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ショッピングの誕生──鹿島茂のN'importe Quoi!「前回のおさらい」

こんにちは!ラグビーのフランス代表の来日を楽しみに待っていたゲンロンスタッフの野口です。先日愛知県豊田スタジアムで行われていた試合では「Allez France!」の声が響いていましたね……。
さて、ゲンロンではフランス文学者の鹿島茂さんによる講義放送「鹿島茂のN'importe Quoi!」を実施しています(放送プラットフォーム「シラス」でご覧いただけます)。毎回の講義内容を振り返る「前回のおさらい」(本当の「前回」とは限りません!)。この記事では2022年3月10日に放送したパリの歴史――集団的無意識の研究・第3講「ショッピングの誕生」についてご紹介していきます。

取引の方法

この回のテーマは「ショッピングの誕生」。パサージュ誕生以前・以後を振遡りながら、現代につながる商業スタイルがどのように生まれたかを紐解きます。

近代以降の広い範囲の消費者をターゲットにして行う取引が成立する以前、商業のスタートは「相対取引」でした。現在では金融や証券のシーンで使われることが多いですが、いわば売り手と買い手が1対1の関係にある取引です。
鹿島さんのプロデュースで最近神保町にオープンした新しいスタイルの書店・PASSAGE(https://passage.allreviews.jp/)は相対取引の復活でもあります。そのときポイントになるのは「相手が何を持っているか」の情報がないと成立しない、ということ。インターネットが普及し、異なる言語のやり取りも比較的容易になった現代こそ手軽に行えるかもしれませんが、それが無かった時代にはそう簡単には行えなかった。

例えば原始時代にはお互いの意図が通じて交換が成り立つまでには「時間」が必要でした。やがて貨幣を使った交換が行われるようになり、さらに長い時を経て、現代につながるショッピングの萌芽がうまれます。

七年戦争とフランス

さて、唐突ですがここでクエスチョン。無人島に流れ着いたとき、「衣・食・住」のなかで、一番対応が難しいのはどれでしょう?
正解は「衣」。動物の皮をまとうのも加工が必要ですし、まして布を作るには、植物から繊維を取り、糸を作り……と工程も多い。ゆえに、最初に産業化しようとされたのです(産業革命も紡績機からでしたね!)。18世紀半ばにイギリスで実現した衣の産業化は衣料革命と言えます。
その背景には1756年から63年にかけて行われた七年戦争がありました。この戦争は第0次世界大戦といえる、と鹿島さんが言うように、プロイセンとオーストリアを中心に行われたこの戦争は、ヨーロッパ大陸だけではなく、植民地であったアメリカ大陸やインドでも戦いがありました。この戦いを通じて植民地を増やしたイギリスは、北アメリカ大陸で綿花やゴム、コーヒー、砂糖などを移植、その栽培の労働力として黒人奴隷を……とヘゲモニー国家への道を歩んでいきます。

他方、多くの植民地を失ったフランスですが、それまでの植民地経営がこのあとのショッピングの誕生につながる素地を作りました。

少し時代を遡って、1715年。太陽王・ルイ14世没後、後を継いだのはひ孫にあたるルイ15世。当時5歳だったため、ルイ14世の甥にあたるオルレアン公フィリップ2世が摂政となります。ヨーロッパではある国が初めて征服した別の国の名前が、王の息子や弟に与えられることがしばしば。イギリスでも皇太子をPrince of Walesと呼んだりしますよね。

さて、そのフィリップ2世が統治を始めたころのフランスはルイ14世統治下の負債が溜まりに溜まった状態。ヴェルサイユ宮殿を築き、フランスの権勢を強めたルイ14世は、数多くの戦争も行った王。莫大な戦費で財政は破綻寸前でした。
そこで、フィリップ2世はスコットランドからやってきたジョン・ローを財務総監に起用。ルイジアナの植民地を財源に国債を発行して財政の立て直しを図ります。この価値がバブル的にどんどん上がっていきます。さらにフランス初の紙幣も発行。前述の国債を買うにはこの紙幣でないとダメ!という形にするというマッチポンプで、結果好景気が訪れます。
最終的にはデフォルトを起こして破綻するのですが、国としては負債はチャラになるわけで、その後も植民地の開発も進み、意外と(?)豊かな時代が訪れていました。
まぁ、前述の通り植民地は直後の7年戦争で失うことになるのですが……なにはともあれ、最終的に18世紀前半のフランスにおいては、人口が増え、民衆に力が蓄えられ、貨幣経済が浸透し……という「消費」のファクターが揃ったことがポイントです!特に食と衣の分野において「ぜいたくの民主化」ともいうべき流れが生まれます。

「悪の殿堂」パレ・ロワイヤル

そうした中で生まれたのが商品を"exposer"=展示する行為。売るモノが増えるなかでこれまでの「良賈は深く蔵す」スタイルが転換され、何を扱っているのかを見せる、展示する、という行為が行われるようになります。ショーウィンドウの誕生です。これを通じて、「商品を見るだけでも楽しい!」という快楽が発見され、ウインドウショッピング的な行為が行われるようになるのですが、この”exposer”はパリの街路事情により一気には広がりません。
その街路事情とは何か……当時のパリはとてもじゃないですが、街歩きしたいと思えない環境だったのです。鹿島先生によるブタさんのイラストやバルザックの『ゴリオ爺さん』も交えて紹介いただいたその理由については、ぜひ放送をご覧ください……!

当時はいろんなものが窓から道に投げ捨てられていたのです……

そんな状況に一石を投じたのが「パレ・ロワイヤル」。と、言っても、パレ・ロワイヤル自体は1600年代、ルイ13世の時代に宰相を務めたリシュリュー枢機卿によってつくられた宮殿が元になっており、その後紆余曲折を経てオルレアン公の宮殿に。そう、そもそも商業施設ではなかったのです。

パレ・ロワイヤルはもともと庭園部分は民衆に解放されており、王権に批判的な勢力……例えば百科全書派と呼ばれたような人たちももたむろっていた場所でしたが、宮殿部分も含めて商業施設に改装したのは、前述のオルレアン公・フィリップ2世の孫、4代目フィリップ・ドルレアン。フィリップ平等公こと、オルレアン公爵ルイ・フィリップ2世と呼ばれる人です。
大の博打好きだった彼は、その博打で作った借金返済のために、庭園をぐるっとコの字を描くように建物を作り、そこを貸し出すことを思いつきます。そうして作られた回廊タイプの元祖ショッピングセンターは、1786年にオープン。1階に商店が並び、その回遊性の高さもあって大賑わいとなるも、2階・3階には賭博場や娼館を備え、いつしか「悪の殿堂」と呼ばれるようになりました。

パレ・ロワイヤルの2つの回廊

その回廊は、外側の「石の回廊」と呼ばれた「Galerie de Pierre」と、内側にある「木の回廊」と呼ばれた「Galrie de Bois」がありました。後者の「ギャルリエ・ドゥ・ボワ」こそ、パサージュ第一号というべき、ガラス屋根を備えたエリア。19世紀に入ると再び改装され、それを機に寂れてしまうのですが……

パレ・ロワイヤル、ギャルリ・ド・ボワの様子。
出典:『失われたパリの復元 バルザックの時代の街を歩く』(鹿島茂、新潮社)62-63ページ

この「回遊性」のアイデアがどこから生まれたのか。元々は「カレ・ドゥ・タンプル」と呼ばれた古着などの市場がたったエリアを参考にした、という説が有力でしたが、最近は「イノサン墓地」が元ネタ、という説が有力なのだとか。
なぜ墓地から回遊性のアイデアが……?と思われるかもしれませんが、パリ市内中央にあった「イノサン墓地」は、12世紀頃から市場が生まれていたのだとか。埋葬地の周囲に納骨堂が作られ、それが回遊性を生み、人々が集い、そうするとそこで商売が生まれ……という歴史があったそうです。今の私たちの「墓地」という言葉からは想像もできないようなこのお話、ぜひ鹿島さんの解説を直接聞いていただきたいです!

そして時代はフランス革命へ……

何はともあれ、ここにいたって、初めて人が集まる繁華街が生まれ、消費の快楽が誕生します。モノを見せる="exposer"することで消費の願望をかき立てる。需要と供給の両輪を備え、欲望という馬がそれを引く。そんな絵をイメージしながら聞いておりました。

それは直後のフランス革命にも影響したのかもしれません。欲望はかき立てられるのに、能力としては可能なはずなのに、古い制度に阻まれて叶えられない。主には弁護士層にそういった思いを抱いた人が多かったのではないかと鹿島先生はいいます。ロベス・ピエールはじめ、革命を主導したのも弁護士たちでした。
パレ・ロワイヤル誕生から3年後、フランス革命を経て数年後から、現代にも残るパサージュが誕生していくのですが、それはまた別の講義で。

また、今回の講義では様々な文学作品も紹介されました。改装前のパレ・ロワイヤルに集った百科全書派のディドロによる『運命論者ジャックとその主人』。パリの匂いについて触れられたルイ・セバスチャン・メルシエの『タブロード・パリ』。ギャルリエ・ドゥ・ボワの様子を描いたバルザックの『幻滅』など。

いつも特等席で鹿島さんの講義を聞かせていただきながら思うのは、こうした文学作品も踏まえて歴史を知ることの面白さです。単に〇〇〇〇年に✕✕の戦いが……という出来事の羅列ではなく、その時代に生きる人々が実際にどんな暮らしをしていたのか、当時の物価は今に換算するとどれくらいの感じなのか。そんな視点で歴史を学んでいくことで、より立体的にその時代が浮かび上がってくる。
なかなかパリの街へ遊びに行くことが難しい状況が続いていますが、今後も様々な切り口からその歴史や魅力にせまっていきたいと思います!

次回のパリの歴史に関する放送は7月12日(火)、19:00~を予定しています。こちらもどうぞお楽しみに!

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