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洛北・修学院をめでたお方は? そのⅡ・完
そのお方は後水尾天皇です。1596年~1680年
見出し画像 大覚寺・安井堂 等身大の僧形
離宮造営
上皇から法皇(56歳)になられる頃には
修学院への御幸(お出まし)が
かなり自由になりました。
ひな形を土や石でつくり
造庭たくみな者と工夫をかさね
現地へ出かけられた等と
伝聞されています。
造営のあらゆる指揮をとられ
65歳ごろには
ほぼ完成なさいました。
浴龍池と舟遊び
![](https://assets.st-note.com/img/1684443519236-I694owpqRE.jpg?width=1200)
うえの写真、ここ浴龍池《よくりゅうち》で
平安時代の絵巻物のように
舟遊びをなさっております。
山からの小川をせきとめたダム湖です。
せきとめた石堤をかくしている
大刈込がみごとです。
舟遊びはたいそうお好きで
おすまいの仙道御所でも
なさっています。
ゆかいな記事がありました。
西野さま、引用させてただきありがとうございます。
大覚寺、桂離宮と修学院離宮
大覚寺と桂離宮のお庭について
大覚寺
平安時代はじめ嵯峨天皇の離宮でした。
中国の洞庭湖に魅せられ造営された
皇室ゆかりの寺院です。
ここの庭と大沢の池(時代劇の撮影場所として有名)は
![](https://assets.st-note.com/img/1684917505762-2nbUKYYB1p.jpg?width=1200)
とにかくひろい!
日本最古の庭と人口の池です。
舟遊びや観月の夕べがよくおこなわれました。
桂離宮
江戸時代、
八条宮《はちじょうのみや》の初代と二代目が造営した
宮廷文化がよく表れている別荘です。
![](https://assets.st-note.com/img/1684918159708-Mpi0B55o1q.jpg?width=1200)
庭園や建物群は
世界的にもゆうめいです。
八条宮もよく観月や舟遊びをなさいました。
池は桂川の水を引いています。
後水尾院はここへは
三度も御幸されています。
結び
先人の庭にまつわる
かずかずの歴史に
あこがれ,心ひかれ,
修学院の地に
離宮をつくらせたのではないでしょうか、、、
この地の後水尾院のうしろには
必ずと言ってよいほど
東福門院・(和子《まさこ》)の姿が
あったそうです。
東福門院の没(72歳)後2年、
院は85歳で崩御されました。
都会の喧騒からはなれ
比叡山の麓に広がる離宮を
訪れてみませんか?
景色のなかに
後水尾院と東福門院の
波乱万丈な一生が
絵巻物のように
づづいていくでしょう、、、
夏は日陰がないのでごちゅういください。
足元もヒールはこまりますよ、、、
完
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