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パリを目指す人々とそびえたつ城壁――鹿島茂のN'importe Quoi! 「前回のおさらい」

こんにちは!日増しにパリへの憧憬が高まるゲンロンスタッフの野口です。ゲンロンではフランス文学者の鹿島茂さんによる講義放送「鹿島茂のN'importe Quoi!」を実施しています(放送プラットフォーム「シラス」でご覧いただけます)。
毎回の講義内容を振り返る「前回のおさらい」(本当の「前回」とは限りません!)。この記事では2022年5月10日に放送した「パリの歴史――集団的無意識の研究」第5講の内容についてご紹介していきます。
この日は「パリに向かう人々」をテーマにお話いただきました。

この日はいつもに増してホワイトボードにびっしり!

時代を越えて受け継がれる「無意識」

前回の講義のテーマである馬車。この馬車の構造がのちの鉄道にも引き継がれ、1等、2等、3等……と、ランク分けをする形式にもつながった、というお話がありました。この日の講義では、ヨーロッパの鉄道によくある「コンパートメント型」と呼ばれるようなタイプの客車の構造も同じく馬車の名残りで……というお話からスタートします。日本の鉄道車両は真ん中に通路が通り、進行方向に向かって90°横に座るスタイルが一般的ですが、これはどこから来たのでしょうか?
この座席のタイプはアメリカ由来だと考えられています。アメリカでは鉄道以前の交通手段としてよく使われていたのが「河蒸気」と呼ばれる蒸気船。ミシシッピ川などを行き来していた生粋の浅いこの船では、左右のバランスが大事……ということで、重心が傾かないよう、両端に客席があるタイプのものが使われていました。その構造がそのまま次の時代の輸送手段となる鉄道にも引き継がれ、それがそのまま日本にやってきて……という流れになっているんですね。このあたりの解説はウォルフガング・シュベルブシュ著『鉄道旅行の歴史』に詳しいとのこと。

このように、新しい時代のテクノロジーも、実は前の時代に同じ役割を果たしていたものの中にデザインや構造のヒントがある。人々の無意識のあらわれを見つけることができる。そんなものを探していくのも、この講義の醍醐味です。

地方からパリを目指す人たち

さて、そんな19世紀のある瞬間に花開き、先々にも影響を残していく「馬車」という乗り物ですが、当時のフランスは大半が農民。現金収入が少ない……むしろ自給自足が一般的で現金があまり必要のない生活を送っていた人たちにとっては、都市間の移動においても馬車はあまり縁のない乗り物でした。一方で徐々に人口が増えるにつれて、農村部でも相続する土地がない次男三男は都市を目指すことになります。交通網の問題もありますが、馬車には乗れない彼らは徒歩でパリを目指します。
特に出稼ぎが多かったのは中央山塊(Massif Centrail)のあたりと、スイス国境サヴォア地方の人たち。彼らの多くは石工であったり、10歳ぐらいの子供も煙突掃除などをしていました。

石工集団はFran Maçon……のちにFree Maisonと呼ばれます

『レ・ミゼラブル』に登場し、ジャン・バルジャンに40スー盗まれてしまうプティ・ジェルベ。彼もそうした子供の一人でした。
決して安全とは言えない道中、しかも夜は野宿。彼らは山賊などにも警戒しながら、集団で向かいます。少し時代は遡りますが、『三銃士』のダルタニアンも野宿をしながらパリに向かう描写があります。作者であるアレクサンドル・デュマ自身も徒歩でパリに向かった人。道中は猟をしながら路銀を稼いでいたそうで、ジビエ趣味は相当なものだったのだとか……デュマの遺作となった『大料理事典』にもつながる話ですね。

『レ・ミゼラブル』『三銃士』だけではなく、様々な作品が当時の人々の暮らしを教えてくれます。続いて鹿島先生が挙げたのがマルタン・ナドーの回想録。まさに集団で石工としてパリに出稼ぎでやって来て、その後は議員まで務めることになるナドーの回想録は、当時の社会を知る上で一線級の資料だといいます。

そこで描かれているのは、石工同士で数学や字を教えたり、あるいは集団の石工たちが地域ごとにグループを作りそこでケンカがあったり……といったエピソード。ケンカ対策としては「ショソン(Chausson)」と呼ばれるキックボクシングに近いような護身術があったり(いわゆるアップルパイのショソン・オ・ポンムの形のもとにもなったとか?!)、それ以外にも路銀すべてを手持ちで歩かなくてもよいように、マンダ(Mandat)と呼ばれる為替制度が発達したり、といった話も書かれているのだとか。

ところで、宿に泊まれれば快適だったのか、というとそれもまた別の話、というエピソードも。乗合馬車で移動する人たちは宿駅(ポスト/Poste)に泊まります。宿駅の多くは1階がレストラン、2階・3階が宿屋という、いわゆるオーベルジュ(Auberge)スタイルなのですが、当時のフランスの宿の衛生観念はかなり想像を絶するものだったのだとか……。
革命前後のフランスの田舎の記録を残したイギリス人農学者アーサー・ヤングの著書にも見られるそうですが、特に南京虫がひどかったそう。実は20世紀に入ってからも日本人アナーキスト・大杉栄の『日本脱出記』やコメント欄からはジョージ・オーウェルの『パリ・ロンドン放浪記』を挙げてくださった方もいましたが、南京虫の害は第二次大戦後あたりまで続き、鹿島さんが初めてパリに訪れた70年代の後半も「パリの不潔さ」は様々なところに見られたそうです……

南京虫の話に思わず眉間にしわが寄るスタッフ野口……

そんなフランスの宿に関する記述ですが、フランス人自身が残している旅行記にはそんな記述は見られなかったりするそうです。日本においてもフランシスコ・ザビエルやイザベラ・バードらの記録が当時の風習を読み解くのにヒントになるように、外国からの旅行者という「外の目」で書かれたもののほうが発見につながるのかもしれません。

パリ到着!立ちふさがる市門と徴税請負人

さて、話をパリを目指した人たちに戻します。パリ目前まで来たあたりで格安の乗合馬車「クック―」に乗っている記述も見られるそうですが、城壁に囲まれたパリに入るには市門(ヴァリエール)を通る必要がありました。そこでは同じフランス国内であってもパスポートを用意する必要があったり(国外に出るため、ではなく自分の住んでいた街を出る時点で必要だったのだとか)するのですが、より重要だったのは関税の徴収。「徴税請負人」と呼ばれる人たちがパリ市内に持ち込まれる、特に飲食物に厳しい関税を敷いていました。

Le mur murant Paris rend Paris murmurant.

人々は「お腹に入ってしまえば徴税できまい!」とばかりに市門の外の「ガンケット(Guinguette)」と呼ばれる酒場で消費したり、穴を掘って門を避けようとするなどしていたのですが、それも限度があり、徴税請負人たちは事前に国に納めた以上の金額を徴収し、私腹を肥やしていきます。彼らが徴税に使った「ドゥワニエ(Douanier)」と呼ばれる入市関税事務所は幻想建築家として後世に名を遺すニコラ・ルドゥが手掛けるなどしており、今もいくつかその建物を見ることができるそうです。
人々の不平は高まり、「Le mur murant Paris rend Paris murmurant.(パリを囲む壁がパリに小言を言う」といった言葉が生まれるほどでした。

城壁の歴史とパリの歴史

さて、そんな城壁ですが元々は税金を徴収するための壁ではなく、外敵の侵入から街を守ることが第一の目的です。
現代では「大通り」の意味がある英語の"Boulevard(ブールバード)"は、その城壁の巡察路の呼称だったり、"avenue" の語源が"a venir"=~に至るという意味から来ていたり、といった例を出すまでもなく、城壁の歴史と街の通り、パリの市域の歴史は密接な関係があります。

到達するモニュメントがあるものがAvenue。

シテ島から始まるパリの歴史。最初に築かれた城壁は、フィリップ・オーギュストこと、フィリップ2世が築いたもの。その外側にシャルル5世が城壁を築き、フィリップ2世の城壁は大通りに姿を変えます。現在のパリ市域の少し内側にあるペリフェリック(Périphérique)=環状の高速道も、19世紀に築かれた「ティエールの城壁」と呼ばれたものがあったところに作られています。

シテ島から徐々に拡大していく城壁。一番外側が現在のパリ市域の境界線。
図版はゲンロン作成

パリ市内の通りでは、この旧城壁のラインを超えると通りの名前が変わります。例えば、Saint Honoré(サント・ノレ)通りは、フィリップ2世の城壁を超えたあたりでForbourg Saint Honoré(フォーブール・サント・ノレ)通りとなります。Forbourgとは、少しニュアンスは異なりますが、日本語で言うところの「郊外」。といってもこの帯状のエリアで同じような街になっている、というわけではなく、フォーブールの東西でも街の雰囲気は大きく異なり、西側のほうは高級街、東側は職人の街、という風情なのだとか。
先ほど言及した徴税請負人たちも大邸宅を西側に作り、革命後にはそこが払い下げられて遊園地発祥の地になり、そこも寂れてやがて分譲地になり……といったお話や、この街の東西の違いはパリに限らずほかの街でも見られ、例えば日本では……という話もあるのですが、様々なエピソードはぜひ放送をご覧ください。講義はさらに続き、時代や場所ごとに異なるお金持ちの見分け方やフォーブールのさらに外、バンリュー(Banlieue)と呼ばれる地域についてもご紹介いただきます。

次回放送は明日14日19時~

バンリューについて、堀江敏幸さんのデビュー作『郊外へ』で触れられていたのがこのあたりではないかというお話もあるのですが、今回は様々な文学作品を紹介いただきながらの講義になりました。読みたい本がどんどん増えて困ってしまう状況なのですが、すでに次の放送が明日に迫っています!

次回の放送は明日!

テーマは「城壁と都市内交通」とのことで、今回のお話をさらに深堀していくことになるのか、はたまた別の切り口が飛び出すのか、今から楽しみにしています。みなさん、ぜひ放送でお会いしましょう!



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