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自分を信じたいものを信じよう

あみちゃんへ

久しぶりの文通に身体中震えています!
小学生の時、3〜4人の友達を一周して交換ノートが回ってくるあの感覚が蘇ってくるぅ!!
超楽しいですね、これ。
お恥ずかしながら自分でも驚くほど興奮しており、あみちゃんからの返信を見た後すぐさま返事を書いております。
(熱しやすく冷めやすいAB型です…気長にいきましょう

↑という書き出しの文章を数日寝かしておいたら、自分の書いたものに嫌気がさしてしまいました。
以下、書き直したもの。

さて、
「コロナのおかげ」ということを書いてくれましたが、コロナのもう一つの側面を見ると、本当に「おかげ」ということが山ほどあるな、と感じます。
人と接する機会が減ったお陰で疎遠になった人の有り難さを改めて感じたり、
一つ一つの何気ない会話にすら幸せを感じてしまったり、
一人の時間が多い分、興味のあることに没頭できる時間が割けたり…
と様々なメリットを日々感じております。
自分のものの見方で世界の見え方も大きく変わってしまうのだな、と思います。
どうせ見るなら良い景色を見たいよね!
それは私も同感。

昨日、ずっと未鑑賞リストに載っていた「海辺のポーリーヌ」という映画を観ました。
若干15歳の少女から見た大人の恋愛を描いた作品なんだけど、
主人公の従兄弟のお姉さんが付き合う人付き合う人みんなどうしようもない男で
劇中ラストシーンでどうしようもないイタリア男に振り回されて捨てられるのね
最後に彼女が
「自分の信じたいことを信じましょう」
と言って映画は終わるんです。

自分の信じたいことを信じるかぁ、
とこの言葉を何度か反芻しました。

(映画の本筋とはだいぶズレているかも…

別に自分の信じていることを都度都度他人に曝け出す必要はないんだけど、
他人の意見とか言動、社会のあらゆる動きに敏感になっている時、やっぱり自分の信じるものが無いと揺らいで揺らいで自分を保っていられなくなっちゃう。

自分って何が好きなんだっけ?
どんな人と一緒にいたいんだっけ?
そういうことを自分の頭の中で考えないと、どんどんとおかしな方向に流されていってしまう。
自分が弱くなっている時ほど、その確認作業は大事だなぁと思います。

そういうのがあれば、
都会や仕事やSNSで多少もみくちゃにされても自分を保っていられる気がする。
大学4年間は、自分の信じたいものを見つける期間だったのかもしれぬ。

もちろん、信じるものはこれからも変わり続けるだろうし、
一つの物事に固執し続けるのも人として腐っていく気がするから
常に知性をアップデートして自分の信ずるものを客観視せねばとも思います。

またこの自分の信ずるものと他者の受け入れる柔軟性の両者のバランスが非常に難しくも感じるのだが…

ちょっと言葉が抽象的で何言ってるか分からなくなってきたぞ。
もし、ピンとくることがあったら教えて!

そうそう、今月の現代思想のテーマが「恋愛」についてらいしんだ。
今日の仕事帰りに買って帰ろうと思ってる。

現代日本社会では、
恋愛以外に拠り所になるものが少ないんじゃないか?
例えば自助グループや趣味での繋がりが乏しくて日常生活で人と信頼関係を築いたり、自分を承認してもらうという経験が積めない。
結婚をして家族を作ることで自分をやっと承認できる、そういう風潮がまだまだあるんじゃないか、

という話が冒頭に出てくるらしいんだ。

…とても気になります。
この辺りについても言論できたら嬉しい。

では!



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