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RIUM「#初句」短歌評

こんばんは。原点です。
早いもので、Twitterアカウントを作成して1か月が経過しました。
TLで短歌の洪水を浴びるたび、自分の詠みやクオリティはまだまだだな……と痛感しています。
まずは1日最低1首詠むことを続けていき、歌集や結社誌を1冊でも多く読んで勉強していきたいと思います。

最近は、インターネット短歌結社(?)「RIUM」がツイートし続けている「#初句」を使った作歌にはまっています。
多分「自分も使っているよ!」というような方も多いのではないでしょうか。とにかく新しい初句タグが投稿されるたびに、おびただしい数の引用リツイートがされ、ひとつ、またひとつと短歌が産声を上げています。

確認できる最古の「#初句」タグ投稿は、昨年9月15日のものです。
イラストから短歌を詠むイベント「えとりうむ(絵 鳥 産む)」自体はもっと前の昨年3月以前から行われているようです。
「RIUM」「#初句」ツイートにより、インターネットで短歌を詠む、という近年のブームによってそんなに高くなくなったハードルがさらに下げられたような印象を受けます。
実際に短歌アカウントの方のみならず、普段は小説を書いている方、そもそも文芸関係のアカウントではない方もこのタグで作歌しています。
5・7・5・7・7の定形詩に魅力を感じた人が増えている現状は、僕自身とても良いことだと思います。
もはや「#初句」タグ短歌はブームの域に達していると言っていいでしょう。
しかし、Twitterという空間で短歌の新しいムーブメントが起こっているにもかかわらず、「いいね」によるワンパターンの意思表示だけでは寂しい部分もあると思います。
こんなにも面白いうたがインターネットの波に静かに飲み込まれてしまうのか……と。
そこで、勝手ながら僕が惹かれた「これは面白い」という「#初句」タグ短歌の中で特に「人に薦めたい!」「褒めちぎりたい!」短歌をピックアップし、自分なりに(拙いながら)評をしてみたいと思います。
(良い短歌が多すぎて今回の評をどれにするか本当に迷いました……)
拙いながらもお付き合いして頂ければ幸いです。

「作れない希望の歌を眺めをり ああこれはみな星になるのだ」(初句「作れない」)

このうたの「核」というべきところ、それは描写対象を「短歌を詠む<わたし>」とした、思い切りの良さです。
短歌を詠む自分が目にした、「希望」をうたった「歌」は自分には作れない。諦念たっぷりにその歌を「眺め」ながら、最後には「みな星になるのだ」と夜空を見上げるようにそのうたを評しています。
31音の中で明確に「距離」と「心理」が描かれていながら素朴な味わいが感じられる秀逸な一首だと思います。

奇跡的に取り留めちゃった一命が頬張る無数のしらすの命(初句「奇跡的」)

取り留め「ちゃった」という茶目っ気と、「命」という重量のあるナイーブな語をさりげなく並列させている力技チックな一首です。
命(あるいは人間をはじめとした生物)はほかの命をいただいて生きている、という当たり前の構造の残酷さを突き付けながら、「一」と「無数」という対比で鑑賞者を「はっ」とさせる憎い一首になっていると思います。

カーテンを食べてるヤギに「朝が好き?」と聞くと必ず めえ。と答える
(初句「カーテンを」)

人間とヤギの、言語の壁を越えたシンパシーをこの一首から感じ取ることができるのではないでしょうか。
まずカーテンを食い破られているところから「朝が好き?」と聞いてしまう人のイマジネーションが怖い。そうした不条理から出発し、ヤギは何を聞かれても必ず「めえ。」としか答えるほかない、という当たり前の事実に止揚させてゆく力学をはっきりと示す巧妙さを垣間見ることができると思います。

来世では人じゃなくても勇敢な例えば綿毛とかになりたい(初句「来世では」)

この願望の告白はとてつもなく誠実なものだと思います。
来世は「人じゃなくても」いい、けれども「勇敢」でありたいという内面の行き着く先としての「綿毛」のイメージ。点と点をつなぐ線の繊細さ、きめ細かな手触り、やさしさが感じられる短歌のひとつではないでしょうか。

うしなったものを数えて指を折る四つ見つけてゆびきりをする(初句「うしなった」)

うしなったものを思い出して数えていると、とても片方の手では収まりきらないくらいある。四つは見つけたから、これ以上は思い出さずにけじめとして「ゆびきり」をする、という物語が浮かびました。これも「諦念」のうたと解釈できるのではないでしょうか。ひらがなのやさしさが、うたの持つ過度にネガティブな側面を一方では中和しているという不思議なうたです。

そのほか、永遠に評を書き連ねてしまいたいほどご紹介したいうたがたくさんありました……が今回は選び抜いた5首を紹介するにとどめさせていただきました。
ある短歌の「良いところ」を明確に言語化することでそのうたの良さがはっきりし、また違う味わいを読み取ることができたりと、こうした「評をする」という工程には、うたを作るときと異なる面白さがあると思います。
もし、この評を何かの手違いで見つけてしまった読者の方、あるいは現在進行形でインターネットで短歌を詠んでいる方がいらっしゃいましたら、より多くの「#初句」タグ短歌に触れ、どんどん短歌を作ってほしいと思っています(何様だよ……)
あ、自分も良いうたを詠めるようになります……頑張ります。

最後までお読みいただきありがとうございました。
また機会があれば評をしてみたいと思います。

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