私の感情の話

2020年12月
私は「もうやめる」と断言した

25年かけてできあがったこの性格
いつからこうなのかも覚えていない

わたしは怒れないひとだったのだ

怒りという感情がないわけではなく
怒りという感情そのものを嫌っていたから
そういう感情はすべて悲しみになっていた

理不尽に太刀打ちできない自分が悲しい
壁を乗り越えられない自分が悲しい
あのひとを幸せにできなかった自分が悲しい

逆にどうして悲しみをここまで
愛してしまったのか
自分のことながらやれやれと思う

いうも自分のせいにしているわりには
立派な自分にもなれなくて
ずっと周りの意見と自分の意見が違うこと
えらく張り合って、まぁ、頑固なのだな

ひとりで悲しんでひとりで慰めて
無知でおとぼけて笑っていれば
みんなを愛せば
みんなが幸せになると本気だったのか
こどもながらにこどもの役割なんてものに
執着してしまったせいか

そんな私の愛し方は
隠して守るなんてちんけな方法を選んだ

そんなの長くはもたなくて
私は自分が消えていくのを感じた

そんな時でも自分が消えたらあのひとがどうなるのかが一番心配だった

ありがたいことに支えてくれる友人にであい
「助けて」と声に出したのはあれが初めてだったな

その時私を救ったのは 怒り と 諦め だった

「もう私は許せないと思う」
「簡単で些細なことでも怒りたいと思う」
「怒り慣れてないから変な怒り方をすると思う」
「私はきっと別人のようになる」
そんなことを言った気がする

はじめは、いや、いまでも
(これは怒りだ)
なんてわざわざ考えつつ怒る
行動に支障が出て周りに散らしながら

怒りを周りに散らすことが辛くて
それはそれで苦しい日々があるものの
やはり間違いなく自分の荷が
減った感覚がある

あまりすっきりはしないけど

簡単に怒れるもんで
怒るとしばらく引きずるもんで
アンガーマネジメントを学ぼうかなんて
考えるくらいよく怒っている

それでも感情はたくさんあるほうがいいんだと思う

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