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「ふぐ料理の認知度0」のマーケットを開拓!シンガポール店の挑戦

6年前、「玄品」は海外進出の足がかりとして、フランチャイズで「とらふぐ料理 玄品(以下、玄品)」シンガポール店をオープンしました。しかし、コロナ禍の影響で、店舗は一時休業を余儀なくされる事態に…。

その後2022年に入り、玄品はシンガポール店の再起をかけて、もう一度動き出しました。数々の施策を打った結果、現在はお店の売上を回復させています。

そこで今回は、シンガポール店店長の濱田 太郎(はまだ たろう)さんに、どのように店舗経営を再度軌道に乗せたのか、詳しくお話を伺いました。

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[取材・執筆・校正]
株式会社ストーリーテラーズ ヤマダユミ

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英語が話せない僕が、シンガポール店の店長に

濱田さんは15歳の頃から、アルバイトで飲食店の仕事に携わってきました。高校を卒業してからは、居酒屋・社員食堂・カレー屋・パン屋など、さまざまなお店の厨房で働いてきたと言います。

あえて就職しなかったのは、スケートボーダーとして活動するため。その頃の濱田さんにとって、大好きなスケートボードこそが、生活の中心だったのです。

かねてから、玄品の社長である山口さんと、家族ぐるみで付き合いのあった濱田さん。あるとき「玄品」を紹介され、梅田東通店へアルバイトスタッフとして入店しました。2〜3年後には「いい歳やねんから、ちゃんと社員になりなさい」と勧められ、36歳のときに玄品へ入社しました。

約10年のフリーター生活を経て、晴れて正社員となった濱田さん。「身を落ち着けて仕事に取り組もう」と気持ちを引き締めたところ、早々に言い渡されたのが、責任者不在となっていたシンガポール店の店長着任でした。

「聞いたときは、『本当に俺でいいのか?』と驚きました。もちろん自分ができることは何でもやる気でいましたが、『店がこけても文句言わんといてよ』と山口社長には言い残していきましたね(笑)」

過去に他店で店長業務を経験していた濱田さん。しかし、シンガポールで生活する上で必要な、英語がまったく話せませんでした。

「外国人のスケートボーダーとは、カタコトの英語と身振り手振りで意思疎通が取れてたので、『まぁなんとかなるやろ』と思ってましたね(笑)」

持ち前のバイタリティの強さを発揮し、単身シンガポールへ飛んだ濱田さん。お店を再建するにあたって、一つだけ明確に決めていたことがありました。それは、「ふぐ一本で勝負する」ことでした。


「ふぐ料理の認知度0」からのスタート

元々、現地スタッフがフランチャイズで運営していたシンガポール店は、日本の「玄品」とはまったく異なるスタイルで営業していました。「玄品」の看板は掲げているものの、海外でよく目にするジャパニーズレストランと同じく、ふぐ以外の魚の刺身・寿司・天ぷらなどがメニューに載っていたのです。そのため、現地では「ふぐ料理店」と認知されてすらいませんでした。

「はるばるシンガポールに渡って、日本人である僕がふぐ料理を提供する。それなら、本来の味を伝えることこそが、義務だと思って」

濱田さんは現地入りする前から、「本来の『玄品』のふぐ料理を提供する」と決めていました。決意通り、メニューはシンガポール人の好みそうな味にあえて寄せず、日本と同じ料理をラインアップしました。しかし、シンガポールには元々ふぐを食べる文化はありません。「ふぐ料理および『玄品』の認知度がほぼ0」の状態からの再スタートでした。

売上のことを考えれば、外国人が好む日本食を、現地の人の味覚に合わせて提供する方が合理的です。なぜ、あえて真っ向勝負を挑んだのかを伺うと、

『玄品』の味に自信を持っているからこそ、たとえ時間はかかっても、本当の日本料理の味を広めたいと思って。そこはもうブレずにやろうかなと。

おそらく、ほかの料理に手を出してもある程度の味にはなるし、瞬間的な売上には繋がると思います。でも、味に自信が持てなければいつかはすたれるし、正直なところ、お客様に愛されるお店にはなれないと思うんです。一つのことに真剣に取り組んだ方が、10年後・20年後にしっかりした基盤ができているんじゃないかと思っています」

と自身の想いを語りました。濱田さんがこのような持論を展開するのは、スケートボーダーとしての経験則があるからです。

「僕は長い間スケートボーダーとして活動していましたが、決して上手いわけじゃないんですよ(笑)でも、ずっと続けてたらスポンサーが付いたり、周囲の人がサポートしてくれるようになって。『ずっと続けていれば、身になるものがあるんだ』と自身の経験から実感したので、同じように今も、長期戦を覚悟で挑んでいます

シンガポール店を再スタートして早1年。メニューの変更だけでなく、店舗の外観・内装のリニューアルや現地スタッフの採用など、ほぼ新規出店と同じ過程をたどってきた濱田さん。

「自分のやり方が成功なのか、失敗なのか…正直なところまだわかりません。でも、どうせやるんだったら、『ふぐ食べたいからあの店行こか!』って言われるような店にしたいんです。その方が、挑戦しがいがありますからね


地道な努力が実を結び、新規・リピーター客が増加

来てくれたお客様には、最高のサービスを提供しよう!」と、地道な努力をコツコツと積み重ねてきた濱田さん。最近になって、だんだんと風向きが変わってきました。

「僕がシンガポールに来てから、ふぐの輸入規制が緩和されたんです。以前は捌いた状態のふぐじゃないと輸入できなかったのが、今はルールに則った部位は取り除いてあるものの、まるごと一匹そのままお店に入荷できるようになって。お店に着いてから捌くので、鮮度・身質のまるで違う、おいしいふぐが提供できるようになりました

さらに、最近は少しずつ認知度が高まり、新規のお客様が増えるとともに、ご満足いただいた方がリピーターとして通ってくださるようになってきたのだそう。

「現地に住んでいる日本人の方がめっちゃ喜んでくれて、『日本で食べたものより、こっちの方がおいしい!』と言ってくれる方もいます。地元の方にも『おいしい!』と好評で、2回目に来店いただいたときにテーブルをふと見たら、ふぐの唐揚げをめちゃめちゃ頼んでくれてました(笑)お客さまがええ顔して帰って行かれるのを見ると、料理人として単純に嬉しいですね

これまでの努力が、着々と実を結び始めているシンガポール店。今年3月には、シンガポールでは食べられない、「天然とらふぐのコースイベント」を開催しました。圧倒的な歯ごたえ・弾力を誇る天然のとらふぐを、本場下関より仕入れ、3日間限定の特別コースを提供しました。

左:山口社長、右:濱田店長

「常連のお客様を中心に、41名の方に天然のふぐを味わっていただきました。お客様の比率は、日本人が6割・シンガポール人が4割程でしょうか。『ふぐの身が大きくて豪快だね!』『しっかりした弾力が感じられて美味しい!』と多くの方からご好評いただけました」


100年愛される「玄品」を目指して

濱田さんの今後の目標は、「『玄品』を100年続く、愛されるお店にすること」です。

「会社全体で目指していることなので、僕もその歴史を作る一部になれたらええなと思っています。僕、会社にはめっちゃ感謝してるんですよ。ずっとフラフラしてた僕みたいな人間を、迎え入れてくれたので(笑)だから、『逆境だろうと、負けんようにがんばろう!』と、そんな気持ちしかありません

ふぐ食文化を一から作ろうとしている、シンガポール店。10年後あるいは20年後、現地の方々の「ハレの日の食事」として、「ふぐ料理」が選択肢の一つに当たり前に上がるようになっていたら、これほどうれしいことはありません。今後の躍進にますます期待が高まります。

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