事業に尽力、北陸鉄道発起人、熊坂新道開墾、九谷陶器会社、衆議院議員、大聖寺町長、県工業学校校長、、、歴任しています。
多忙なうちにも
風流を好み
書画をたしなみ
78歳で没しました。
石川県九谷焼美術館
石川県加賀市大聖寺にあります。
この美術館から
先人をたどる旅をはじめました。
北陸金沢から普通列車で
一時間ほどです。
駅前に九谷焼のカラータイルを
はめた「九谷焼發之地」の石碑が
迎えてくれます。
![](https://assets.st-note.com/img/1676896375631-CTJPzkliS7.jpg?width=1200)
その前をぬけるとすぐで
徒歩10分ほどでしょうか。
到着です。
みじかな公園にある
箱ものではない
二階建で
ちいさな中庭には
水琴窟もありました。
九谷焼の様式(青手、色絵五彩、赤絵金襴手)が
時代順の解説と銘品群が100点以上つづき
あっとうされます。
![](https://assets.st-note.com/img/1676942363778-GMSlsAy0o0.jpg?width=1200)
無地や絵柄の少ない
陶磁器が好みの
わたしには出会えない世界でした。
歴史パネルには
はっきりと九谷陶器会社
梅田五月の名前がありました。
![](https://assets.st-note.com/img/1676944537982-Ul9hXmz9zw.jpg?width=1200)
これが大聖寺と名が付く
やきものにひかれた
はじまりです。
大聖寺伊万里
明治から昭和にかけて
主に旧江沼郡大聖寺町内において
九州の「色絵伊万里」を
本歌取り(写し)した
やきもので
正真正銘の九谷焼です。
その上質な上絵付の
すばらしい技術と製造量で
本場九州をしのぐほどの
隆盛をみました。
なつかしいお皿
旅のあとに
我家にやってきた
大聖寺伊万里のお皿があります。
染付金彩色絵なます皿、
口径約15センチ、高さ約4.4センチほどで
お料理の汁がこぼれないよう
縁高なお皿です。
ていねいな上絵、高台の特徴から
大聖寺伊万里とわかります。
![](https://assets.st-note.com/img/1676941827523-l1fDREC7ay.jpg?width=1200)
明治、大正、昭和、
どの時代のやきものかは
わかりません。
心を込めた
筆のおきかたが
びみょうに違います。
絵付師はその時
なにか考えながらかしら
無心だったのかしら等と
想像がふくらみます。
窓絵のタンポポ図は
モダンです。
酢の物ばかりでなく
ふだんの煮物も
おいしく見せてくれます。
何世紀もつづく
先人たちのやきものが
現代のわたしに
バトンを渡してくれました。
記事を書きながら
いにしえにおもいを
はせました。
わがやのお皿は
まだほんの少しの時しか
刻んでいません。
けれど歴史をふりかえったことで
たくさんのものがたりが
身近になり
なつかしい”おさら”になりました。
温故知新でしょうか、、、
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