恋愛観と結婚について

ここ2年程の間での、自分の自我の発達具合が著しく(?)、価値観や生き方も暫定的ではありますが、定まりつつあるので言葉にしておきたいと思いました。同時に自分の頑固さにより一層の磨きがかかりそうで恐ろしくもあります。あくまでも柔軟に思考は取り入れたい…。


生まれ持ったものなのか、後天的なものなのかはまだ判明していないのですが(現段階では先天的だと思っている)、自分は物凄い依存体質なんですよね。

HSP気質であること(あまり考えないようにしてはいますが)、寂しがり屋なこと、理由は様々あると思いますが、自分が心を開いた人への愛情の注ぎ方が男女問わず凄まじく、自分でも怖くなってしまうことがあります。過去にも苦い思い出は多々ありますが、振り返らないようにしています。今から変えられるようなものではないので。

自分を変えるきっかけになった要素は様々ありますが、最も大きかったのは、エーリッヒ・フロム「愛するということ」です。

フロムによれば、”恋に落ちる”とよく言いますが、それは”愛すること”とは全く異なるものだそうです。愛することには、技術を要する。”恋に落ちる”行為は、他者から自分への、自分視点では他者による受動的な行為だと言えますが、”愛すること”は自分が能動的に他者へ仕掛ける行為だそうです。

読んだのは少し前なので、フロムの考えを上手く要約できている自信はないです。(また読み直さねば…。)

いずれにせよ、自分は恋に落ちる行為は受動的であり、依存と親和性が高い。愛する行為は能動的であり、自分が自分の人生を生きたうえで、他者を掛け替えのない、自分の手に届かない存在であることを認めたうえで、成り立つ営みである、と自分は解釈しています。

要するに、依存、ダメ、ゼッタイ、ということ。

フロムの主著である「自由からの逃走」で、現代社会は近代以前のように何らかに縛られることはなくなり、自由になったが、それが逆に人々を不安に陥らせたことを説いているので、大まかな主張としては合っていると思います。

いずれにせよ、このフロムのおかげで、自分はかなり気が楽になりました。

自分が依存しやすい人間であり、また、依存しすぎると良くない結果を招くこと、そして現代社会は自分のような人間が生んでも仕方ないような社会的性格を持ち合わせていることに気づけたからです。自分が異常として排除される存在ではないことを分からせてくれる一冊となりました。


以上が今確立しつつある恋愛観ですね。


そして結婚に関してなんですが、ここが個人的には自分の拗らせポイントな気がしてなりません。

というのも、上記の恋愛観を踏まえると、そう簡単に結婚などできるものではないんですよね。(笑)

この恋愛観に従うと様々な結婚に関して制約が生まれます。

①自分が依存しない為に、自分が自分自身の生き甲斐となる道を進む事

②相手が依存してきたら、それに応えようとする気持ちが芽生えて、結果的に依存してしまうため、相手も相手自身の生き甲斐と言える道を進んでいる事

上の2つの条件を満たす為には、どちらもが自分の道を妥協することが許されない。

それでいて互いに愛し合える距離感を保たなければならないとなると、余程自分と相手が進む道が近いことが求められると思います。少なくとも居住地くらいは。


あくまでも、これは原理上の話で、そんな人なかなか居ないのでね、「愛の力」によって、どちらか(どちらもが)軌道修正するのが一般的だとは分かっているんです。


しかしながら、自分の信条は"理性的である事"

理性によって築き上げた恋愛観を、"欲求"によってその信念を曲げるのは如何なものかと考えてしまうのです。

自分が常に欲求を押し殺して、理性に適った生き方をしているのかと言われれば、そういう事はないと思います。

何もしたくなくて、何もしない日もありますし。

だからといってそれは、欲求に流されることを正当化する理由にはならないと思うのです。

人生において重要な局面で欲求に流される決断をすることはできない。

自らを啓蒙し続ける道を歩みたいと考えているからこそ、そこに妥協を許したくないと思うのでしょう。理性的に考えれば。

自分の頭の中では、欲望さんと理性さんが対話しています。

この対話は死ぬまで続くのでしょうか。

恐らく対話をしている間は、結婚などそう容易にはできないだろうなぁというのが、現段階での結論です。

では。

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