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若かりし日のインドの旅路 〜バラナシ〜ネパール〜アンダマン諸島〜スマトラ沖地震・津波サバイバル編〜

■2004年10月06日

朝、停電でファンが止まり、暑くて起きる。
起きた瞬間からヤスさんメグさんがいない寂しさでへこむ。つぶれそうだ。
久しぶりにインターネットをし、日記を投稿した。
よーし出発!と思ったがなにやらやたらザックが重い。歩けない・・・。

朝から何も食べていなかった。
とりあえずフルーツジュースを飲み、ちょっとだけ元
気をだして
ニューデリー駅までサイクルリクシャーを拾う。
バラナシ行きセカンドクラスのチケットを購入。

腹が減ってきた。
このままでは飢え死にしてしまう。

駅の飯屋でなんともいえないカレーを夢中で食べた。
多分まずいカレーだったと思う。
急いできたものの、バラナシ行きは6時50分発らしい。
日記を書きながらビスケットをかじる。2時間も座って待っているのももったいないので
またネットをしにマーケットへもどる。

なんとネットに夢中になっているうちに電車を逃してしまう。
というか6時25分出発だったのは、
俺の聞き違いなのか嘘を教えられたのかわからない。
くそ。
次は11時15分発らしい。これを逃したら寒い。
町は停電しているがうるささは変わらない。
デリーにはもううんざりだ。

10月6日追記&7日
夜11時にプラットホームへ行くと
教えられた番号ではない所に列車が止まっている。
尋ねて回ったが、どうやらこれがバラナシ行きらしい。

席はすべて埋まっており、荷物棚も人が寝ていて満席だ。
この列車はインドでもっとも治安の悪いと評判なので、
ぐっすり寝るわけにはいかないわけで、席がないのはいいかなとも思った。
最初に2等車両に入ったときは電気がついておらず真っ暗で、
ひとまずトイレの前に荷物を置いていたが、
電気がつくとトイレの前の
なんだかわからない汁の上にザックをおいていたことに気づく。
急いで入り口の通路に移動。

12時に出発。

見回りに乗ってきたポリスが
「ジャパニ、どこまで行くんだ?」
「バラナシ」
「おい、お前!席を詰めてこいつを座らせてやれ」
とギュウギュウの所をさらに詰めて半席くらいのスキマを作ってくれた。
そんなの座っても悪いだろ、と思い断ると
車内に軽いジャパニフィーバーが起きる。
楽しいなオイ。
やたらいろんなことを聞いてくる30才くらいのあんちゃんに
「お前は寝台車をとるべきだ。ここでは荷物に注意しろよ」
と何度も何度も言われる。
2等車を甘く見てはいけないようだ。

列車の床で、知らない兄ちゃんの膝枕をしながら、深夜の列車の旅は続く。
トイレにつながる通路にいるので、
誰かがトイレに行くたびに踏まれたりどかされたりする。
5分おきくらい。
なんでこいつらこんなにトイレにいくんだ。
特に年配の女性がひどい。
無言でバンバン平手でたたいてどかそうとする。
日本の皆さん、僕の扱いは牛並です。

ヤスさんお気に入りのナビスコのようなビスケット、
Pearl-Gを荷物棚に座っている人にまわすと、
また小さなジャパニフィーバが起こる。

14時間まったく寝ることができずに、列車はバラナシへと到着した。

バラナシは想像していた街とぜんぜん違った。
とても静かで、人々がゆっくりと沐浴し、祈りをささげている。

ガートへ降りたらすぐに火が見えた。火葬だ。
ずっと嗅いでいても嫌にならない、品のよいお香を炊いているような
甘く優しい匂いが空へと昇っている。
皆、ただじっと、布が焼け剥き出しになった右足が燃えていくのを見ている。

ガートを川に沿ってくだっていくと、
「神様のはがき買うか?」
「楽器安いよ」
「ちXこ買うか?」
とかわけわからないのまでいろんなやつが日本語で話し掛けてくる。

「マッサージ5ルピー」
という呼びかけに反応してしまったので、じいさんに揉んでもらう。
さすがに年季が入っているだけあって、シヴァのテクニックを感じた。
バスと列車でクタクタになった体を足の先からほぐしてくれる。
どこかの漫画でみた鐘の音が反響する寺院の演奏が近くで聞こえる。
なんてきもちいいんだろう・・・

1時間ほど揉んでもらったので気前よく50ルピーをあげるが
じいさんは不満顔だ。いい価格だとおもうよ!と励ます。

バラナシでなにを見つけられるだろうか。

■2004年10月07日

孤独
バラナシ。とにかく孤独を感じる。
ホテルのオーナーのラジュとボーイのラジェスは
とてもいい奴で話していて楽しいが、
部屋に帰りひとりを一瞬でも感じると淋しさが爆発する。
いてもたってもいられなくなり、
9時過ぎにバラナシのメインマーケットに向かうが、
9時でどこの店も閉まっており、街は暗く沈みこもうとするところだった。
ルーフトップにあるレストランに行き
スプリングロールとミネラルウォーターを注文するが
ミネラルウォーターがないと言われ、飯の注文もキャンセルして出た。

店の外に出て、ジャージを着た兄ちゃんに絡まれる。
「音楽が好きならいまフリーのコンサートをやっているぞ」
というのでついていってみる。小さな一間のお店にいれられ、
「聞くなら350ルピーだ」といわれる。
覚えていないが暴言を吐いて店を出た。

ガートへ行き、下の方まで降りて行こうと思っていると
真っ暗で足元が見えなかったためガンジス川に落ちた。足だけ沐浴か。

何もかもがうまくいかない気がする。
イライラしているせいか口琴の音も硬い。
なにをイライラしているのだろう?なにに・・・?
孤独を避けてヤスさん達に依存していた自分にかもしれない。
明日は朝5時に起き、日本の友人に頼まれたガンジス川の朝日の写真を撮ろう。
その写真から新しい旅を始めよう。

■2004年10月08日

5時に目が覚める。
体は重く、気力も湧いてこないが
写真が撮りたいのでボートに乗りに行き、
朝のガートと日の出を撮影した。美しく燃えていた。

結局俺は誰かに依存しないと動けないのかもしれない。
もしこのまま日本に帰らないとしたら、
なにもかものヤル気を失い、何もせずに過ごすような気がする。

その後ガートで沐浴。
ガンガーはヒンヤリしていて、足元がぬるぬるしているが
思い切って頭まで入る。
一度入ってしまうと気持ちがいい。
水をすくっては放り、頭まで入る。
何度か繰り返し、体が冷えてきたのであがる。

沐浴所でガタガタ震えているとおっさんがタオルを貸してくれた。
急いで拭いて服を着る。
なんだかいままでのモヤモヤが吹っ飛んだような気がする。
また旅を始めよう。

マーケットでチャイを飲んで暖まる。
ホテルに帰る途中で、
深夜特急で沢木耕太郎が泊まっていたホテルガンジスを発見した。
なんだかうれしい。

ホテルのラジュにカトマンズ行きのバスチケットを手配してもらう。

■2004年10月09日

朝からガンジス川をガート沿いに歩いてくだる。
いまガートは積もりに積もった牛とかヤギのうんこを
でっかいホースで掃除する作業があちこちで行われているため、
あちこちでうんこの川ができている。
サンダルで歩くのは非常に不快だ。

ホテルから2kmほど離れたところに大きな火葬場があり
そこでも絶えることなく死者が燃やされている。
ちらっとみてガートの裏路地を歩いて戻る。

帰る途中で、路地に座り込んでいるインド人の旅行者に声をかけられた。
なんでもゴアから一緒に来た友達に騙されて、
金目のものをすべて盗まれたらしい。
家族に連絡するのにお金が必要なので貸してくれということだった。
正直、なんだか信用してはいけない気はしたが
もし本当に被害に遭ったのだとしたら助けないわけにはいかないと思い、
300ルピーをあげた。
最終的に信用した理由は、
そいつがくまのプーさんの水筒を首からさげていたからだ。

ルーフトップのカフェで知り合ったイスラエリーのソナに
北インドのナイススポットの情報を教えてあげたら、
アンダマンの情報を教えてもらった。
彼は恋人のジョリーヌと5日後にアンダマンへ行くらしい。

ジョリーヌの話によると、アンダマンは500を超える島でできており、
その中で人が住んでいるのは50に満たないそうだ。
アメージングプレース。繰り返しそう言っていた。
結婚したら島を一つ買って暮らそうね。と仲むつまじく話していた。

ソナがカルカッタを駆けずり回って手に入れたという
アンダマンへの滞在許可証の取得場所や、
一個所しかないという船のチケット売り場、
行くまでの手順などがかかれたボロボロの紙切れを写させてもらう。

まるで”ザ・ビーチ”だ!

そしてソナからこう言われる
"誰にも言うな"

インドに来る前には名前も知らなかったアンダマン諸島。
最近アンダマンに自分が吸い寄せられているような気分がしている。

■2004年10月?日

バラナシの日々
バラナシにきてから毎日行っているところがある。
SONMONEYホテルの屋上のレストランだ。
ホテルの部屋自体は高いので泊まっていないが、
居心地がよいので何度も足を運んでしまう。
そこはガンジス川に面して建てられており、
窓から外を見ると真下で人が常時3人以上は焼かれている。
よっていつも薪と人が燃える甘い匂いが漂っている。
とりたてて飯がうまいというわけではないのだが、
ここにいる人達が好きだ。

昼間はとてもおとなしく、やさしい会計の爺さんは
夜酒を飲みはじめると豹変し、
2時間も誰かにずっと説教をしたりする。
でも次の日には覚えていない。

昔名古屋に住んでいて、いまも日本人の彼女が名古屋にいるという兄ちゃんはケツメイシが好きで、突然それをかけはじめたりする。
口癖は「食べ?」

ジャンベの先生も住んでおり、俺が初めて行ったときは
日本人のリナさんがレッスンを受けていた。
リナさんを最初見たときは、
いかにも初心者の手つきで叩いていたのだが、
3日目の晩にイギリスからきたアンディに
「音楽に合わせてプレイしてみたら?」と言われ
CDにあわせて演奏しはじめたときになにかを得たらしく
そこから4時間、すでにレッスンを終えたあとだったので
合計6時間もぶっつづけでジャンベを叩き続けた。
その結果ふたまわりくらい一気に上達した。
それでもまだ止まらないらしく、ガンジスの川辺でやっていたプジャーと呼ばれるお祭りに突入し、演奏しているインド人の達人達と1時間ほど彼女は太鼓を叩き続けた。
おれは"この子かっこええなぁー!"と横顔を見ながら
借りた鐘をカンカン鳴らしていた。

月曜日
リナさんが日本に帰るためにカルカッタへ出発した。
彼女は列車の時間ぎりぎりまで
ガンジスを見つめながらジャンベを叩き続けた。
「リナさんにとってバラナシとはなに?」
「家かな」
「じゃあ帰ってこなきゃね」
「そうやなぁ」
真っ黒で大きなトンビが
ガンジスの空をまったく羽ばたくことなく旋回していた。

ジャンベの先生と口琴でセッションしたらとても気に入られた。
カレーを食っていると先生がやってきて
「おまえのためにコンサートを開くからこい」
といわれて急いで残ったバターナンを口にほうり込んでついていく。
案内されたレッスン室にはなんとぼったくりコンサート屋にいたタブラメガネが座っていた。お前見たことあるぞ、笑いかけたところウインクされた。まぁいいか。
先生のジャンベと口琴の二人でセッションするとかなり受ける。
北インドで結構濃密に練習したかいがあった。
その後俺一人のためにフルート、ウドゥドラム、タブラの演奏をしてもらい先生以外が帰った後また二人でセッション。きもちいい。
ジャンベを少し習った。そしてちっこいジャンベを買った。


バラナシは基本的に道路以外は静かなところだ。
だから停電が起こると「おおぅー・・・」という落胆の声が町中からあがるのが聞こえる。
また電気が回復したときの「ヒュー!」という声も楽しい。
バラナシ、5日ほどしかいなかったが、長くいればいるほど好きになる街かもしれない。
明日朝8:30、カトマンズ行きのバスに乗る。

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